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秘すべきこと





 集中して縫っているうちに糸が足りないことに気付き、ジュリアは寝台から降りた。


 公爵夫人のために用意された区域は部屋がいくつもあるが廊下に繋がる扉は少ない。


 その代わり内側で部屋同士が行き来できる扉がついていて、ジュリアは四つの部屋を通り抜けて専属侍女たちの控の間へ向かった。


 寝台の横にある呼び鈴の紐を引けば良いのだが、なんとなく歩きたかったのだ。

 うすく開いている扉を叩こうとして、手を止めた。



「○○。意外としぶといわねえ」


 ○○。


 前任の侍女たちが処罰されて以来聞かなくなり、忘れかけていた単語。



「まあ、なんせ○○はお子様が暴れても大丈夫なように丈夫に作られている物ですから~」


 あはははと大きく口を開けて、侍女たちは嗤いあう。


「それとも、サルマン国で作られた○○って特別な素材が入っているのではなくて? そろそろ姉の子に必要になるから取寄せてみようかしら」


「○○さまのようにうっすーいのが届いちゃうわよきっと」



 ジュリアは静かに扉から一歩後ろへ遠ざかる。


 実は土の民が一人、ジュリアの肩に乗っていた。

 彼らが触れているときは今まで聞き取れなかった発音がはっきり理解できるようになった。


 前任の者たちも、今雑談に興じている者たちも、隠語を使っているがこれではっきりした。

 彼女たちは、ずっとジュリアの事を言っていたのだ。


 おまる…、ミゲルの便壺と。


 夫がジュリアに固執することでそんなあだ名をつけたらしい。


 血の気が引くがこらえた。

 予想の範囲内だ。


 人懐こい侍女を演じながら腹の中で蔑んでいるのではと疑っていた。

 もう、胸を痛めながら疑わなくて良いのは幸運なことだ。



「酷い人たちねえ。フロレンシア様が許婚の座から転落して喜んでいたくせに」


 フロレンシアと言う名に、その場を去ろうとしたジュリアは立ち止まる。


 フロレンシア・スアレス。

 ミゲルの従妹で元婚約者だ。


「まあね。あの残虐なフロレンシア様が奥方様になったら、さらに恐ろしいアルバ様がここに乗り込んで大変なことになったでしょうからね」


 アルバはミゲルの叔母でフロレンシアの母であるスアレス侯爵夫人のことだろう。


「美人というだけで顔を焼かれたり、手首を落とされたり…。若い女はみんな領地に引っ込んだり国外に逃げたりしたっけ」


「それなのに、この体たらくはどういうこと? 十年前にあれほど皆密かに感謝していたのに」


「だって、まさか若い盛りのミゲル様がそれから誰にも手を出さないなんて思わないじゃない。例のやりすぎたお姉さま方だって、お手付きを期待して待ち続けてあの歳よ。そりゃあ、〇〇様って毎朝呼びかけたくなるわよね」



「あの御方もね」



 途端に、それまで賑やかだった部屋の空気がさっと変わる。


「…シッ。どこで聞かれているかわからないわよ。命が惜しくないの貴方…」


 土の民に髪を軽く引かれ、引き際を悟ったジュリアは足を忍ばせ急ぎ戻った。


 毛織物の室内履きのおかげで足音は出さずに済んだようで、その後寝台へ戻り一呼吸おいてから呼び鈴を引いた。


 現れた侍女の一人からは何も変わった様子はない。


 しかし。


 数日後、一人の侍女が宿下がりの道中で亡くなった。

 なぜか日暮れ時に森へ立ち寄り魔物に襲われたらしい。


 『あの御方もね』と発言した娘だった。





 新年を迎えてすぐにジュリアは新たに身籠った。


 専属の女性医師が朝な夕なに診察を行った結果、前回のような悲劇は免れたが、早いうちから悪阻が重く、寝たきりが続く。


 当初食事は全てこの国の料理しか供されていなかったが、匂いと味がもともと苦手だったジュリアは何も口にすることが出来ず、とうとう水ですら受け付けられず、しまいには血を吐くようになってしまった。


 ミゲルと医師が母国のものなら口にできるのではと提案し、書物を頼りにそれらしいものが作られたが、真冬で材料が手入らず出来上がったのは似て非なる物でしかなく。

 それでも努力してくれたのだからとジュリアは無理に口に入れたが、結果は同じ。

 これほどの悪阻を知らない人々からの反感を買うだけだった。


 周囲の苛立ちを感じては、心身ともに辛さが増していく。


 看病のために常に誰かがそばにいるため、土の民も現れない。


 隙をみて現れた土の民曰く、ジュリアに敵意を持つ人々には彼らが見えないが、『こわいひと』の目が張り付いているから、注意をしていると。


 土のある所ならどこへでも行けるが、この城は闇が深すぎて、精霊たちはひとひねりで潰されてしまう。

 闇の網目をくぐって時々現れては、密かにジュリアの身体に力を注いでくれた。


 そして、【つよつよ みんな おひめさまの ぶじ ねがってる】と教えてくれた。


 それだけで、ジュリアは生きようと思えた。



 しかし、寝室の窓の外に春の花がようやく開き始めた頃に。

 竜たちの嘆きの声が響き渡った。






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