君去りし後(竜王物語エピローグ)①
「これで間違いないか」
執務室でミゲルが差し出したものを手に受け、マレナはほのかに笑みを浮かべる。
「ああ、これだ。あのどさくさでは到底見つかるまいと思っていたから、助かった」
手のひらにのるのは金でできた指輪とそれに通されたチェーン。
マレナ自ら千切ったはずのそれは修復されていた。
ミゲルが命じて早急にさせたのだろう、綺麗なものだ。
「あの女にざんざん嬲られて意識を失った時、あの世へ続くと思われるところへたどり着いたのだが」
問わず語りにマレナは言葉を連ねる。
「式を挙げる前に亡くなった婚約者が膝を抱えて座り込んで大泣きしてな。ひどいひどいと私を詰った」
チェーンを握って目の高さまで持ち上げると流麗な細工が施された指輪がぷらんと揺れた。真ん中に一つ、小さなダイヤモンドがはめ込まれている。
流れる風のモチーフも永遠の愛を誓うダイヤモンドも、オリの趣味だ。
「私の婚約者は乙女な心の持ち主で。この指輪を身に着けていないとあの世に来てはならぬとさ」
ついでにアルバに害された土の精霊たちも連れて行けと言われ、そこに現れた四十六人のちょこっと族たちと引き返すこととなった。
元の世界へ戻った瞬間、彼らは合体して二丁の土の斧となり、マレナと力を合わせてアルバを断ち切った。
悪なる女が消えた今、彼らは元の姿に戻りミゲルとともにいた『すーしゃん』と合流して四十七人となり、ジュリアの子を守っている。
「そうか…」
「中年で長身の男が足を折りたたんで座り込んで縮こまり、唇を尖らせて拗ねている姿は破壊力が凄いぞ。あんたにも見せたいくらいだ」
「いや…その」
マレナが死にかけたのは全てミゲルのせいだ。
「…すまなかった。生きてくれてありがとう」
深く頭を下げるとマレナは喉を鳴らして笑った。
「いいさ。それが仕事だ。そして私は私のしたいようにしただけだ。ただ、婚約者からは四十を過ぎるまでは死ぬことまかりならないと言われた。だから今度はやすやすと死なない」
その言葉に、ミゲルは頭を上げる。
「…息子の…。護衛を頼めるか」
「のぞむところだ」
カタリナとエルドが救ってくれた赤ん坊は、命を取り留めたが、長くは生きられないと診断された。
もって、二年から三年。
そう告げられた時には絶望したが、カタリナから『二年の猶予をもらったと思え』と詰め寄られ、ミゲルはようやく目が覚めた思いだった。
息子に、領民に。
償いをさせてもらえる時間をもらったのだ。
感謝の気持ちでいっぱいになった。
「ホセも副官から外して一緒に務めてもらう」
ミゲルが告げるとマレナは予想していたのかあっさり頷く。
ホセの妻を始め、アルバに操られた侍女に襲撃されて重傷を負った使用人たちは全員助かった。
エルドが後で連れてきた治癒師が治療を行い、現在は回復に向かっている。
これもまた、愛し子であるジュリアの子を守ろうとした者への神の褒美なのかもしれない。
ホセの妻が乳母となることとなり、マレナもいてくれるなら心強い。
「ところで。一つ聞いてもいいだろうか」
マレナが首にチェーンを取り付けながら尋ねた。
「なんなりと」
「ジュリア様が亡くなってすぐの時、あんたは何事か呟き、何もかも捨ててホランドへ飛んだ。なぜだ」
愛する妻の遺骸も、待望の息子も放り出して。
怒りに任せてミゲルは飛び出した。
「心を操られていたとしても、根っこの部分がないと無理なんだ。何を考えていた」
あの、頭が焼き切れた瞬間を思い起こし口にするのは苦痛だったが、そのせいでマレナは重傷を負わされた。
全てはふがいない己のせい。
ゆるゆると息を吐きながら、ミゲルは告白した。
「…最後に、ジュリアは『そら』と言った。それに、彼女は一度も私の名を呼んだことがない。空を飛んで、ミカエルに会いたいと。ミカエルの子に会いたいと言っているのだと思った」
人は死ぬ間際ほど正直になるものだとミゲルは思う。
番の本能のないジュリアをがんじがらめに縛り付け、飛ぶ自由をとりあげた。
ジュリアは、飛んでいきたかったに違いない。
愛しい人々のところへ。
「ホランドで暴れたところで何にもならないことはわかっている。だが、あの時は生き残ったあの子どもが憎くて仕方がなかった。私は、『旦那様』と。最後の最後までジュリアは…ッ!」
ミゲルは頭を抱えて執務机に突っ伏した。
「…ああ…。やっぱり、そうくるか」
妙に冷静なマレナの声に、おそるおそるミゲルは頭を上げる。
「ジュリア様は、わざと公爵閣下を名前で呼ばなかったのだが」
がん、と頭を殴られたような衝撃に、ミゲルは息が止まりそうになった。
「ああ、閣下を憎んでいたとかそういうのではなく。名前が、あいつと同じだから口にするのがどうも…と」
「あいつ?」
「ミカエル・パット」
ミカエルとミゲル。
どちらも同じ大天使の名を元とする名で、サルマン語かエスペルダ語かの違いでスペルが変わっていた。
「…ああ。そういえば…そうなのか」
ミゲルは呆けたように呟く。
「よっぽど、仮の名のハンスであってくれた方が楽だっただろうね。とにかく、あんたが何かの拍子にミカエルのことを思い出し嫌な思いをするかもしれないと思うと、『旦那様』で通した方が唯一無二で良い気がすると、言っておられたよ」
「唯一、無二」
どういうことなのか、ミゲルの理解が追い付かない。
ジュリアはいつも泣きそうな顔をしていた。
こんな年上で野蛮な男に嫁がされ、気候も食事も会わない異国で寂しい思いもして。
嫌われているのが分かっていながら手放せなかった。




