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君去りし後(竜王物語エピローグ)③



 それから間もなく、ガルヴォ家当主の正式な妻が亡くなった知らせに、周囲は期待に沸き立つ。


 サルマン国の王を始め、子どもには母親が必要だと後妻をねじ込もうと誰もが躍起になり、水面下での争いが始まった。

 もともと愛人の座を狙っていた女性の使用人たちはあの手この手でミゲルの寝室に入り込もうと争って足を引っ張り合い、果てには重傷を負う傷害事件にまで発展していく。

 財や力のある貴族たちとなるともっと悲惨なこととなった。

 互いに潰し合い、殺し合いは常で、脅迫のための誘拐や襲撃など様々な犯罪が起きる。


 それはまるで、小さな虫籠に詰められた虫たちが共食いをしている姿によく似ており、みな取り返しのつかない深手を負い、息絶えた。



 そんな彼らの愚かな争いをよそに、幼いアベルを囲む世界は優しいものだった。


 マレナを始めジュリアの使用人だった者たち、そして密かに土の精霊とエルドがアベルを守った。

 もちろん、エスペルダ側にもホセ夫妻のような心ある者は幾人もいて、彼らも周囲に目を配り、健やかに育てるよう努めた。


 ミゲルは数年後には枯渇するであろう鉱山で働く者たちの今後を見据え、密かに閉山に向けて様々な準備を施す。


 領内の治水工事や道の補修など、平民の暮らしに必要なことは全て早急に策を講じ、資金源として公爵家の財産のほとんどを秘密裏に売却した。


 そして仕事の合間に出来る限りミゲルは息子との時間を取った。


 一晩経つごとに子どもの重さと大きさが変わり、どんどん人間としての能力を得ていく過程に驚き、成長に対する喜びをかみしめながらミゲルは息子を抱きしめる。


 あどけない瞳、ミルクのような甘い匂い、信じられない程柔らかな皮膚。

 様々のことを知るたびに、ミゲルは涙をはらはらこぼした。


 亡き妻を、長男を、長女を思い描き、奪った命の重さを思い知る。

 取り返しのつかない罪の重さに慄きながら、アベルを愛した。


 たどたどしい指使いで黒のキタールを弾いては聞かせ、ジュリアの好きだった歌をマレナに習い歌う。

 ちいさなアベルがやがて寝返りを打ち、這いまわり、つかまり立ちをして歩く。

 たどたどしい足取りで駆け寄り舌っ足らずの口調で『ちち』と呼ばれた時には、ミゲルはアベルを抱き上げ声を上げて泣いた。

 そんな親子の姿を竜たちも見守り続け、穏やかに時は流れる。



 しかし、ガルヴォの平和は長くはなかった。


 アベルは二歳の誕生日を迎え、朝晩の空気が静かに秋の訪れを知らせる頃から風邪をひきやすくなった。

 何度も発熱し、食欲もなくなっていく。


 薬や魔法での治癒も限界で、エルドはとうとうアベルの命の終わりが近いことをミゲルに告げた。


 ミゲルは執務を家臣たちに任せ、息子につきっきりとなった。


 一時は下火になった竜王の次の子に対する期待が高まり、今度こそはと意気込みはしゃぐ欲の塊たちを扉の外へ置い出し、子どもとの最後の時をミゲルは過ごした。

 ホセたちは部屋の周囲を厳重に守り、親子のそばに誰も近寄らせない。



『はう………むむむ、は………』


 土の精霊たちはみなアベルにすがり、懸命に命をつなぎとめようとする。


 そんな彼らに、浅くせわしない呼吸の中幼き竜の子は乾いた唇で告げた。


「ちょこと、みにゃ、ありぎゃと…ね」


 敏い子だった。


 ジュリア同様、精霊たちに愛され、いつも一緒に寝て、いつも一緒に笑っていた。

 朝も晩も、夢の中まで共にいた。


 すっかり衰えて細くなった指に土の民たちは必死に首を振り、小さな身体を伸ばして掴まって、あの日魔女と戦った時と同じように、死の神に抗う。


『むむ………むむむ』


 力の限り、魔力を注ぎ、行かないで、行かないでと光を灯す。


「ちち」


 目を閉じ、額を合わせ、ただただ頭を頬を撫で続けるミゲルにアベルは呼びかけた。


「アベル………」


 苦しいなか幼い身体で必死に生きてくれたアベルにかける言葉がみつからない。


 どうして、この命を息子に与えることができないのだろう。

 あの日、どうして間違えてしまったのだろう。

 今死ぬべきは自分なのに。


 アベルの頬がミゲルの涙で濡れる。


「ばい、ば…い」


 最後にゆっくりと息を吸って、吐いて。

 アベルの命の火は消えた。


「アベル…アベル、アベル………」


 震える手で、がむしゃらに名を呼び我が子の頬を撫で続ける。

 決して戻ってこないことを知りながら。


『はう…は………うぅぅぅ………』


 土の精霊たちははらりはらりと涙を流す。


 土色の塊だったその姿はだんだんと薄い玻璃のように透明になり、やがて。


『ぱりん、しゃん』


 かすかな音をたてて、砕け散った。


『ぱりん、しゃん』、『ぱりん、しゃん』、『ぱりん、しゃん』………。


 まるで空高く上がったしゃぼん玉がはじけるように、一つずつ、一つずつ。

 空気の中へ消えていく。


「ああ…。このままみんな消えてしまうのか」


 傍で見守っていたエルドの寂しそうな呟きに、ミゲルははっと顔を上げた。


「それは、駄目だ」


 慌てた様子で老魔導師に懇願する。


「エルド師。どうか…。末の者だけでも救えないだろうか。『す』と言う名の子だ」


「『す』か?」


 話している間にも土の精霊たちが消えていく音は止まらない。


「そうだ。ジュリアが最初に産んだ…。ホランドのライアンが可愛がっていた精霊だ」


 ミゲルの脳裏に、片頬だけえくぼを浮かべて笑う子どもの顔が浮かぶ。


「ああ…。そういうことか」


 一つ頷いて目をやると、四十六の精霊たちはすでに消え、最後の一つが涙を流しながら色を失くしていくところだった。


『眠れ』


 エルドが手のひらを最後の一粒に当てると、ガラス細工のような姿になった土の民が目を閉じてコロンと転がった。


「ぎりぎりじゃったな。人でいうなら一命はとりとめたといった具合だ」


 ふう、とエルドは息をつく。


「良かった…。きっと、ジュリアも望まない筈だ」


 この世界にとどまり、ライアンと生きて欲しいのではないか。


 ミゲルはそう思い、胸元からハンカチを取り出す。


「これを。ジュリアが縫ったものだ。包んでやればその精霊も慰められるだろう」


 空色の。

 ジュリアがミゲルのために縫った、最初の作品。


 肌身離さず常に持ち歩いていたが、数々の働きに感謝の気持ちを込めてミゲルは彼に譲りたいと思った。


「そうか。では頂こう」


 少し瞠目したのち、エルドは受け取り、丁寧にガルヴォの精霊を包んだ。


「この子は、ホランドの奥方に預けよう。しばらく深く眠らせ、生きる手立てを見つける」


 愛する者も仲間も、皆いなくなった。

 この状態で目覚めたとして、果たして消えようとする意思を止めることができるかわからない。

 時を置くしかないとエルドは告げる。


「ジュリアの命を継ぐ者が一人生きているのだ。きっと、守りたいと思ってくれると私は信じる」


「…そうじゃな」


 エルドが答えて間もなく、窓の外の夕陽が山の影に隠れた。

 天は夜の色を増していった。



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