助け手
「誰も入って来るなぁっ!」
竜の男の怒号に人々は震えあがり一目散に逃げだす。
ジュリアは一命をとりとめた。
理由として己の首に突き刺したのが鋭いながらも小さな糸切狭で彼女自身が非力であったこともあるが、回復魔法の使い手であるバレリアがそばにいたことと医師がすぐに駆け付けたことが大きい。
両腕を切断されたホセも早い処置のおかげで失うことを免れた。
しかし間もなく大きな問題が判明した。
三日三晩こん睡状態だったジュリアが目を開き、ミゲルと医師が声をかけたがまるで反応がない。
青い目を見開いたまま、表情は抜け落ち、それはまるで大きな人形のようだ。
身体は医術と魔術で綺麗に治すことができた。
だが、心は粉々に砕け散ってしまったのだ。
ジュリアは辛うじて呼吸だけは規則正しく行っているが、ただそれだけ。
口も舌も動くことがない状態では、明日をも知れない容態であることに変わりはない。
このままでは長くはないと医師に宣告され、それみたことかと周囲が騒ぎ立てて以来、ミゲルは寝室への人の出入りを拒絶した。
ただひたすら、寝台で目を開いたままのジュリアに取りすがり、許しを請い続けた。
「ジュリア…ジュリア…。すまない。あの時の俺はどうして…」
今となっては自分でもよくわからない。
どす黒い感情に突き動かされ、一生秘密にしておくつもりのことまでぶちまけてしまった。
ジュリアは自分たちと価値観が全く違い、優しくか弱い。
自分を虐げてきた使用人たちを罰しているのを目にした衝撃で子を流してしまうほどに。
この国では当たり前のことに驚き怯え、胸を痛める。
それなのに、なぜ自分は。
あれから何日経ったかわからない。
ミゲルは寝室に籠り続けた。
「私を許さなくて良いから、どうか、戻ってきてくれ…」
床に跪いて懇願する。
「それならば、離縁していただけると言う事ですね」
聞きなれない声がして顔を上げる間もなく、背後から襟を掴まれ強い力で放り投げられた。
不意を突かれたミゲルは床を転がり、壁に背をしたたかに打ち付ける。
「な…」
いつの間にか、寝台のそばに二人の女が立っていた。
一人はジュリアの姉であるマリアロッサ・ゴドリー。
もう一人はたしか護衛をしていた女で、むき出しの右腕が通常の二倍に膨れ上がり、熊のような毛がびっしりと生え指先からは長い爪が光っていた。
「マレナ、もういいわ」
「はい」
あっという間にマレナの腕は人間のそれに戻る。
しかしドアの外から中を窺っていたらしい家臣たちは大騒ぎだ。
「なんと、無礼な!」
「ご当主様! この異国の女たちに処罰を!」
「何を言っているのやら。役立たずの妹を引き取れとせっせと手紙を送ってきたのも、ここに案内してくれたのも、貴方たちなのに。この国の人間はずいぶん身勝手ですこと」
決して扉の中に入らず騒ぐだけの人々を鼻で笑い、マリアロッサは寝台に座り、眼を見開いたままのジュリアの頬に手を添える。
「ジュリアに触れるな!」
喚き駆け寄ろうとするミゲルの頬にマレナは握りこんだ拳を叩きつけた。
「―――!」
誰もが息をのむ。
「時間がない。あんたはジュリア様をこのまま殺したいのか、それとも生きて欲しいのか、どっちだ」
敬称も何もなく、ぶっきらぼうにマレナは尋ねる。
見下ろすその瞳は凪いでいて、ミゲルは息を飲んだ。
殴り飛ばされ床に転がるミゲルの姿に外野の非難はさらに燃え上がったが、意に介さずきっぱりと言った。
「ミゲル・ガルヴォが先祖返りの竜王で、妻に望まれたジュリア・クラインツ公爵令嬢が番であると知ったうえで、この状況とは、エスペルダ国の民はずいぶんと呑気なものだな。命が惜しくないと見える」
番と。
今までミゲルが口にしたことはない。
それは古き獣人たちの習性で、現在はほとんど聞かない言葉だ。
竜使いの能力を発現する者はその性質を持つ者が多いと書物に書き記されてはいるが、次第に忘れられていった。
「噂には聞いていたが、あんたは本当に愚かだな」
ぐるりと室内を見回したのちにじろりとにらまれ、ミゲルは返す言葉もない。
マリアロッサは二人をよそに変わり果てた妹の手を握りしめ、回復を祈り続けている。
「………」
「キタール」
たんたんとマレナは続けた。
「あそこにある新しいのじゃなくて、嫁入り道具の中にある、ジュリア様のキタール。それだけでいいから今すぐ出せ」
傍若無人な物言いも、今のミゲルにはどうでもいい。
この女は、ジュリアを助けに来たのだと確信した。
「…どういうことだ」
「あれは、ジュリア様の心のよりどころだ。四年前にカタリナ・ストラザーン小伯爵夫人からもらい受けて、マーガレット・ゴドリー侯爵令嬢と最期の時を弾きながら過ごした思い出の品だった。呼び戻すなら、手段はあれしかない」
「―っ! わかった」
ミゲルはすぐさま身体を影へ溶け込ませ、キタールを探すために闇路を駆け抜けた。




