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君去りし後(竜王物語エピローグ)②


「ちょうど良い機会だ。見て欲しいものがある」


 マレナに促されてやってきたのはジュリアの私室だった。


「ジュリア様が亡くなった以上、もうこれはあんたのものだ」


 テーブルの上に置かれた大きな木箱を開けると、様々なものが出てくる。


 赤ん坊の産着や帽子、靴下、ケープ、毛布、そして刺繍をほどこされた様々な小物。


 ジュリアは手仕事が得意だった。


 いや、閉じ込められて、手仕事をするしか時間を過ごす手立てがなかったのだ。


 思い至ると、次から次へと後悔の念が押し寄せてくる。



「ちなみに、これは最初の…昨年流れた子のために作ったものの写しだ」


 マレナが薄い水色のハンカチを取り出した。


 丹念に同じ色の糸で縁飾りが施され、一面に小さな野の花の刺繍が散っている。


 そして片隅に一か所、ライラックの花が縫い付けられて何か文字が記されていた。



「『ブレア』と古代文字で書かれている。サルマンでは『野原の子』と言う意味で、ゴドリー侯爵夫妻が考えていた子どもの名前を、ジュリア様がつけた」


「どういう…ことか」


「ジュリア様は流れた子が男の子だったと、土の精霊たちから聞いて。産着も縫ってやれなかったと泣きながらこれと同じものを作り、彼らに棺の中に入れてくれるよう託した。」


「なまえ…。ジュリアは…子を、そんなにも慈しんでくれていたのか…。俺の子なのに…」


 一人目の時、使用人たちに虐げられて身体を壊し、さらにミゲルが残虐な場に立ち会わせたばかりに失ってしまった。


「ジュリア様は、そういうお人だ。御子が寒くないように寂しくないように、来世では健康であってくれと願っておられた」


 たんたんと告げながら、マレナは薄桃色のハンカチを取り出す。


 ちいさな花の縁飾りを付けられた布の上には愛らしい黄色い花と春に訪れる鳥が刺繍され、一枚目と同じように片隅にライラックの花が置かれ、その下に文字が記されていた。



「これは、『エヴィ』。『命』と言う名の…女の子の名前だ。クラインツ公爵夫妻が考えていたそうだ」


「女の子…だったのか…」


 こらえきれずにミゲルの涙が手の上に広げられた二枚のハンカチの上に落ちる。


「ホランドの子はミカエルの血縁であるカタリナ様が行きがかり上つけることとなったが、後になってジュリア様の兄夫婦と姉夫婦そしてマーガレット様が、愛する妹が命を懸けて産もうとする子を祝福するために様々な名前の候補を考えていたことをジュリア様は知った。なのでその書付を全てもらい、嫁入り道具に入れた」


「――すまない。すまなかった、ジュリア…っ」


 ミゲルはハンカチを握りしめて嗚咽した。


 ジュリアの全てを自分だけのものにしたい執着心から持ち物全て一新させてしまった。

 返して欲しいと頼まれたのに、新しいものを与え続けた。

 大切な物ばかりを持って嫁いでくれたのに。


「そして、これらは体調が悪くない時に作った御子のためのものなのだが…」


 産着の隅に筆記体の縫い取りがある。


「『アベル』。アベリアの木のように常に緑豊かに枝を伸ばし人々の憩いであって欲しいと。これはマーガレット様が考えていた名前の中から取った」


 子どもが生まれてから。

 ジュリアが亡くなってからまだ三日目で、とても名前を考える余裕がなかった。


「ミドルネームで良いから、アベルと付けたいと、そうおっしゃっていた」


「アベル…。良い名だ。ありがとう。これからはそう呼ぶことにする…」


 アベルの名が記された小物を一つ一つテーブルに並べて眺める。

 小さなケープに、手袋、靴下…白い毛糸で様々なものが編んであった。


 手に取り、その網目の一つ一つに指で触れているうちに、ミゲルの血の気は引いていく。


 思い起こせばあの日。

 ミゲルのせいでジュリアが糸切狭で自害をした時、膝の上には白い毛糸と編みかけの何かが載っていた。

 土砂降りのなか、土と血にまみれて転がったあれは…。



「あの日…。ジュリアはミカエルを慕って、恋の歌を…歌っていたのではないというのか…」


 覚えていないと、目覚めた彼女は言った。


 だから、自分は慌てて蓋をした。

 思い出したなら、きっと憎まれるだろうと恐れて。

 不都合な記憶を隠しジュリアが自分を見つめてくれることに歓喜し、幸せに浸った。


「歌っていたのは、カタリナ様がキタールで伴奏し、マーガレット様と歌った古代語の聖歌や数え歌だ。素朴な民たちの歌ばかりだったそうだ」


「―――――っ」


 目を見開いてマレナを見上げる。

 凪いだ瞳でマレナは見つめ返し、続けた。


「閣下がミカエルを殺しただろうということや、ホランドを人質にジュリア様を酷い言葉で脅したことも何もかも…覚えておいでだったよ。あんたと生きていくために、忘れたふりをなさったのさ」


 そして、最奥から平たい紙箱を取り出す。


「これが、ジュリア様がずっとあんたに渡したかったものだ」


 震える手で受け取り、何度もてこずりながら箱を開けた。


  その中から出てきたのは、ハンカチほどの大きさの布に刺繍が施された作品の数々だった。



「これは…」


 空色の布に雲の峰々が縫い込まれている。


 次の布は雲の切れ間から見える畑の畝と農家、そして馬や牛。

 丘に沿って植えられた葡萄畑、オリーブの木、森、夜の空、そして朝陽…。


 何枚も何枚も。


 それらは全て、竜の背に乗らねば見えない風景。


 最後の一枚は、ミゲルの竜たち。


 一頭たりとも同じではなく、全て特徴をよくつかんで描かれていた。


 そして、これも右下にライラックが刺繍され、流麗な文字が記されている。


「ジュリア様の愛称はリラ。つまりライラックの花だ。そして、ここに刺繍されているのは『わたしのだんなさま』だ」


 ジュリアにとっての唯一無二の呼び名。それは『旦那様』。


 私の、大切な旦那様。

 私だけの旦那様。

 そう、記していた。



「そんな…これは………、ジュリア…」


「そしてこれが、最後の一枚だ。途中だった」


 丸い木枠にはめ込まれた布には身体を伸ばして空を飛ぶ黒竜が真ん中にいた。


 そして、その背には小さな赤ん坊、女性、さらに後ろに黒い糸を何度か往復させた状態で、横に針が刺さったままで終わっている。


「ジュリア様は、無事にお子を産んでこれを完成させたら、願いを一つ。閣下に言ってみたいとおっしゃっていた」


「…なんと…言っていた」


「『また空へ、連れて行ってください』と」


「―――――」


 『空』。


 ジュリアが見上げていた空は。

 帰るための道ではなく。


「まさかお産で命を落とすことになるとは、ご本人も思っていなかったのだろう。御子と、閣下と三人の生活を楽しみになさっていたのだと思う」


 生き生きとした表情の赤ん坊と女性。

 赤ん坊は黒髪に青い瞳。

 女性はもちろん金髪に青い瞳で。

 そして、どこか愛嬌のある顔をした黒竜。


 流れる雲の様や色遣いまで、ジュリアの心の優しさと温かさを表していた。


「サルマンからガルヴォへ連れて行かれた時、竜に乗せられていきなり空に舞い上がって最初は怖かったが、途中から楽しくなっていたのだそうだ。ずっと屋敷に閉じ込められ続けて、初めてジュリア様は外の世界を見たんだ」


 ガルヴォへ運ぶ時、ミゲルは怖がるジュリアを片腕でしっかり抱きしめて飛んだ。

 最初は小刻みに震えていたのがだんだんとそうでないことには気づいていたが、話しかける術を持たなかった。


 まさか、ミゲルの身体の隙間から眼下の風景を楽しんでいたとは知らず。

 まさか、竜たちを愛してくれていたとは知らず。

 まさか、まさか、まさか………。



「ああああ―――――っ。ジュリア――ッ!」


 床に手をついてミゲルは慟哭する。


 何度も何度も謝罪の言葉を言いながら泣く主を、マレナは静かに見守った。




 翌日。


 ミゲルはジュリアの棺に飴色のキタールを一緒に入れ、葬った。

 内情不安を理由に全ての弔問を断り、静かな弔いとなった。



 竜たちは一晩中低く泣き続け、その声はどこまでも響き、山の峰々が震えた。







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