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動揺



 蜜のように心地よく甘やかな眠りを妨げたのは、使用人たちの騒ぐ声だった。


「嘘つけ!」


「そんなの、夢でも見たんじゃないか」


「またまた…。あの荒れ地であるわけないじゃん」


「聞いたことないわ、そんな話」


「ほんとだって! 信じられないなら、自分の目で確かめて来いよ!」


「こいつ、変な薬でも飲まされたんじゃないのか」


「木がっ、木が、ぐんぐん伸びて、屋敷の高さまでなったんだ! 今もそのままだ! あの女も連れのやつらもまだあそこにいるし!」


 一人を囲んで、複数で言い争っているのが厚い扉を通しても聞こえてくる。


「…ん…。なあに…? うるさいわね」


 リチャードの愛を全身に浴びて疲れ果てているコンスタンスが目を閉じたまま呟く。


「大丈夫だ。俺が注意してくる」


 白く滑らかな肩に口づけをして、ベッドを降りた。

 トラウザーズとシャツを身に着け上着を羽織り扉を開けると、使用人と騎士たちが輪になり大声で話している。


「何事だ」


「あ…。申し訳ありません。この者がおかしなことを言うので…」


 廊下で警護の任に就いていた騎士が頭を下げた。


「おかしなこととは?」


「それが…。あの、北の別邸にいきなり大樹が生えたと言うのです」


 答えた騎士を押しのけ、見覚えのある従僕が叫んだ。


「お、俺…じゃない、わたくしは嘘を申しておりません! クラーク様から指示を受けて食材を届けに行くと、屋敷の前にいきなりにょきにょきって木が生えてきて…っ。団長が作らせた木の柵もあっという間に緑に覆われました!」


 顔色は真っ白で全身をガタガタ震わせる従僕は、口から泡を飛ばしながら必死に話し続ける。

 あまりの気味の悪さに、リチャードは一歩後ろへ引いた。


「それ以上近寄るな。こいつは酒に酔っているのか」


「私は一滴も飲んでいません! あるのです。大きな木が、たくさんの樹木が、あの、更地だった別邸の周りに!」


 血走った眼を限界まで開き、口の端からよだれが垂れた。

 見苦しさに顔を背け、騎士に指示する。


「こいつを取り押さえろ。気が狂っている。」


「はっ」


 二人がかりで従僕を床に抑え込む。


「リチャード様! おれは・・・っ」


 喚き暴れる男の腹に一人が拳を入れると、気を失った。


「とりあえず地下に放り込んでおけ」


「はっ…」


 一人が男を肩に担ぎ、地下へ向かって去っていく。

 それに合わせて、使用人たちは三々五々に散った。

 気狂いが暴れただけだ。

 彼らの動揺はしばらくしたら治まるだろう。


「リチャード様…」


 入れ違いに執事のウィリアム・コールが駆け付けた。


「何事ですか」


「大事ない。従僕の一人が酒に酔ったのか気が狂ったのか、妙なことを言って暴れた」


「それは、どのような」


「なんでも、北の別邸にいきなり大樹が生え、柵も緑で覆われたと。まったく迷惑な」


 肩をすくめて寝室へ戻ろうとすると、「お待ちください」とコールが呼び止めた。


「その者の言うことは、おそらく間違いではないでしょう。今、別邸には魔導士がおります」


「・・・魔導士? どういうことだ」


 振り返ると、執事が珍しく責めるような眼差しでリチャードを見上げていた。


「挙式当日から貴方様へ再三申し上げました。ヘレナ様の叔母上であるストラザーン伯爵夫人が面会を求めていると。今朝、しびれを切らした夫人がいらしたので応接間へお通しするとも、私はお知らせしたはずです」


「そういえばそうだったか」


 執事が無粋なことばかり言い続けるので、だんだん聞き流すようになった。

 言われてみれば、伯爵夫人が押しかけて来たと聞いたような気がするが、それは今朝のことだったのか。


 そもそも、ブライトン子爵家出身の女。

 玉の輿に乗りいい気になっているようだが、しょせんは伯爵家ではないか。

 次期侯爵の自分が下手に出る必要はないだろう。


 リチャードは、とにかく心地良いコンスタンスの腕の中へ戻りたくて仕方ない。

 それが、正しいことなのに。

 何故この男は引き留めようとする。

 主君を思いやれない目の前の愚鈍な男を思いっきり殴り飛ばしたい衝動に駆られた。


「こちらの意向を無視して上がりこみ、さらには居座るような礼儀知らずを、お前たちはなぜすぐに追い返さなかった」


 苛立ちをあらわにするが、コールは静かな声で答える。


「まずは、ご自分の目で確かめた方が良いかと思います」


「な・・・。どういうことだ」


「ストラザーン伯爵夫人の来訪および魔導士の施術の件については、道中簡単に説明いたします。今すぐ侍女を呼びますので、衣装室にてお着替えください」


 コールが指を鳴らすと、衣装係の侍女が駆け寄った。


「コール!」


 馬鹿にされている。


 そう思ったリチャードは逆上して大声を上げた。

 しかし、執事はひるまない。



「リチャード様。地下牢へ放り込んだ従僕が濡れ衣であったと露見するのは時間の問題です。今なら、まだ間に合います」


「くだらん! なぜおれが…」


「そんなに寝室へ戻りたいのですか、リチャード様。一分一秒も惜しんでしまうほどに」


「…っ。きさま…っ」


 かっと、全身の体温が上がる。


 図星だ。

 一刻も早く、コンスタンスの腕の中に戻りたかった。


「主を愚弄するか…っ」


 男の襟首をつかみ、手を振り上げた。

 しかし。


「…リチャード様。貴方は今。目の前の現実よりもあの部屋へ戻る事が大事ですか。この先どれほど取り返しのつかないことになっても構わないと。後悔なさらないとおっしゃるのですね。それが我が国の提督であるリチャード・ゴドリー伯爵の判断ならもう何も申しません。私の能力不足という事ですから」


 低く、コールがつぶやく。


「…っ」


 思わず覗き込んだ黒い瞳は、暗すぎて何もわからない。

 深い、闇だ。

 その闇と冷ややかな空気に包まれ、沸騰しきった頭がだんだんと冷まされていく。


 彼は、傍らにいつもいた。

 どんな時も。

 しかし、今。

 何を言わんとしている?


「お気を確かに、リチャード様」


 リチャードの手が離れると、コールは乱された襟元を長い指を使いあっという間に戻す。


「リチャード様。どうかこれ以上…」


 彼は続きを言わずにいったん口を閉じ、言葉をつづけた。


「馬車の用意をさせてきます。玄関でお待ちしておりますのでどうか、お急ぎください」


 侍女に衣装の指示をしたのち、深く一礼して去った。

 



『どうかこれ以上』


 侍女たちに案内された衣裳部屋で着替えながらリチャードは思いに沈む。


 ウィリアム・コール。


 この伯爵家の、前執事の甥。

 そして、父から側近として送り込まれた男。

 彼がそばについてもうすぐ十年になるか。


『どうかこれ以上』


 いつも、是としか言わない男が。

 見たことのない、冷たい瞳で。


『どうかこれ以上』


 愚行を犯さないでください。

 

 コールの言葉の続きが。

 聞こえたような気がした。






 

 コールの言葉の続きが。


 聞こえたような気がした。



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