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ベージル・ヒルは心配性


 もうすぐ二十年になるというのに、鮮明に記憶がよみがえる。




 小さな小さな妹。


 年を尋ねると決まって五本の指を自慢げに前へ突き出し「さんさい」と答えるのが面白くて、兄たちと何度も聞き返した。


 可愛くて可愛くて。

 可愛くて仕方なかったから、みんなで構い倒した。


 なのに。


 ある日、急に咳こんで、噴水のように吐いた。


 それからはあっという間で。

 三日後には小さな棺の中に入れられた。


 その翌日、隣に並べられたのは大きな棺。


 母も妹が可愛くて、心配でたまらなかったのだろう。

 妹が寂しくないように、翌朝旅立ってしまった。


 冬の、朝日の眩しい、とても寒い朝のことだった。






「ヒル様。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ちょっと眠ればきっと治ります」


 亡くなった母ほどの年齢の女性が苦笑しながら傍らであれこれと世話を焼いてくれる。


「しかし…」


 長椅子でこんこんと眠り続ける少女が怖い。

 少し前までは、渡り鳥を追いかけてあんなに元気に走り回っていたのに。

 クロスボウを操る腕も力強く、疲れているなんて、思いもしなかった。


「むしろ、ヒル様は寒くないですか。シャツ一枚ではさすがに…」


 毛布代わりに魔導士のコートがかけてあったが、それだけでは不安だったので、自分の着ていた上着を統べて脱いで小さな身体の上にのせた。


「私は大丈夫です。色々とお気遣いありがとうございます」


 立ちっぱなしでいる必要はないと、同じ部屋で休憩を始めたラッセル商会の従業員たちがヒルのために、こんこんと眠り続ける少女のそばに椅子と簡易テーブルを設置してくれ、飲み物と食べ物も分けてくれた。


 彼らはこの少女…ヘレナ嬢との付き合いが長いらしい。


 気負うことなく、しかし適度に気にかけ、異分子のヒルに対しても自然に振舞っている。


「いえ。ヒル様が看てくださるおかげで、私たちも安心して寛げますから」


 マーサと名乗るその女性従業員に促されて淹れたての紅茶とサンドイッチを口に入れる。ある程度腹に納めたのを見届けると彼女はにっこりと人のよさそうな笑みを浮かべ、ソファセットの歓談の場へ戻っていった。


「ちび…」


 被せてくるんだ上着から覗く小さすぎる白い顔。

 尖った顎、ほとんど肉のついていない頬。


 怖くて、怖くて。

 ヒルは口のあたりに何度も手をかざし、呼吸を確かめずにはいれられなかった。







 深くて暗い水の底に沈んでいたような気がする。


 けっしてそれは悪しきものではなく、しっかりと守っていてくれて、安心して身を任せていた。

 確かな重みが、心地よい。

 しかし、ふいに明るい水面へ引き上げられた。


 身体が、軽い。




「…んん?」


 思わず声が出たらしい。


「ち、ちび! 目が覚めたか! 大丈夫か、気持ち悪いとか、頭痛いとかないか!」


 ぼんやりとした視界に入ってきたのは、赤茶色の眼、そしてオレンジ色に近い赤い髪。


 若い女性たちが大騒ぎするような精悍な顔を盛大に歪めて、矢継ぎ早に話しかけてくる。



「ああ…。ちびとか…」


「なに、どうした。腹が痛いか、声がおかしいぞ、喉が変なのか」


 頓珍漢なことを言いつのるが、本気で心配していることだけは、よくわかった。


「いえ…。だいじょうぶです。ちょっと寝起きでぼんやりしているだけで」


 身体の上がものすごく重い。

 そして、熱い。


 しかも、ヒルの顔がめちゃくちゃ近い。

 近すぎる。


「ああ、起きたのですね。カタリナ様がヘレナ様はお疲れのようなので少し寝かせておこうてって仰ったのです」


 身体が金縛りに近い状態なので、声の方に視線だけやると、ラッセル商会の古株従業員・マーサがにこにこと楽し気に笑っている。


「居合わせたヒル様を警護にご指名されたら、ずっと心配してそばにいてくださいましてね」


 マーサにはヒル卿より大きな息子たちがいて、彼らもラッセル商会で働いている。

 彼女にとって、熊のように大きなこの騎士団長も息子のようなもので微笑ましく映るらしい。



「それは…。ありがとうございます。私、どのくらい寝ていたのでしょうか」


「たった二時間ほどだ。それよりもう起きて大丈夫なのか。辛いなら寝室の準備は終わっている。そちらへ移すぞ」


 先ほどから彼はヘレナの横に跪いたままで、このままではせっかちなヒルに今すぐ寝室へ連行されそうな勢いだ。


 ステイ。


 そう命じたくなるのをこらえた。



「いえ…。おかげさまですっきりしました。それより、叔母さまやシエル様は?」


「外を整備すると行って出たきり、どうなったかは知らない」


「なら、起きて見に行きたいです…って、あの」


 言い終わらないうちに、ヒルは慣れた手つきでヘレナの身体を起こし、手早く騎士団長の上着を羽織らせ、マントでぐるぐる巻きにする。


「ヒル様…。本当に…」


 ぶふっとマーサが口元を抑えて吹き出したが、ヒルは大まじめだ。


「寝起きは寒い。風邪をひく」


 そしてヘレナを両腕で抱え上げた。



「え…っ、あの、ヒル卿!!」


 ヒル卿の腕の中だと、視線の位置が途方もなく高い。


 助けを求めて見渡せば、ラッセル商会の従業員たちの目がキラキラと輝きすぎて、死ぬほど恥ずかしい。


「うう…」


 うなる以外に何ができようか。


「まだ寝ぼけているだろう。転んだら大変だ。運ぶ」



 おくるみに包まれた赤ん坊のような状態で、ヘレナは外へ連れ出されることとなった。





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