いろいろと、追加事項発生です
「もしそうだとしても、御者の件についてここから先はゴドリー家にお任せするわ。屋敷内の使用人問題にストラザーンが口出しする理はないので」
「はい。お気遣いありがとうございます」
ゴドリー側の二人は同時に頭を下げる。
「そう言えば、一つだけ尋ねたいことがあったわ。ここの使用人たちは皆、長く勤めているのかしら」
「いえ…。それが」
コールが口ごもると、ヒルが横からすかさず答えた。
「私たちがリチャード様の提督着任に従い、植民地に滞在している二年の間に大半が入れ替わっていました。騎士も常駐組は全員、事情による退職。新規採用です」
「ああ。やはりそうなのね」
カタリナとラッセルが頷きあう。
「カタリナ様からご覧になって、そんなに分かり易いものでしたか」
探るような瞳に、叔母はあっさり答えた。
「ええ。今日ここを訪ねてすぐに違和感を覚えたの。門番は古参だけど、それ以外は…。ここの使用人はもともとゴドリー侯爵家で教育されてから伯爵家へ着任していたはずなのに」
門番たちは、門のそばに建てられた小屋で生活し常駐している。
不審者の侵入を防ぐためもあるが、馬車を一瞬目にしただけでどの家門の訪問者かわからねば、ゴドリー家が責を負うことになりかねない。
カタリナたちが今朝の訪問であっさり本邸まで入れたのは、門番の知識と機転によるものだ。
「良くご存じなのですね」
リチャードの側近であるコールたちも、まずは侯爵家で教育されてから配属されたのだろう。
しかし彼らはまだ若く、経験の少なさから今回の事態を収めきれていない。
カタリナはそう読んでいた。
「ええ。この別邸で亡くなられたゴドリー侯爵の妹君…、リチャード様の叔母にあたるお方とは亡くなる直前まで親しかったから、本邸も出入りしていたの。当時の私はまだ十代前半だったけれど、行き届いた屋敷内のことはよく覚えているわ」
最後にこの屋敷を訪れたのは二十数年前だった。
そして、今朝。
一歩、本邸のホールに足を踏み入れてまず思ったのは、空気が澱んでいること。
どう見ても使用人たちの仕事ぶりは行き届いていると言い難い。
あからさまな手抜きではないが、おざなりな雰囲気が漂う。
もしくは、基本を知らぬままであるか。
完璧だった時代を知るだけに、カタリナは応接室に座って首をかしげた。
さらに、ヘレナの待遇を知るにつけ、不信感が募る。
「わがラッセル商会も二年ほど前までは多少の取引があり、門番とは顔見知りです。実は、リチャード様が外地へ赴任されて以降、いきなり取引を断たれて出入りがかなわなくなりました」
テリーは、コールを見つめて切り出した。
「前任の、バーナード・コール氏はどうされたのでしょうか。今でも、あの時に頂いた取引中止の手紙がおかしな感じだったのが商会としても気になっていたのです」
「…そうだったのですか」
コールは顔を伏せ、膝の上で組み合わせた両手をみつめしばらく動かなかったが、思い切ったかのように顔を上げた。
「そこまでご存じでしたら、隠しようもありません。…実は。バーナードは私の叔父です。しかし我々が帰還した時、この屋敷の内政は機能不全に近い状態になっていました」
礼儀正しく、誰もが想像する執事の基盤を地で行く人だった。
それなのに。
「私は二年前にここを出る時に全く気が付かつきませんでした。叔父の中がゆっくりと壊れて行っていることに」
執務室での会話は執事の先達として立派なものだった。
もしあの時、叔父の個人的な部屋を訪れていたら違ったのではないか。
コールの中で後悔が渦巻く。
「と、言うと」
「少しずつ、認知機能が衰えていっていたようです。帰国した我々が見たのは足の踏み場もない程書類が散乱している執務室と彼の私室でした。どうやら正常な時とそうでない時を往復していたのか、植民地に届いた手紙は至ってまともだったため気が付かなかったのです」
コールの叔父は、執事としての矜持で病気の進行を隠していたのか。
それとも。
「今、私たちが使用人を制御できない理由はそこにあります。八割…九割近くが私が思うに仕事ぶりは素人に近い。更にこの二年の人事の書類が不明で、現在の使用人たちの経歴書と紹介状すら見つからない。面接をして自己申請の履歴は手元にありますが、これほど問題を起こしているところを考えると…」
「全く信用なりませんね。おそらく彼らは伯爵家のレベルに見合うだけの良いお宅でしっかり経験を積んできたと、答えたのでは?」
ラッセルの言葉に、コールは深くうなずく。
「その通りです。いずれ情報ギルドに調査依頼するつもりではありますが」
帰国以来、従僕のヴァン・クラークと二人で元執事室の探索を行っているが、まだ探索は終わっていない。
「次から次へとこの状態で、しかもリチャード様も機能不全ならコール卿一人では手に余るわね」
秘書のホランドがほぼリチャードの世話と王宮や他貴族とのやり取りを裁き、ベージル・ヒルが帝国騎士団との調整を行っている。
そんな中のヘレナ・リー・ブライトン子爵令嬢との偽装結婚計画は、超過勤務どころの話ではない。
「コール卿。辛いなか素直に答えてくれてありがとう。おかげで今後やるべきことの道筋はついたわ。テリー、続きをお願い」
ラッセルは頷き、カタリナの秘書官から書類を数枚受け取る。
「とてもヘレナ様の保護をお願いできる状況でないと解った以上、ストラザーンとして以下のことを更に提案させていただきます。
まず、本日よりストラザーン配下の護衛兼侍女を一人、この屋敷内に置きます」
「え?叔母様・・・」
それまでおとなしく話を聞いていたヘレナが慌てて口をはさむ。
「そんな、護衛だなんて…。私、一人で大丈夫よ?」
「嘘つきね。貴方が二階の戸棚の中に小さくなって隠れていた形跡はクラーク卿と確認したわよ」
「…あ」
頬を染めて、肩をすぼめた。
「あれは、まだここに慣れてなくて…。今まではクリスがいたけれど、突然ひとりになったものだから」
ぼそぼそとうつむいて言い訳をする。
「それもそうでしょうけれど、陸の孤島に島流し状態なんて、そもそもありえないの。とにかくそういうわけで、今夜からマーサに泊まってもらうわよ」
「ヘレナ様。今夜より、よろしくお願いしますね」
ラッセル商会から来ていた中年女性が立ち上がり、ヘレナに向かってにっこり笑った。
「え…。マーサ? あの、マーサは大丈夫なの?」
「もちろんです。今夜から腕を振るいますよ」
「そんな…うれしいけれど…でも」
「このマーサはもともとラッセル商会で隊商を担っていました。盗賊と戦った経験もあるので、しばらくここにいてもらいます。あと数日もすれば、彼女の娘のミカが帰国しますので、準備が整い次第交代します。ミカはヘレナ様の二つ上ですが、体格も大きく剛力ですので護衛として安心して任せられます」
「わかりました。こちらに人材がいない以上、願ってもないことです」
「それと、ヘレナ様の衣食など生活に必要なものすべてはラッセル商会が用意するので、ゴドリー側は一切関わらないと約束してください。
もちろん人件費を含めかかる費用はストラザーン伯爵夫人が支払うとのことです」
「いえ、待ってください。それはさすがに」
費用負担に関してはコールがゴドリーの資産からねん出するつもりで話を聞いていた。
これではあまりにも申し訳が立たない。
「薪ですら異物混入されるくらいです。いっそのこと全てこちらで用意したほうが様々なことを未然に防げます」
ラッセルからぴしゃりと釘を刺され、ぐうの音も出ない。
「…面目ないことで」
「いいえ。これにより、ゴドリー側の使用人がこの敷地へ立ち寄ることを一切禁じてください。用がないのなら、近づく理由はないはずです」
全員初対面。
嫌がらせは数えきれず、その状況下で親しくなれるはずもない。
これで敢えて近づく人間は、意図があるということで、見極めやすくなる。
「ああ、私からもひとこと言わせてください」
シエルが手を上げた。
「コール様は現場をまだご覧になっていないのでピンと来ないかもしれませんが、この敷地の樹木と建物全てに術を施しています。
どのような、という説明は敢えて省きます。
ただ、『悪意を持って屋敷に近づくと、ジャンの二の舞になる』ことを屋敷の人々に通達してください。
まあ、それでもあの馬鹿どもは理解できないでしょう。しばらくは騒がしいかと思いますが、見せしめとして有難く利用しますので、あなた方はどうか静観してください」
エルフのような優美な容姿で神々しい微笑み浮かべ、彼はしれっと毒を吐く。
おかしい。
シエル様はそんなお人では。
もっと、天使のようなふわふわと優しい空気の持ち主だったはず。
それが今は一言一言が鋭く、なんだかとても怖い。
ヘレナは戸惑うが、ふと考え直す。
いや。
おそらくこれが通常運転なのだな。
優しい物言いと美麗な顔に騙されてはならない。
最初からこういうお人だった…。
「シエル様、ご尽力ありがとうございます」
ヘレナが礼を言うと、シエルはふわりと笑った。
「いいえ。ヘレナ様のお役に立てるなら、これほどうれしいことはありません」
心からの言葉だと。
それは素直に感じた。
たかがハンカチ一枚だったのに。
ヘレナは彼を頼もしく思うと同時に、どうすればこの恩に報いられるのかと困惑する。
「本当に、頼もしいわね」
シエルの慈愛に満ちた微笑みに絆されていくヘレナの隣で、叔母が整えられた指先で口元を隠し、にんまり笑っていたことには気づかなかった。




