憎しみを力にかえて
「ジュリア様の御子が生きていれば、まだいくらか希望はあろうが…」
エルドは杖を降ろして異形の女を見つめる。
「ホランドに預けた子を贄にすればジュリア様をとりもどせると吹き込み、ミゲル殿に殺させようとしたな」
バレリアの口から攫えと言わせたが、
「だから何だ。憎しみこそ力だ」
にいいと唇を上げてアルバは甥に語りかけた。
「してミゲルよ。小娘の息子は殺してきたであろうな? ホランドのやつらも屠ってを血の海にしてきたか? 奴らは許しを乞うたか。泣き叫んだか。楽しかったであろう」
「お前さんが、両親と弟夫婦にしたようにか」
「………なに?」
ミゲルは一瞬、己の耳を疑った。
「あはははっ! さすが稀代の魔導師と言われた男よ。そこまでわかっていたのか。惜しいのう。お前と組んでおったらうまくいったであろうに」
ガルヴォの先代夫婦は病死、先々代は旅先で自然災害に巻き込まれて水死した。
ミゲルは十歳で公爵を継がねばならず、アルバは後見を名乗り出たが、スアレスでも夫人としての仕事に一切携わっていないことを王と高位貴族たちに指摘され、叶わなかった。
そしてミゲルは早熟な子どもで、優秀な文官を数人雇い入れただけで十分に当主としての役目を果たし、アルバの目論見は潰え、娘が公爵夫人となる時を今か今かと待ちわびていたのだ。
「伯母上は…。私の両親と祖父母を殺したのか? 血がつながっているというのに」
「ふん。だからどうした。邪魔者たちの首を落としただけのこと。愉快だったわ。やつらが苦しみにのたうちながら死んでいく姿はな」
「なんと…」
額に手を当て、ミゲルは呆然とする。
何もかもが。
竜使いの力を持つ自分が生まれたことに起因するとは。
「何を今更聖人君主ぶっておる。お前も同類のくせに」
カカカカカと顎を震わせ伯母だった者が嗤う。
「お前は間男を捕まえた後、三日三晩痛めつけさせてはバレリアに元通りにさせたっぷりこの世の地獄を味わせてから、最後に自ら止めを刺したではないか。あれにはほれぼれしたぞ。さすがは我が甥だとな」
「―――――」
「もちろん見ていたとも。バレリアの中にいたのだからな」
「…そうか」
ミゲルは目を閉じる。
ジュリアを汚したミカエルが許せなかった。
家族が自害してなお逃走し、姿を変え、老若男女問わず身体を売り、生き延びていた男をようやく捕まえた時、怒りは最高潮に達していた。
捕らえて仕置きをバレリアたちに任せ三日目の晩に地下牢を訪れると、意外なことにミカエルは狂いもせず今から殺されると解っていながらどうでも良さそうな態度だった。
「なあ、竜王だか何だかのおっさん。甘い水ってさ。飲めば飲むほど喉が渇かねえか」
最後に言いたいことがあるかと聞くと、ミカエルはミゲルに奇妙な問いかけを投げかけた。
逃走中、荒れた生活だったせいなのか、整った顔の少年は末端とはいえ貴族の子弟として教育も受けていたのに、蓮っ葉な物言いで哀れを感じた。
もう不敬を責める気にもなれなかった。
「何が言いたい」
「俺はな。ずっと、ずっと乾いていたよ。この顔と身体でどんだけいい目を見ても、楽しいのは一瞬で、ますます乾くんだ。違う、こうじゃない。俺が欲しいのはこんなんじゃないって」
宝玉のようであったはずの目は殴られて腫れあがった瞼のせいでほんの少ししか見えない。
さんざん汚れて土くれのようなすがたになっているのに、なぜか。
ミカエルは天使のように美しかった。
「何が言いたいのかわからない」
「そうか。ならいいんじゃないの。公爵閣下もお幸せなことで」
挑発されて衝動的に剣を振り下ろす直前。
「捕まえてくれて、ありがとな」
彼に負けた気気持ちだけが残った。
「同類か…。そうだったかもしれない。私は多くの命を奪い続けたからな」
ミカエル、仮面舞踏会の主催者たち。
遡ればジュリアを手に入れるために、そして手に入れられても幸せを阻むと思われるものには容赦しなかった。
数えきれないほど壊し続け、そして今。
「伯母上はその歳になっても物語に憧れる子どものようだな」
「なんだと」
「力も富も手に入れたとして、どのような未来があると言うのだ。それを欲する者ばかりが群がり、そうでない者には忌み嫌われ、気に入らぬ者を片っ端から殺していけば何もなくなり、裸で生きるしかないぞ」
アルバは下々には生きる価値がないと、少しでも癇に障るとすぐに屠っていた。
使用人、商人、衣装を作る職人たち、時には田畑を耕すものを畑ごと焼き殺したこともある。
「伯母上の夢想する支配者の生活は、人の命があってこそ。たとえ若い女の身体を手に入れ私の子を産んだとして、いったいどんな幸せがあるというのだ」
「それは…っ」
「今の私を見るがいい。何もかも失った。使い方を間違えたのも原因だが、持てる者が最高の幸せを得ると言うわけでない。そもそも、幸せとは何だ。私はその問いを抱え続け、そう遠くない日に枯れるだろう」
乾き続け、疲れ果て。
命が尽きるその時に、感謝するだろう。
終わらせてくれた何かに。
「そんなはずはない。わたくしはこのままで終わるような者ではないのだ。ミゲル、お前さえ…」
アルバが必死になって言いつのるが、上半身のみの異形が縋るその光景は、滑稽なだけだった。
「わかった。もうよかろう。これだけ聞けば十分じゃ」
エルドは杖を掲げた。
頭の部分にぽうと光がともる。
「ミゲル殿、マレナ。終いにするがいい」
マレナは肩をすくめ、担いでいた斧を降ろした。
腰を低く落とし、構える。
すると、ミゲルも黙って剣を抜いた。
「なっ…。待ちなさい。わたくしは…わたくしはまだ多くの事を知っておるぞ。聞きたいであろう?」
この時になって初めて、アルバは己の最期が間近であると気づく。
「伯母上。聞いたところで…。何も変わらぬのだ。ジュリアが死んでしまった以上」
ゆらりと感情のない瞳でミゲルは見下ろした。
「多くの命を奪い、虐げ、国の成り立ちすら破壊した貴方は…。これからどうなるのでしょうなあ…」
笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか。
それもわからない、静かな声に「ひっ」とアルバは怯えた。
「いや。まって、ミゲル――。わたくしが…」
「聞かぬ!」
ミゲルの剣がアルバの頭を貫通する。
「ああああああああ!」
貫かれてなお叫ぶ異形へ、間髪置かずにマレナが斧を振り落とし頭と体を切り離した。
「闇よ。散れ」
エルドが唱えると白銀の、目を閉じても眩しい光があたりを照らす。
キィィィィ――――ン
硬質な音が流れ、風が吹き。
やがて光も音も消え、静まり返った。
ミゲルが瞼を上げると、何事もなかったかのように青い空と草原が広がっていた。
鳥が鳴き、獣の走る気配を感じる。
日常が戻ったのだ。
「終わった。とりあえずはな」
エルドの声を背に、ミゲルは息子を抱えて佇むカタリナの元へと走った。




