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オリ




 見渡す限り、一面の白い花畑。

 マーガレットやヒナギクに似た黄色いおしべに白い花弁。

 風が吹いてさわさわと揺れる。


「マーゴ! どこにいるの! ねえ、マーゴ、いないの?」


 ジュリアはあちこちに向けて声を張り上げては、泣きながら走る。

 広い花畑で独りなのが悲しくて寂しくて、苦しかった。


 ここは、死後の世界ではないのか。

 マーガレットは善き人だった。

 なら、罪人のジュリアは一緒にいられないのか。


 走って、走って走り回って探すけれど、どこまでもどこまでもひとりぼっちだ。

 白い花を踏みつぶして走ることに罪悪感に苛まれながらも怖くて。

 この美しい世界から逃げ出したいのか、それとも。



「ああっ」


 不意に躓いて転んで、座り込んだまま両手を目に当てて泣いた。


「うわああ――っ」


 罪を償ったのではない。

 死んで楽になりたかったのだと、身勝手な自分の更なる罪を思い知る。


「ごめんなさい、ごめんなさい…」


 泣いて、詫びるしかない。

 でも、あの人はここにいないのだ。


 嗚咽するジュリアの周りで白い花たちはふるりと揺れ続けた。



『ぽ・ぽう』


「――っ」


 突然、直ぐ近くで聞きなれない音がしてジュリアは顔を上げる。


「ぽーー、ほーー、ひゅるーー」


「…え?」


 いつの間にか隣に背の高い痩せた男が足を折り畳むようにして座り、陶器でできた不思議な形のものを口に当てて鳴らしていた。


「ぽー、ぴー、ぷー」


「……あの」


「ああ、これは失敬。泣き止みましたか?」


 陶器に息を吹きかけるのをやめ、にっこりと人のよさそうな笑みを浮かべる。


「あなたは、いったい…」


「僕はの名前はオリ。職業はなんだろうな…彷徨い人? 奥さん、いや、恋人…って言ったらこの間殴られちゃったな。ええと、僕の大好きな人と夢で逢いたいから、ずっとここにいるんだ」


 年のころは三十半ばだろうか。

 麦わらのような髪はぴんぴんと自由にはね、赤土色の瞳は大きく、細面のせいか頬骨が高く見える。


「夢で、逢いたい人…」


「うん。僕、もうすぐ結婚できるのに、うっかり死んじゃったからもう未練たっぷりで、あの世に行くのを断って、女神さまたちの小間使いになったんだ。それで今、ここにいるんだけどね!」


「ここ?」


「うん。あの世でもないこの世でもない何でもアリなんだけど、誰でも来れるわけじゃない。夢の中のようでそうでもないし、なかなか面白いところかな。まさかここで君に会うとは思わなかったし」


「私をご存じなのですか」


 ジュリアが尋ねると、オリはぺん、と額を叩いた。


「あ。あんまり詳しく言ってはいけないんだった。今のはなし」


 おどけて、ぷぽ、と陶器を吹く。


「それは、笛なのですか」


「そう。僕の生まれた国…獣人がたくさんいるところなんだけど、そこではけっこう当たり前の楽器」


 オリは鳥なのだという。


 言われてみれば、彼の姿はコウノトリなど足の長い鳥に雰囲気が似ているし、笛の音は鳩やフクロウを思い起こさせた。


「獣人? まあ、初めてお会いしました」


「おやそうなのかな。意外とあちこちに紛れているから、君は気づいていないだけかもしれないよ」


「そう…なのでしょうか」


「うん。まあ僕みたいに先祖代々獣人というのは君には珍しいことだろうけれど、先祖をさかのぼると意外といるもんだから」


「そう言えば…長い間私の護衛をしてくれた女性がそのようなことを言っていましたわ」


「ほらね。珍しくないでしょう」


「本当に」


 二人は顔を見合わせて笑った。


「僕は家族を早くに亡くしてね。よくわからないけれどツガイが遠くにいるような気がして、国を出たの」


 それからオリは色々な仕事をしながら旅をしたらしい。


「…あの。ツガイとは、いったいどのような意味ですか」


「うん。簡単に言えば奥さん。神様が決めた、たった一人の人。魂の片割れ…って言ったら、重いっ! って、殴られたことあったっけ」


 痛みを思い出したのか笑いながら頬をさする。


「まあ、お元気な方なのですね」


「うん、強くて、かっこいいんだ。見つけた時、彼女は五歳で。とてもとても可愛かったよ。ヒグマの子どもみたいに勇敢な目をして愛らしくて。僕は二十歳をとうに過ぎていたけどね、でも絶対この子僕の奥さんだ! って思わず駆け寄ったら、凄い力で膝を蹴飛ばされて、これが痛いどころじゃなくて」


 その後駆け付けた家族に取り押さえられ、彼らは『ツガイ』について知識はあったが二十近くも歳の差があることから、近づくことを禁じた。


 しかし彼らは良心的な人々でもあった。


「一年に一度だけ、彼女のお誕生会に家族の仕事仲間のおじさんとして紛れ込ませてもらって、贈り物を一つ渡すことだけ許されてね。一分間だけお話できた。もう、その日のために僕は頑張って稼いで生きたね!」


 あまりにも的外れな贈り物を持っていくとたしなめられ、指導も受けた。

 途中から好物と聞いた食材を片っ端から手に入れて山ほど積み出ししたら、彼女もだんだんオリをただの知り合いのおじさんではないなと気づいたようで。


「十五歳の誕生会に彼女からもしかして、と尋ねられた時には天にも昇る気持ちだったよ。結婚してくださいって床に額をこすりつけたら、二年後ならって言ってくれて、本当に死ぬかと思った」


 彼女自身にはツガイに対する感覚は全くないが、オリのただならぬ様子にまあ応じてもいいかと考えたらしい。

 十五歳が三十半ばの男と結婚してもいいと言ってくれるなんて思いもしなかった。

 オリは大喜びで彼女の住む集落からそう離れていない場所に家を買い、二年後に向けて準備を始めた。


「僕、どうしてもね。いっぱい贈り物したい性質みたいなんだ。ツガイが喜んでくれるかなあ、喜んでほしいなあって頭がいっぱいになっちゃうんだ」


 家の中は、オリの愛でいっぱいになっていく。


「贈り物…」


 ジュリアの脳裏に記憶が浮かぶ。


 たくさんのドレスと宝飾品。

 贅を尽くした家具。

 黒く美しい細工が施された最上級のキタール。

 初めて足を踏み入れた時、部屋いっぱいに埋め尽くされた花たち。



「ああ…。そういう…。そういうことだったのですね…」


 ジュリアは胸元をきゅっと握りしめた。


「もっと喜んでほしくて、ちょっと危険な仕事を受けちゃったら、やっぱり殺されちゃってねえ。いやもう、なんて間抜けなんだろう僕は」


 陽気にぽこんと拳で頭を叩く。


「それでね。僕の今の仕事は、君の希望を聞くこと」


「え?」


「このまま、あの世へ行っちゃうか、この世へ戻るか。好きな方を選んでいいって」


 軽い調子で語り続けているが、オリの表情は違った。


 真剣な眼差しをした年上の男性として。

 背筋を伸ばしてジュリアに問う。


「戻ったとしても、苦しいことばかりかもしれない。でも、良いこともあるかもしれない。全ては君次第だよ」


 良いことも悪いことも自分次第。


 これまで、自分はあの人と向き合う努力をどれほどしてきただろうか。


 どのような結果になったとしても。

 今のままでは誰にも顔向けできない。


 もしあの世でブレアとエヴィに会ったら。

 こんな私が母親だなんて、きっと落胆するだろう。



「私…」


「うん」



 遠くから、キタールの音がかすかに聞こえてきた。



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