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お茶会は、お開きだ



 カモミールの葉の色によく似た薄黄緑のテーブルクロスの上に冬の薔薇を生けた花瓶が中心に飾られ、温かなミルクティーが注がれたティーカップと、一人ずつの小皿にシュー・アラ・クレームと数枚のラング・ド・シャが装われていた。


【ネロモ? ネロモ ゴショウバン?】


 ヘレナの前にデラたちと同じ皿とは別に少し小ぶりの皿と一回りちいさなシューとラング・ド・シャが一枚載っている。


「そう言えば、最後に四分の一の種を使って一口サイズのシューを作るようおっしゃったのは、こういう事だったのですか」


「そう。このおこりんぼさんも、ここでなら食べられるから」


「なるほど」


 なんでもありの世界というならば、ネロが人間の食べ物を食べても問題ないだろう。


「まあ、そもそも魔石を食べている時点で、普通の猫じゃないわよね、その子」


「…あ。そういえばそうですね」


 ヘレナの膝の上のネロの耳がぴんっと立つ。


【ネロ トクベツ ネロ ゴショウバン カノウ?】


「ええと。その件についてはおいおい、相談しましょうか」


【ネロ イツデモ ゴソウダン カノウ】


 くんくんと黒い鼻をうごめかせる。


「とにかく、いただきましょうよ。ヘレナの初めてを」


 ぱん、と両手を叩くロラに、ノラが吹き出した。


「そうね。ヘレナ、ネロ。食べましょう。ここは手づかみで」


「はい」


【ハイ!】


 驚くことにネロが両手で器用に小さなシューを持った。


 そして全員同時にシュー・アラ・クレームにかぶりついた。



「おいしい~」


 ノラの朗らかな声を聞きながら、ヘレナも味わう。


 小麦の香ばしい香りがまず口の中に広がり、次にクリームのとろりとした甘みが押し寄せてくる。


 ムチャムチャ、

 ピチャピチャ、

 ペロペロ、

 コックン。


 膝から降りてちょこんと隣に座った黒猫の小さな口が熱心に咀嚼しているのをヘレナは眺める。

 実に二回。

 立て続けにこの子はお代わりをした。


【パクリ トロリ アマーイ ウマーイ】


 ネロの長い尻尾がヘレナの腕をぺんぺんと叩く。

 どうやらお気に召したようだ。


「どう? 初めて作ったシューの感想は」


 デラに尋ねられ、ヘレナは正直に答える。


「試行錯誤を繰り返して出来上がっただけに、我ながら美味しくできたとは思うのですが…。残念ながら私ごときの付け焼刃では熟練の職人さんが作られた物には及びません。形も味も何もかも」


「まあねえ。何年も毎日作り続けた人をぴょんと飛び越えてしまっては、その職人も立つ瀬がないわねえ。でも、十分美味しいわよ?」


 ノラがのんびりと慰めてくれた。


【ヘレナ オイシイヨ ヘレナノ ハジメテ トッテモ オイシイ】


 マグカップにたっぷり注いでもらったホットミルクとシューのクリームと焼き菓子の屑を口と髭にいっぱいつけたままネロも加わる。


「ありがとうございます。やり切った感はあるのですが、それではだめですね。これからもっと頑張らねば…」


「それなんだけど。貴方たちがここにいることを知って、泣きながら追いかけてきた子がいてね」


 デラがぱちりと指を鳴らすと、ぽん、と白く毛足の長い子犬が現れた。


「んん? もしかして、パール?」


 子犬はきゃん!と一鳴きしてヘレナの膝の上へ飛び乗る。


【ア! ズルイ!】


 ミルクとクリームにまみれた口でネロは抗議の声を上げた。


【ヘレナ ヘレナ ヘレナ――ッ カエッテキテ ヘレナァァァ】


 パールは頭をヘレナのお腹にぐいぐいと擦り付けて号泣する。


「パール…。心配かけてごめんね。でも…」


 背中を撫でながら説明しようとするが、ネロは目に涙をたたえたまま、隣のネロに向かってきゃんきゃん吠えだした。


【ネロノ バカ――ッ ネロ バカバカバカバカ】


【ナンダト~! ナキムシヨワムシ パールノクセニ~】


 二匹はヘレナの腕を挟んで喧嘩を始める。


「ああ…。ええと、喧嘩はやめて…くれないかな…」


【ネロ ヒドイ ヘレナ ココニ ツレテキタ 

 アッチ ヘレナ ズウット オキナイ】


「ん? ああそうか。私って眠ったままなのね」


【ミッツノ ヨル ヘレナ オキナイ ミンナ シンパイ】


 三つの夜とは、三日三晩経ったという事か。


「ああ…。それは申し訳ないことしてしまったわね」


【ダカラ パール クンクン オイカケタ】


 パールは心配のあまりネロの痕跡を追ってこの世界へやって来たらしい。


「あらあら…。ごめんなさいね。パール」


【ナノニナノニ ナンデ ネロ ゴホウビ?

 ネロ ワルイコ ナノニ ナンデ?】


 パールの訴えに、ネロはきまりが悪いのかそろりと顔を反対側へ向けた。


「ふふふ…。正論だわねえ、白い犬っころ」


 ロラが席を立ち、泣きながら怒っているパールを撫でる。


「よし。犬っころ。お前もお食べよ、ヘレナの初めて。黒猫ばっかり美味しいのは頭にくるわよねえ」


 小さい方のシューを指でつまんで子犬の口元へ持っていく。


「はい、あーん」


【アーン?】


 素直に口を開き、パールはあむ、と閉じた。


「ほらもう一個。ついでにまた一つ」


 ロラは次々とパールの口の中にシューを放り込む。


「あ…」


 パールもこの世界の食べ物を飲み込んでしまったとヘレナは気づき、最初のやり取りを思い出す。


「あの…」


「ああ、大丈夫。あの話はなしよ。なしなし」


 ロラはチチチと人差し指をたてて左右に振った。


「美味しい? 犬っころ」


【オイシイ! マセキヨリ ズットズット オイシイ!】


 ワン! と小さな尻尾を小刻みに振ってパールは答える。


 そんなパールを慈愛に満ちた目でじっと見つめ、ロラは深く頷く。



「うん。良かった。これはお前に心配をかけてしまったお詫びだよ。悪かったね。三日三晩生きた心地がしなかっただろう」


【ウウ… ウワアアア――ン】


 パールは遠吠えをするように鼻先を天に向けて泣き出した。


「パール…」


 ヘレナはぎゅっと抱きしめて背中を優しく叩く。


「その子に免じて…というか、色々外野がうるさくなってきたからお遊びはここまでにしようかね」


 デラもノラもやってきて、それぞれパールとヘレナを撫でた後、ネロの口を拭ってやった。


「お前さんを見ていると、友を思い出したよ」


「お友達ですか」


「ああ。なかなか面白い子でね。私らは彼女が大好きだった。ただ、あの子と私らの時間が違い過ぎてね。とっくにいなくなって、遠い遠い昔の思い出になっちまった」


「そうなのですか…」


「どうやらお前さんの中には、あの子の『かけら』が埋まってるようだ。だからつい懐かしくて、私らは返したくなかったのさ」


 女神のように若くて美しい姿のまま、三人は老婆のような言葉遣いで語り続ける。


「待っている人がいるのは幸せなことだ。なかなかないことだと、あんたはとっくに気付いているだろう。だから大切にするんだ」


「………」


 まるで祖母が孫を諭すように頭を撫でられ、ヘレナは言葉に詰まった。


「お前さんよりはるかに上手な職人はたくさんいるだろうがな。お前さんの味は、お前さんにしか作れない。糸仕事にしろ、何にしろ同じこと。それに、黒猫と白犬はお前さんが大好きでたまらないのに、放り出す気かい?」


【ヘレナァ…】


【ヘレナ…】


 二匹はいつの間にか揃ってヘレナの腕の中にいて。

 今にも泣きだしそうな、不安そうな表情で見上げている。


「ごめんなさい…。私が、浅はかでした」


 二匹をぎゅっと抱きしめた。

 彼らの鼓動が伝わってくる。


「さあ。お茶会はお開きだよ。帰るが良い」


「はい。たくさん、ご親切にありがとうございました」


 二匹を抱き上げたままヘレナは立ち上がり、三人に頭を下げた。


「このご恩は忘れません」


 ヘレナの足元を白い霧が覆っていき、別れの時間が来たことを悟る。


 感謝の気持ちをどう表せばよいのかわからない。

 鼻がつんと痛くなり、胸が熱くなった。


「そりゃ、嬉しいね。まあそうだねえ。少なくとも、ここで修業した菓子はあちらでも同じように作ることができるだろう」


 にいっとデラは悪戯めいた笑みを浮かべる。


「それできっと今頃、あんたの家では大騒ぎさ。あんたはなかなか目覚めない上に、けっこうな量の卵と牛乳とバターを始め菓子の材料が突然消えているからね」


「え」


「気が付かなかったのかい。あんたに馴染みのある風味がしただろう」


「それは…。私の気持ちの問題とばかり…」


 三人は腹を抱えてけらけらと笑う。


「お駄賃だよ。色々とね」


「それで相殺さ」


「授業料にしては安い方だよ」


 女神のような魔女のような、母のような祖母のような、そして友のような。

 彼女たちがだんだんと遠ざかっていく。


「本当に、色々、たくさんのご親切をありがとうございました」


 思いつかないから、同じ感謝の言葉を口にする。


「ああ。いつかまた来るといい」


 声が遠ざかり、あたりは真っ白になってしまった。


「デラ、ノラ、ロラ。ありがとう」


 夢でも何でも構わない。

 あの不思議な時間を、どうか忘れないでいられますように。


 ヘレナはそう願って目を閉じた。



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