リチャードの戸惑い
時がゆったりと、そして確実に流れていく。
ヘレナがひたすら手を動かして糸を織り込む傍らにはネロとパールがぴたりとくっついて横たわり、時々ミニミニミニ族がぴょんぴょんと織機の周りを踊りながら飛び歩き、その後ろをいつの間にか紛れ込んだのかイズーやフウやライが付いて回った。
ストーブの中にくべた薪が時折ぱちりとはじけて小さな火花を散らし、天板に乗せた鍋からうっすらと湯気が上がる。
クリスを始め色々な人が訪れては、ついつい根を詰めて仕事をしてしまうヘレナを織機から離れさせ、休憩や食事を摂らせるようになった。
もしくは少しあけた扉からそっと様子を伺い、声をかけることもできずに去っていく。
その中の一人がリチャードだった。
彼は別邸の転移装置のことを知らないままなので、たいてい王宮からの仕事帰りに立ち寄り、そっとヘレナの様子を伺う。
『な…な…なな、な…なな…』
微かにほころんだ唇から不思議な旋律が聞こえてくる。
共に寝起きをしているミカが言うには、仕事に没頭しているとたいていこの旋律を口ずさみだすのだそうだ。
リチャードは機織りを見たことがない。
いや、貴族はたいていそういうものだ。
幼いころ、母がハンカチなどに刺繍をしている姿を見たことがあるが、父と外交を担って多忙な日々を送るようになった彼女が針と糸を持つことは今やめったにないだろう。
生活に根付いた品はたいてい商人が仕立てあがったものを運び込み、布を誰かが作り上げるなど想像もしていなかった。
時折、ヘレナはこの家でも家畜たちから取った毛を紡ぎさらに染めているらしい。
そうやって出来たものが彼女のそばに置いている緯糸の中に交じっていて、今も織り込まれていると聞いた。
『ヘレナは小さな幸せを祈りながら手を動かしているのです。いつの時でも』
ミカの言葉に、最初は物珍しいだけだった作業風景が神聖な姿に見えてくる。
ヘレナの手は小さいけれど、まるで魔法のように速く動く。
それでも、一日に出来上がる量は少しだ。
今製作しているタピスリーは一人で行う場合は本来なら何か月も、いや一年くらいはかかってもおかしくないのだと説明され、リチャードは驚いた。
『それでも、おそらく雪が解けて春の花が咲くころには仕上げてしまうでしょう。それがヘレナです』
薄く開いた扉の向こうで、少女は一心不乱に織り続ける。
白くあどけない横顔、そして薄い雲がかかったような空の瞳は糸を見つめ続けていた。
まるで彼女は。
ふるりとリチャードは頭を振った。
どうかしている。
十歳近く年下の子どもに。
いや。
どうかしていた。
あの時、あの頃の自分は。
「また来る。何か困りごとや必要なものがあれば必ず、ウィリアムたちに知らせてくれ」
「はい。ありがとうございます」
リチャードは、そっと踵を返し階段を下りた。
コンスタンスには、ここへ立ち寄っていることは告げていない。
そしてヘレナに関するすべてのことをなぜか彼女には話したくなかった。
目を閉じて浮かぶのは、小さな花。
『きしさま、おはなをどうぞ』
あの子とは違うのに。
重ねてしまう。
罪の証ゆえに。




