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戒め



「その子は、私よりも幼く見えました。こんな年で客を取らされて、しかも年上の同僚から虐待までされるような生活をしているのかと驚きました。私はコール家で夫人や兄に嫌がらせを受けましたが、彼女の環境と比べればはるかに恵まれています。それに、ジョゼフや叔父がゴドリー家へ逃がしてくれましたから」


 あの火災の噂はあっという間に広がり、マリアロッサの厚意で通わせてもらっていた貴族学院では学生たちや教師たちの態度は一変した。


 婚外子であることは知られていたが、実際に娼館で使い潰された下働きとして遺体で見つかったとなると人々の見る目は変わってくる。


 たとえウィリアムが品行方正な優等生で常に学年一の成績を上げていたとしても、下の下の女が産んだ子。


 学長の推薦で決まりかけていた王宮文官の職も卒業式での総代として立つことも、貴族の家へ養子に入ることも全て、流れてしまった。


 こつこつと石を積むように励んだウィリアムの未来を完膚なきまでに潰す。


 それに関してはコール夫人の思惑通りに事が進んだ。


 それなりに親しかった筈の友人も、優しかった教師も、ウィリアムを見るといちように目をそらし、背を向けた。

 ゴドリーの後ろ盾があるから暴力を受けることはなかったが、ウィリアムの周囲に深くて大きな溝が張り巡らされたような日々が卒業する日まで続いた。


 それでも。


 ゴドリー家の人々の態度は変わらなかった。


 ご破算になったのちすぐにマリアロッサは様々な手配を行い、執事としての教育を受けさせてくれ、リチャードの側近に採用してくれた。

 そのたびに、自分はとても運が良いのだと胸に刻んだ。


 無残な遺体になり果てた母と、これからも身体を売って生きていかねばならない少女。

 その二人を頭の隅に置きゴドリー家に尽くすと心に決めるのは、ウィリアムにとって自然なことだった。


 ほんのわずかな時間に目にした彼女たちの姿は記憶の中でだんだん曖昧になり、どちらも黒髪だったことしか覚えていなかったけれど。



「言い訳にしかなりませんが、私がコンスタンス様をリチャード様の唯一の女性と仰ぎ、生活を整えることに邁進してしまったのは彼女たちのことが根底にあったからだと、今は思います」


 貴族に仕える者としてはありえないことだ。

 シエナ島から今に至る数々の己の所業のすべては。


「叔父のように何かを服用させられていたとしても。彼は正しくないと思われることに最後まで抵抗した。それが執事としてあるべき姿です」


 ウィリアムは立ち上がり、ヘレナに向かって深く頭を下げた。


「ヘレナ様。婚姻のことから今まで、貴女様に対して私の行った数々のことをお詫びいたします」


「コール卿。そんな…。どうか頭をお上げください」


「謝罪したところで私のしたことは覆りません。自己満足と言われればそうかもしれません。ですが、一度も言葉に出さぬのもおかしいと私は思うのです。なかったことにするのは間違っているのではないかと」


 姿勢を変えぬまま、ウィリアムは続ける。


「どうか私を許さないでください。謝罪は時として更なる刃を突き刺すのと同じだと知りながら、私は口にしました。治りかけた傷からまた痛みを感じさせるかもしれないと解っていながら、自分の考えを優先させました」


 微動だにしない青年のそばに、ヘレナは静かに立った。


「…ならばコール卿。私は、私の権利を主張させていただきます」


「はい」


「私は、許す権利を有しています。だって許さないってことは、貴方の願いを聞き届けたことになると思うのです」


「…はい?」


「だから、貴方の願いは却下です。私はそういうのが苦手なので。私の意思は私のもの。そうではありませんか」


「え?」


 思わず顔を上げたウィリアムの肩に触れた。


「コール卿。私たちの時間はもう動いています。私はタピスリーを織るのに手がいっぱいで、ミカに何もかも世話をしてもらってようやく生きている状態なのですし、色々な方のおかげで前よりずっと良い暮らしをしています。だからもう良いのです。あの婚姻がきっかけで、今は父もご学友も私とクリスに何かをすることは…、二度とありませんから」


「しかし」


「私はバーナード・コール様もジェフリー様もそしてそのご家族もあの農園も大好きです。できればこれからも彼らと親しくさせていただきたいと思っています。だからウィリアム・コール卿。縁の繋がる貴方ともそうありたいと思います」


 ぐっとウィリアムは奥歯をかみしめる。


「ありがとうございます」


 肩にのせられた小さな手のひらの温かさに溶かされそうな己を叱咤しながら言葉を紡ぐ。


「しかしながら。誠に申し訳ありませんが、一つお願いがございます」


「何でしょう」


「この罪を。私が戒めとして忘れないことを。どうかお許しください」


 ヘレナはぱちぱちと何度か瞬きをした。

 しばらく考えたのち、こくりと頷く。


「はい。それは貴方の権利ですから」


 そして両手で彼の肩を押し上げた。


「どうかお座りください、コール卿。ミカの淹れたコーヒーはハチミツとミルクを入れるといっそう美味しいのです。おつきあいくださいますよね」


「…はい。ありがとうございます」


 二人の会話を黙って見守っていたミカは椅子の背に身体を預けて大きく息をつく。


「あんたたちってさあ…。まるで」


「え?」


「いや、いいわ。ハチミツとミルクね。とっておきのを用意してあるよ」


 軽く手を振って、ミカはミルクピッチャーに手をやった。




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