四十七のちょこっとたち
風が優しく頬を撫でる。
花々がそよいで葉の触れ合う音が波のようにやってきては通り過ぎた。
「ほぽーう、ぽー」
隣でオリがまた笛を吹きだした。
「手で温めながら吹くと良い音が出るんだよ」とオリは少し得意気そうだが、聞きなれないその旋律は遠い昔に使用人の子たちが吹いていた草笛のように素朴だ。
「ぽー、ぴー、ぷー」
やがて、キタールの音がだんだんと近づいてくる。
「あのね。目が覚めたらここのことは忘れてしまうようになっている。夢ってそういうものだからね」
ふと笛から口を離してオリは言う。
「ええ?」
「でも、大丈夫。すごく大事って思ったことが一つだけ。心の中に残るから」
彼の言葉が終わる前に、指先に軽く何かが触れたのを感じ、下を向いた。
『はう…』
「あら」
豆粒ほどの小さな、土の民たちが五名。
それぞれジュリアの左手の指先に自らの両手を添え、つぶらな瞳で見上げている。
【おひめさま むかえに きたよ】
スカートの上に走る、土の文字。
懐かしくて目の奥がつんと痛んだ。
「ちょこっとのみなさん、どうしてここに?」
尋ねると、彼らは一斉に喋り出した。
【われら せいれい どこでも いける】
【おひめさま かえろう みんな まってる】
【つよつよ りゅうおう ぽかすか】
【あねさま りゅうおう めっ した】
【りゅうおう えーんえん きたーる へたくそ】
「ん?」
思わず、ジュリアは首をかしげる。
「キタールを、あの人が?」
途端に、キタールの音が大きくなった。
まるで、間近で演奏しているように。
耳を澄ますと弾き手が二人いることに気付く。
一人は力強く危なげない調子だが、もう一人はたどたどしく、時々しか音が合わないし自信なげだ。
「みなさんお待ちかねのようだね」
オリが笑いながら立ち上がり、手を差し出してきた。
本当に、彼は嘴や足の長い鳥のようにひょろりと大きい。
土の民たちが触れていない方の手を重ねると、しっかり握って立ち上がらせてくれた。
「さあ。もとの世界へおかえり。土の民たちが道を教えてくれる」
彼の指さす方向を見ると点々と小さな粒が宙に浮いていて、まるで見えない糸で繋がれた珠のようだ。
「おや、今日は全員総出で迎えに来たんだね。四十七人もいると壮観だなあ」
「え? どうしておわかりになるのですか」
遥か彼方まで見えているような口ぶりに首をかしげると、『はうはう』と手の中に収まっている土の民たちが話しかけてくる。
【われの なは い】
【われの なは ろ】
【われの なは は】
【われの なは に】
【われの なは ほ】
「い・さん、ろ・さん、は・さん、に・さん、ほ・さん?」
一人一人に尋ねると、みな、嬉しいのか、ほんのり赤みがさした。
【われも われも!】
道案内のために繋がっている土の民たちが騒ぎ出す。
「ははは。本当は名前を名乗りたかったけれど、悪いモノが聞き耳を立てていたからできなかったんだね。よかったなあ」
色々な土地を回ったオリが言うには、彼らの名前は遠い国の数え歌にちなんだものらしい。
一音ずつ数えていくと四十七になるという。
「まあ、あちらでは口にできないから今、一人一人、名前を呼んであげるといい。最後の子と挨拶したら、きっと君は目覚めるだろう」
今は女神の領域だから危険は及ばない。
土の民たちは小さな黒い目をきらきらと輝かせている。
「わかりました。ありがとうございます、オリ様。貴方に出会えてよかった」
「うん。僕もだよ。君の手助けができて、本当に良かった。きっと、褒めてくれると思う」
そういうと、オリはとんっと優しくジュリアの背中を押した。
「ほらほら、早く行かないと、竜の涙であっちが洪水になっちまう。さあ、もう一度『い』から始めてごらん。君のしあわせを、願っているよ」
「ありがとうございます。オリ様もおげんきで」
「ふふふ。そうだね。元気に待つよ」
キタールの音に合わせて土の民たちが揺れる。
どうやら踊っているようだ。
少し前まで絶望に囚われ泣いていたというのに、今はとても心が軽い。
手の中を改めて覗き込むと五人の土の民たちが輪になって見上げている。
「では、改めて。迎えに来てくれてありがとう、『い』さん…」
『い』は両手を上げて小さく飛び上がると、ぽん、と小さな小さな花をてっぺんに咲かせた。
それは空色の愛らしい花弁で、勿忘草を思わせる。
名を呼んだ。
それだけで花を冠して喜びを表すこの精霊はなんと清い心の持ち主か。
夢から覚めて、全てを忘れたとしても。
この幸せな気持ちはきっと残される。
そんな気がした。




