大きくなあれ
案の定、外へ出ると注目の的になった。
「…へ、ヘレナ、だ、だいじょ…ぷふっ…っ」
叔母は、扇を握りしめた手の甲を口に当て肩を震わせた。
大爆笑したいところなのだろうが、人目を意識して必死に耐えているらしい。
さすがは貴婦人の中の貴婦人。
「叔母さま。お気遣いいただき、ありがとうございます。おかげさまですっかり回復しました」
「そ、それは…よかった、わ」
どうしよう。
このままでは叔母の息が止まってしまう。
「ええと、ヒル卿。歩きたいので降ろしていただけますか」
仰ぎ見るとみるみる眉間に綺麗なしわが寄った。
美形は眉間の皴すら様になるから恐ろしい。
「だが…」
「あの。マントもありがとうございました。今の私は汗ばむほどに温まっています」
実際、厳重にくるまれたうえヒルの体温であたためられ、長風呂に浸かっているような状態だった。
この、首元から立ち上る熱気を感じてくれと目で訴えると、何故かむうと唇を尖らせてしばし考え絵を巡らせたのちようやく折れた。
「わかった」
あからさまにしぶしぶといった様子で腰をかがめ、静かに地面へ降ろしてくれた。
しかしマントは解いてくれたが、まさかの上着の着脱は拒否。
ビッグベア=ヒルの上着をちびっこ=ヘレナが着ると、ぶかぶかのがばがばだ。
彼の腰程度のはずの裾が足首まで来てしまう。
無茶だと抗議したら、跪いて長すぎる袖を折り上げて調整し始めた。
「いきなり薄着になるのはダメだ。日が傾き始めて地面ももう冷たい」
背後で、ばきっと何かが砕けた音がした。
何が起きているのか怖くて振り返れない。
「ほら、首元までちゃんとボタンを詰めて。…ああ。詰めてこれか。なら、これを巻け」
ポケットから大判のハンカチを出して首に巻きつけ、きゅっと縛られた。
そして、ベージル・ヒルは深く頷いた。
「これでよし」
おかあさんか。
みっしりと繊維の詰まった騎士の上着の重みに多少よろけながらも出来るだけ背筋を伸ばし、足を踏ん張り踏ん張り歩いた。
「ヘレナ…」
叔母の声がまだ震えている。
「大丈夫です、叔母様。時間がないので先に進めましょう」
叔母だけでなく、テリーやラッセル商会、叔母の従者たち、それとゴドリー家の使用人や騎士たちの生温かな視線を浴びるのがつらいが、構っていられない。
「それより二時間も皆様にお任せしたままで、申し訳ありませんでした」
「いえ、大丈夫よ。私も邸内をきちんと確認したかったから、戻ってきたクラーク卿に隅々まで案内してもらってようやく終えたところだったの」
「なるほど」
件のヴァン・クラークは驚きに目を見開いたまま固まっている。
あんなこんなのを見られたとか、もうそんなのは…。
この男も間抜けな顔すら様になるから、ああ、もう全てが腹立たしい。
「ヘレナ様。体調が回復して何よりです。我々も色々支度をしていましたが、ようやくめどが立ち、ちょうど良い頃合いでした。あとは術をかけるだけなので」
話を切り替えてくれるシエルの気遣いがありがたく、胸にしみわたる。
「ありがとうございます。その、術というのはどのようなものですか?」
「こちらへどうぞ。けっこう迫力があって面白いので、ヘレナ様にはぜひお見せしたかったのです」
手を差し出されて載せると、そのまま門のそばまで導かれる。
「ここです」
立ち止まった先には、地面に埋められたばかりの木の苗木があった。
「これは…。もしかして、イチイの木ですか」
「はい」
ヘレナの膝ほどの高さしかない、細く頼りない木。
しかし、しっかりと茂った深い緑の葉から生命力の強さを感じた。
「植えるときに水をやったので少し地面が冷たいのですが、両膝をついて根元近くに両手を当ててもらえますか」
ようは、四つん這いだとヘレナは理解する。
「はい、こうですか」
借りた上着が土に汚れるのが申し訳ない気になるが、どうせ脱ぐのは許可してくれないと思い直しそのまま言われるままの体勢をとった。
「ええ。では失礼して」
シエルは肩の触れるほどのそばに膝をつき、そっとヘレナの上に両手をのせた。
「目を閉じて、これから私が言うとおりに念じてください。声を出す方が楽ならそれでも良いです」
「はい」
『ヘレナ・リー・ブライトン・ストラザーン・ゴドリーが命じる』
「ヘレナ・リー・ブライトン・ストラザーン・ゴドリーが命じる」
『サイモン・シエルとリド・ハーン・ラザノの術を介し」
「サイモン・シエルとリド・ハーン・ラザノの術を介し」
『この地の守りを固めん』
「この地の守りを固めん」
『強くなれ、鋭くなれ』
「強くなれ、鋭くなれ」
『根を張り、枝を伸ばし、葉をつけ、柵となり塀となり壁となり盾となり、大気を潤せ』
「根を張り、枝を伸ばし、葉をつけ、柵となり塀となり壁となり盾となり、大気を潤せ」
『今こそ、応じよ』
「今こそ、応じよ」
そして、シエルはぎゅっとヘレナの手を握り、いつもより力強い声で唱えた。
彼の息遣いが、土の感触が、木の香りが、ヘレナの全てになる。
これからいうことが一番重要なのだとヘレナはとっさに理解した。
『大きくなれ、大きくなれ、大きくなれ…大きくなれ、大きくなれ!』
シエルの手のひらから、何とも言えない力を感じた。
言いようのない何かが、触れ合った部分からヘレナの全身を駆け巡り、そして手のひらから放出されていく。
ヘレナは土を握りこむようにして念を込めた。
「大きくなれ、大きくなれ、大きくなれ…大きくなれ、大きくなあれ!」
言い終えた瞬間、地中深くからずうんと音が響き、大きく揺れた。
「きゃ…」
叔母が珍しく小さいながらも驚きの声を上げた。
「目をどうぞ開けてご覧ください。始まります」
耳元で、シエルが囁く。
「え…」
すると、目の前のイチイの木がとてつもない速さで成長していく。
「うん、良い感じです。さあ、ちょっと離れましょうね」
言うなり、今度はシエルがヘレナの膝裏に手を差し込み抱き上げた。
そして、周囲を見回して大声を上げる。
「みなさん、植えたばかりの木と柵から離れてください!」
「いわれなくても!!」
珍しく、テリーの焦った声が聞こえた。
「全員、こっちへ来い! 不用意に近づかなければ巻き込まれないから落ち着いて」
何事かと玄関から顔をのぞかせていたマーサ達も、急いで走り出てテリーの周りに集結した。
「ゴドリーのお前らもだ! 余計なことをするな、言われた通りにしろ!」
ヴァン・クラークも植樹を手伝わされたらしい従者たちに声を張り上げた。
イチイの木だけではなく、柵に沿わせて植えられた野茨がいきなり枝を伸ばして葉を茂らせ、どんどん巻き付いていく。
さらに、遠目にはよくわからなかった木がどんどん葉を広げながら高さを増していく。
玄関の左右に新たな門のように姿を現していくのを見てようやく思い出した。
そういえば、レモンも植えると言っていたような。
「すごい…凄いわ」
叔母は、従者たちに囲まれてその様を見つめていた。
地面が揺れた瞬間は驚いたようだが、今は目を輝かせてその光景を楽しんでいる。
「は…。話には聞いていたが、これほどとはね」
従業員たちを安全な場所まで下がらせたテリーはもう状況に慣れたらしく、腕を組んで冷静に眺めていた。
「お前ら、近づくな、離れろ!」
ベージル・ヒルが部下たちに叫んだ。
好奇心に駆られて、伸びる茨に手を伸ばそうとする者がいた。
「…うわっ!」
まるで獣のように枝がその者にとびかかり、棘で傷をつけた。
「…っ、あの馬鹿」
ヒルの舌打ちに、近くまで歩み寄ったシエルは平坦な声をかける。
「想定内です。後で私が責任をもって手当てしますよ」
わざとだ。
ヘレナはピンときた。
おそらく、ゴドリーの者たちを威圧するためにわざわざ術を披露した。
それはヒルも同じだったらしく。
「…お前、意外といい性格してんな」
頭をかきながらぼそっと言うと、シエルはヘレナを横抱きにしたまま答えた。
「おほめに預かり恐悦至極です」
なぜか谷間にヘレナをはさみ、山の頂上のヒルとシエルがにこにこと笑いあい、親交を深めている。
どこからかまた騎士たちの悲鳴が聞こえるが、二人は見つめあったまま動かない。
もしかして、恋に落ちたのか。
美形の頂上決戦あるあるだ。
「いや、それより降ろして…」
ヘレナのつぶやきは当然黙殺され、事態は変わらない。
仕方ないので、隙間からレモンの木がわさわさと伸びるのを眺める。
面白い。
面白いけれど。
慣れればなんてことないんだな。
超常現象が収まるのを待つうちに瞼が重くなり、ヘレナはまた眠ってしまった。
木々の成長が止まるまで、実はほんの五分ほどだった。
しかし、屋敷を取り囲む柵は野茨ですっかり覆われて木材はほとんど見えず、点在しているレモンの木もそよそよと風に枝を揺らしている。
そして。
門のそばにはありえない状態のイチイの木が立っていた。
男たちが数人がかりで囲んでようよう届くような太さ。
屋敷の屋根に届く高さまで伸びた枝。
ところどころ浮き出ている根もがっしりと地面をつかみ、千年以上生きてきたような堂々たる姿。
誰がみても、古木だ。
「ば、ばけもの…」
負傷した者たちは座り込み、シエルを恐怖の目で見る。
「なにを馬鹿なことを」
眠るヘレナを抱いたままシエルは彼らを見下ろし、美しくも不敵な笑みを浮かべた。
「魔導士庁職員、サイモン・シエル。まちがいなく人間です」




