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【閑話】ミカエル ⑥ ~居場所~



 リリーを送り出した後、ミカエルは会場を後にした。


 小切手の残りは着替えに戻った下宿先での庭で積まれていた雑草と一緒に燃やし、灰になるまでじっと眺めた。


 あっけないものだ。

 金を使っても使っても、結局満たされることはなく、ともにいた友人たちはどんどん堕ちていくばかりだった。

 あの湖畔での楽しかった日は二度と戻らない。



 飛ぶ鳥の声につられて見た空はじわじわと日の出へ向かおうとしている。

 ミカエルに用意されたこの屋敷は敷地も別宅にしては結構な広さで塀の中を巨木が幾つも生えていてうっそうと枝を伸ばして囲み、奥にあるちいさな鶏舎からも鶏たちの営みが聞こえてきた。

 もうそろそろ使用人たちが動き出すだろう。


 ミカエルはほんの少し所持金をポケットに入れて、いくつかある仮の住処のなかで最も付き合いの長い老婦人の所へ向かう。


 彼女は正妻ながら子供に恵まれず妾の子が家を継ぎ、亡き夫に与えられた都の屋敷で静かに暮らしており、行き場のないミカエルがぽつんと公園のベンチに座っている時に声をかけて、家へ迎え入れてくれた。


 孫か曾孫かという歳のミカエルの手を引いて案内してくれ、食卓で名前を聞かれたるとこの時だけはなぜか本名を名乗った。

 彼女は、ガブリエラだという。


 お互い天使の名前ねと静かに笑った。

 彼女の故郷では定番だったというスープは何が入っているのか不思議な味で、一口含むごとにゆっくりと滋養が身体に染みてくるのか温かくなる。


 その後、彼女はミカエルをミケーレと呼びかけミカエルはガーラと応え、まるで気まぐれな野良猫に接するようにいつ訪れても変わらず食事と寝場所を与えてくれた。

 何も聞かずに、好きなように過ごさせてくれる。


 一番居心地の良い場所だけど、彼女を尋ねてくる人々の中にミカエルを良く思わない者もいるのはわかっていたから、訪れるのは久々だった。




「奥様は、亡くなりました」


 ガブリエラの好きだったパン屋の菓子を手土産に尋ねると、足腰の弱くなった主人を献身的に支えていた中年の侍女が喪服姿で迎えた。


「…いつ。いつ亡くなったのですか」


「夜明け前です。昨夜、少し調子が悪いと横になられて…そのまま」


 よく見ると、彼女の顔は泣きはらした跡が残っている。


「…会えますか。お別れをさせてください」


「どうぞ」


 中は何も変わっていないのに、がらんどうのようだ。


 案内されて入った寝室には、以前会った時よりも小さくなったガブリエラが寝具に埋もれるように横たわっている。


「…あの。ガーラは。苦しまれた…のですか」


 胸の上で組まれた手は触れるとひんやりとしていた。


「いいえ。『夜が明けたらミケーレが来るだろうから、スープの支度をしてあげなくてはね』そうおっしゃって…窓の方をご覧になって…」


「―――っ」


「奥様は、いつもお待ちでしたよ。貴方を」


「――ごめんなさい。ごめんなさい…」


 床に膝をついて、ミカエルは謝る。


 もっと頻繁に訪ねればよかった。

 いや、せめて今日。家からまっすぐ向かったなら間に合ったかもしれないのに。


 ミカエルと侍女のすすり泣く声だけが響いた。



「これを、いつか貴方が来たなら渡して欲しいと言われていました」


 お互いに床に座り込んで泣き疲れたところで、侍女はポケットから箱を取り出してミカエルに渡す。


 受け取り、中を見ると小さな魔石がはめ込まれた金のメダルとチェーンだった。


 昔、彼女の国の女性たちが成人する頃親から与えられ、祈りのために常に首から下げている物だと聞いたことがある。細工を見る限りかなり高価なものだ。


「これは奥様が嫁ぐときにお持ちになったいくつかの品の一つなので、貴方様に渡しても問題は起きないと」


 ガブリエラの継子たちは彼女の死を今か今かと待っていた。


 国の取引で嫁いできたガブリエラは夫の遺言と法に護られて生きていた。


 彼女が亡くなり次第、この屋敷を含めた財産を残さず回収するつもりなのは継子たちの態度をみれば明らかだった。


「でも、こんな高価なものを僕なんかが受け取る資格はないと思う。貴女にこそ権利があるはずだ」


「いいえ。私が持っていたならきっとあの方々に取り上げられるか、盗んだと訴えられるでしょう。奥様の伝言です。『もう私には故郷がないのだから、これはミケーレが好きになさい。ただし売るなら王都は避けた方が無難でしょうね』と」


 ガブリエラは、ミカエルにわける遺産をこっそり用意していてくれたのだ。

 名前以外なにもわからない、成人前の子どもにこんな大切な物を。


「こんな大胆な人だったなんて、びっくりだ。ガーラ…」


「ええ。本当に」


 ガブリエラの小さな黒い瞳が無性に懐かしく、恋しかった。






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