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コンスタンス


 絹の金糸のように美しい髪へ指を絡ませ、その手触りを楽しんでいるとくぐもった声がとがめた。


「…そろそろさすがにまずいのでは?」


「何言っているんだか。こんなことしておいて」


「それもそうか」


 くすくす笑いながらホランドが音を立てて、あらわになっている胸に顔をうずめて口づけをした。


「あら、そんなに吸ったら跡が残るわよ」


「どうせばれない」


「それもそうね」


 私たちはこの背徳感とスリルが大好物だ。

 この、執務室のドアをいつだれが開けるかわからない。

 そんな中の情事。

 すごっくイイ。

 癖になる。


「は…」


 執務椅子の上で馬乗りになって揺さぶられ、ホランドの熱を堪能する。


「コンスタンス…」


 彼の豊かな金髪に、ガラスのような青い目に、在りし日の男を重ねながら。




 リチャードが別邸の騒ぎに呼び出され、コールと馬車に乗る支度を始めてすぐ。

 コンスタンスはこっそりベッドから起き上がり、ガウンを羽織って執務室へ向かった。

 ライアンくらいは残すだろうと思ったからだ。

 使用人たちのほとんどは仕事を放棄して外へ飛び出したらしく、簡単なことだった。

 あの孔雀夫人に呼び出されたのなら、そう早くに戻ってこないだろう。


 カタリナ・ストラザーン。

 リチャードの凱旋祝いの夜会で見かけた。

 王宮の中心でまるで女主人かのようにキラキラ、キラキラ光って、目障りだった女。

 まさか、あれがブライトン子爵の妹だったとは。


 まったく誤算だった。

 計画の見直しが必要だが、とりあえず少し様子を見た方が良いだろう。


 そして、せっかくのお愉しみはほどなくして中断させられた。

 がらがらと大げさな音を立ててやってくる馬車の音。

 そして、騒ぐ声、悲鳴。


「…まずい。もう帰ってきた。…にしては変だな」


「戻るわ」


 男から降りて床に脱ぎ捨てていたガウンを羽織る。

 お楽しみはここまでだ。


 執務室の向かいに連なる部屋はどれも今は使われていない。

 まずそこへ入ると、連なる部屋の仕切り扉を次々と開けて通り抜け、寝室の近くまでたどり着く。

 廊下で侍女と鉢合わせせずに済む、最短の抜け道だった。

 足音も激しく侍女が階段を駆け上ってくるのを感じながら、ぎりぎりベッドへ滑り込んだ。


「奥様! 大変です!」


「…どうしたの」


 まるで今起きた風に装い、けだるげな声で尋ねる。


「ぎ、ぎょしゃの…御者のジャンが大けがをして…っ。大変なんです!」


 侍女ががたがたと震えながら答えた。


 ジャンは使用人たちの間でも選りすぐりの容姿をしている。


 この国において専属の御者は、馬、馬車ともにアクセサリーと同じだ。

 見目麗しい男を御者台に座らせるのが貴族のたしなみ。

 侍女頭の口利きで働き始めたようで、なかなか使える男だったのに。


「べ、別邸で、別邸へ旦那様を乗せて行ったら…っ、あんな…、さっきは…ううう」


 錯乱しているようで支離滅裂だ。

 この女はジャンに好意を抱いていたのだろうか。

 泣きじゃくってばかりで話にならない。


「旦那様は?」


「お戻りになりません。クラーク様に任されました」


「…? どういうことかしら」


「と、とにかく、下へ…っ、下へお願いします」


「わかったわ。着替えを手伝って。すぐ着られる物があるでしょう」


「はい…っ」


 シュミーズドレスに長着を羽織り、多数の眼に晒しても大丈夫な見た目に整えてから階下へ降りた。

 広いホールを動揺した使用人たちが右往左往している。


「いったい何ごとなの」


「奥様!」


 全員、一斉に助けを求めるような顔で階段の途中に立つコンスタンスを見上げた。

 すぐにホランドが駆け寄り、手を取ってエスコートするふりをしながら囁いた。


「ジャンがストラザーン伯爵夫人を襲って、返り討ちに遭いました」


「どういうこと?」


「詳しくは分かりませんが、殺すつもりで身体強化を図って石を投げたところ、術で跳ね返され、腕をなくしたとか」


「めんどうなことを…」


 舌打ちしそうになるのをこらえたが、つい本音が口を出てしまう。

 唇に手をあてて軽く咳払いをした後、女主人然とした声を上げた。


「ジャンのところへ案内して。話はそれからです」


「…こちらになります」


 臣下らしく腰をかがめ、ライアンは一礼する。



 ジャンは地下の使用人控室のベッドに寝かされていた。


「う…ううう」


「…これは」


 血まみれの御者は、右肩から先を失っていた。

 皮膚は閉じられ、出血はしていない。

 しかし、苦し気に唸りながらのたうち続けている。


「ストラザーン伯爵夫人の発言にジャンは逆上し、暴言を吐いた末に頭めがけて拳より大きな石を投げたところ、そばにいた魔導士が術を使って跳ね返しました。

 その時に右腕に石が当たり、破裂。こちらの要請によりその魔導士が応急処置をしましたが、ジャン自身の魔力を使って傷口の止血を行ったため魔力が枯渇、その副作用に苦しんでいるのだそうです。とりあえず、医者を呼んでくるよう指示しました」


 一部始終を目撃したらしいクラークの説明に、コンスタンスは尋ねた。


「伯爵夫人は、何を言ったの?」


「…その。コンスタンス様とリチャード様を愚弄するようなことを」


「たとえば娼婦とか?」


「…っ。これ以上はご容赦ください」


 その通りだと白状したようなものだ。


「うう…ううう。あの、あのあのあの、アマぁ…」


 苦しみながらも、ジャンは伯爵夫人を呪う。



「ライアン・ホランド。あなたはジャンの家族に連絡して。ヴァンはキーン医師を呼ぶように」


「お言葉ですが、キーンは主の主治医です。今、街の医師を呼んでいますので」


 戸惑うクラークをちらりと横目で睨んで見せた。


「ヴァン・クラーク。魔力切れなんて、平民医師の手に余るわ。ジャンがこんなに苦しんでいるのに、そのままにしろと?」


 床に直接座り、乾いた血で張り付くジャンの髪を額からそっとはがす。


「かわいそうで見ていられないわ」


 憐れみをたっぷり盛った声を出すと、ジャンが目尻からはらはらと涙をこぼした。


「…わかりました。キーン医師の所へ使いを出すよう言ってきます」


 ホランドとクラークが部屋を出てすぐに看病をしていた侍女に御者部屋にある衣類をとってくるよう頼み、ジャンと二人きりになる。


「ジャン…かわいそうなジャン。こんな姿になって…」


 優しく頬を撫でると、体温が下がってきているのかカチカチと歯を鳴らしながらジャンが必死に言葉を発する。


「こ、こんすたんす…さま。おれは…おれは…」


「わかっているわ。あなたは私の名誉のために戦ってくれたのね。ありがとう。嬉しいわ」


 無事だった左手を両手でとり、そっと頬を寄せ、ゆっくりと目を閉じる。


「コンスタンスさま…」



「でも、困ったわね」


「…は?」


 コンスタンスは目をゆっくり開き、ジャンを見つめた。


 ゆっくりと長いまつげで瞬きを数回。


 御者は肩で息をしながらも、その顔に見惚れた。


「きっと、ストラザーン伯爵夫人はお怒りだわ。

 伯爵も最愛の妻を襲われたと聞けば、どうなることか。

 それに大切な姪が虐げられていると知れば、リチャード様のお立場も危うくなる。

 きっと全部私のせいにされてしまうのね…。


 わたしが、娼婦だから」


 ほろりと器用に片目から涙を流す。


「わたし、殺されるのかしら…。こわいわ、ジャン…」


 水晶のような涙をぽたりぽたり落とし、ジャンの手を濡らした。


「コンスタンス、さま。なか…ないで…」


 そして、男は自らの舌を唇の上まで震えながらゆっくり伸ばす。


「ジャン…」


 次の瞬間、ジャンは瞼と口を強く閉じた。


「うぐっ…」


 ぎゅっとコンスタンスの手を握りしめ、しばらく痙攣し、やがてその力はゆっくりと抜けた。


「ジャン?」


 囁きかけるが、いらえはない。

 ゆすってみても、ジャンが再び目を開けることはなかった。


「…まったく。痛いじゃない」


 乱暴に手をはがし、放り投げた。


「手間をかけさせるんじゃないわよ…」


 すぐに立ち上がると、近くのテーブルに置いてあった水差しとコップを床に叩きつけた。


「きゃーっっ! 誰か、誰か来てーっ! ジャンが、ジャンが!」


 ドアに向かって叫び、その場に座り込む。

 バタバタと複数の人間が走ってくる音が聞こえる。


「コンスタンス様!」


 飛び込んできたクラークにコンスタンスは縋り付いた。


「ジャンが…水を飲みたいと言ったの…。だけど目を離した隙に、ジャンが…」


 駆け付けた従者や侍女たちは悲鳴を上げる。


「ああ…。コンスタンス様」


 かばう様に強く抱きしめられ、腕の中で笑いをかみ殺した。


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