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【閑話】ミカエル ⑬ ~できることならば。~



「ははは…。あはははは………」


 ひたすらに。

 ミカエルは笑い続ける。


「おいっ! 何がおかしい!」


 揺さぶられても、殴られても、蹴られても。

 ミカエルはただただ声を上げて笑う。


「この…」


 ミゲルが何事か詠唱し、ミカエルは壁に叩きつけられ、そのまま貼り付けの状態で拘束された。

 手首、足首、両太もも、両腕、胴体、首。

 次々と石壁に鋼のようなもので固定される。


「はは………」


 笑い疲れたミカエルは大きく息をついた。


「まさかの公爵令嬢。しかも、エスペルダの竜王の婚約者か。そりゃ、フォサーリが慌てて毒薬を押し付けてくるわけだな」


 ジュリア・クラインツ公爵の名はもちろん聞いたことがある。


 幼いころにすでに成人しているミゲル・ガルヴォに見初められ、王命で婚約が決められたと祖父母から国の情勢として習った。



『わたしね。おうじさまをさがしていたの』


 リリーのあどけない声が耳の奥でよみがえる。


『ちいさいときにね。こわいめをしたおにいさんのおよめさんになりなさいっていわれたの。こわかった』


 それは、まさにこの男の事だったのか。


『ここじゃないどこかへいきたいなあって。だれかつれていってくれないかなあ』


 吹けば飛ぶ男爵家の次男であるミカエルは、高位貴族に見下されたとしてもなんとでも生きようはあった。

 だけど、ジュリア・クラインツにはなかった。


 竜の男の花嫁にならねばならない日が来るのが怖くてたまらないのに、だれにも頼れなかった。

 ちょっと羽目を外してみたくて似合わないドレスを着て、友人たちとあの会場へ来てしまったのか。


『おうじさま』


 今となっては解らない。

 酔った彼女の下っ足らずな言葉遣いが切なくて、涙が出そうになるのを堪えた。



「とんだ、当たりくじだ。親たちも死にたくなるってもんさ…」


 そして。

 一つ気付いたことがある。


 ミカエルは間違いなくリリーに避妊薬を飲ませた。


 それは高位貴族たちが使う高品質のもので、身体への負担が低いことで知られており、あの夜は特別室だったから寝台の近くの抽斗に様々な備品と共に設置されていた。

 つまりは料金内のもので、あの主催者は管理を徹底していたはずだ。


 考えられるのは、ジェームズたちがミカエルの部屋の薬をすり替えたということ。


 粗悪品なら身体を壊していただろう。

 そもそも薬の見た目は可愛らしい砂糖菓子だ。

 ミカエルがあの仮面舞踏会を最後にハンスの金を散財するのをやめると宣言した時、不満そうにしていた。


 ちょっとした意趣返し、もしくは嫌がらせ。


 連れ込んだ女を孕ませて、揉めるがいいと思ったのか。

 リリーも子どもも無事だったなら、少なくとも粗悪品の薬ではなかったということで。


 ミカエルは、ジェームズたちの悪戯をミゲルたちに告げないことにした。


 言えば、彼らはまとめて報復に遭う。

 だが、ミゲルが手を下さずとも。

 ジェームズたちは自ら破滅へと進んでいく。


 今、自分がそうであるように。



「は………」


 あばらが折れて、息がうまくできない。


 回らない頭で考えた。

 今度こそ、きちんと、殺されなければ。

 もう、たくさんだ。


 ミカエルはわざと蓮っ葉な物言いをつづけた。


「あの子が公爵令嬢とは…。思いもしなかった。あそこで俺も偽名を使ったが、あの子も本名を名乗らなかったからな」


「何と名乗った」


「リリ…」


 教えたくなかったが、齟齬が発覚してあの子が苦しめられるのは嫌だ。

 もう自分は死ぬからいいけど、残されたあの子と、赤ん坊だけは救いたい。


 どうすればいい。

 どうすれば、憎しみの矛先は自分に向く。


「…小さい時に」


 唇を舐めて、話を続ける。


「気になる子がいた。事情があって会えなくなって。そうしたらあの仮面舞踏会でリリに会った。たまたま髪と瞳の色があいつに似ていたから。大きくなったらこんな感じかなって、うっかり手を出した」


「貴様…」


 ぐるる、とミゲルが怒りを懸命に抑えているのか喉を鳴らした。


「あんな妙ちくりんな格好して。仮面舞踏会には貴族と寝てみたい平民の娘はたくさんいる。リリもその手だと思った。だから軽く相手をしてやって、印象薄かったからすぐに忘れたよ。あんたが問い詰めるまで、思い出しもしなかった。ああそうだ。俺としては避妊したつもりだったんだけどなあ。あんとき、間違いなく外に出し…」


「この外道!」


 今度は正面から殴られた。

 拳の当たった顔面だけでなく後頭部を壁に強く打ちつけられて、また意識が遠のきそうになるのを堪えて、さらに喋りたてる。


「なあ、竜王だか何だかのおっさん。甘い水ってさ。飲めば飲むほど喉が渇かねえか」


 とにかく、喋る。


 うるさいと。

 口を閉じさせようと思わせないと。


「…何が言いたい」


「俺はな。ずっと、ずっと乾いていたよ。この顔と身体でどんだけいい目を見ても、楽しいのは一瞬で、ますます乾くんだ。違う、こうじゃない。俺が欲しいのはこんなんじゃないって」


 へらへらと。

 血に濡れた口を開いて笑ってみせる。


「何が言いたいのかわからない」


「そうか。ならいいんじゃないの。公爵閣下もお幸せなことで」


「なんだと。この小僧がっ!」


 ミゲルが剣を再び抜いたのを感じた。


 俺はずっと乾いている。

 ハリに出会った時から。

 いや、それよりも前から

 そして、カタリナ、リリー、ガブリエラ、それからそれから…。


 もう、考える力が残っていない。


「うん、もういいや。もうおしまいにしようよ、『おっさん』」


「おまえ風情が! お前など、生かす価値はない! ジュリアのために死ね!」


 こんな小者ごときの挑発に乗せられ、剣を振るわねばならない高貴な男に、心の隅で詫びながら。

 ミカエルはほっと息をついた。


「捕まえてくれて、ありがとな」



 もう、乾き続けなくていいのだ。


 『おうじさま』


 できることならば。


 彼女と、赤ん坊を。

 神様。



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