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竜の慟哭



 ゆるゆるとジュリアが目を開くと、ミゲルが歓喜の声を上げた。


「ジュリア! 気が付いたか」


 手を握られている感覚はあるが、全身が重い。

 口を開くのもかなり気力が必要となるほどに。


「旦那さま…」


「医師とバレリアが治療を行ったが、君はずいぶん衰弱している。どうして君はそれほどまでに食べることを拒絶する。このままでは身体がもたない…」


「…っ」


 わずかにジュリアが息を飲んだのに気づかないまま、ミゲルは思いのたけを言いつのる。


「君のドレスは全て廃棄させた。これからは君好みの型ではなく、緩やかな物を着てもらうことにしよう。衣装係にも指示した」


 今までのドレスの数々は。

 ジュリアが着たいと切望したことになっていたのか。


 細い身体を維持することに邁進していると報告され、夫はそれを信じている。


 誰がそれを主導しているかなんて。


 ジュリアは目を閉じた。



「ジュリア…? 嫌なのか? そんなに…」


「旦那様の、思し召しのままに。もう、コルセットは見たくありません」


 あの音は。

 痛みは。

 絶望そのものだった。


 せめて、二度と同じ目に遭わないためにせめてもの抵抗をジュリアは試みる。


 この部屋にいる人々に、視線の動きを見せる事すら恐ろしい。

 寒い。





『はう…』


 指先に小さな力が注ぎ込まれた。


 毛布の下で土の民たちが手足の指の一本一本に両手をあててくれているのを感じる。

 少し、くすぐったい。


『むう…』


 何やら一生懸命念じてくれているようだ。

 ぽわ…と指先から暖かいものがしみこんできて、ゆっくりとめぐっていく。


『ほわ』


 終了したのか、彼らがもそもそと毛布の隙間から出て枕元に集まってきた。


 部屋の中は静かだ。

 今は誰もいない。


 そっと身体を起こして枕に身体を預ける。

 確かに、もう肋骨に痛みが走ることはない。


 バレリアが修復したのだろうか。


【よくないの おいだした】


 シーツの上に広がる文字にジュリアは首をかしげる。


 これは疲労の事なのか痛みの事なのか。



【つよつよ おしろの そと ごはんや やってる よ】


『…強い、強い?』


【おひめさま まもる おねえさん】


 ジュリアの頭の中で閃く人物がいた。


 以前、カタリナが言っていたことを思い出す。

 古代語には不思議な力がある。


 使い手たちもそれを理解しているので、よほどのことがない限り名前を口にしない。

 安全でない環境下ではとくに。


 だからきっと、ジュリアもそれに倣うべきなのだ。



『つよつよさん、お元気かしら』


 その名を口にしたいのをこらえて、尋ねてみる。


【つよつよ りょうりにん おてつだい みんな はいれない】


 嫁入り道具を運ぶ時に同行したはずの人々の顔が目に浮かぶ。


【ちょうきせん こんくらべ じょうとう つよつよ いう】


 ああ。


 マレナたちはミゲルに門前払いされても、この国にとどまってくれているのだ。


【まけない つよつよ おみせ はんじょう】


 土の民たちはいっせいにぱあっと両手をあげる。

 すると、きらきらと光る金の粒がジュリアの周りでふわふわと浮かんで、消えた。


『ふふふ…。あの人らしい』


 涙をこぼすと、土の民たちがまた慌ててぴょんぴょんとジュリアの身体を駆けあがってくる。


『これはね、うれし涙なの』


【うれしい?】


『そう。うれしいわ』


 マレナに、伝えて欲しいとは言えなかった。


 会いたいなどと。





 それから数刻ほど経った頃だろうか。

 ミゲルが戻ってきた。


「君に見せたいものがある」


 そう言って彼のマントに包まれたのち抱き上げられ、あっという間に屋敷の外へ連れ出された。


「どうなさったのですか…」


「まあ、とにかく座ってくれ」


 広い中庭にクッションの敷かれた椅子が置かれていてそこへ降ろされる。


「いったい…」


 顔にかかっていたフードを下げて改めて前を向くと、そこには異様な光景が広がっていた。


 石畳の上に転がる何かと、大勢の使用人たち。


 いつもはミゲルの指示で女性しかいなかったのに、なんと男性が多い。

 騎士に侍従に文官たちそして下男たちまで。

 婚礼の宴の夜に公爵夫人として挨拶して以来の人々。

 ミゲルのそばにはバレリアと最側近の騎士ホセが控えていた。


 この公爵邸で働く者全て集められたのだとジュリアは悟る。


「さあジュリア。この者たちをどうしてくれようか」


 ミゲルの声はどこか得意気だ。

 まるでジュリアに喜んでもらえると言わんばかりに。


「え…?」


 ようやくジュリアは石畳の上にあるいくつかの布袋のようなものが人間であることに気が付いた。


「う…うう…」


 そのうちの一つが動く。


「お゛、お゛ぐがだざま゛ぁ~、…お゛、だずげ…ぐ…」


 殴られてぱんぱんに腫れ上がり原形をとどめていない顔、血だらけの口からは歯茎らしきものしか見えない。


 髪も刃で乱暴に刈られたのか地肌が覗いている。


 ぞくりと背筋に強烈な寒気が走った。

 おそらく、いや確実に。


 あの時に部屋にいた専属侍女たちの一人だった。


「だんなさま…? これは」


「公爵夫人に無礼を働いた者どもに罰を与えているところだ」


 白いはずの石畳はどす黒く汚れている。


「さあ、ジュリア。このあとどうしようか。全身、ありとあらゆる骨はもう折ってしまったが、バレリアに修復させて、最初から折りなおすこともでき…」


「おやめください! 私はそんなことを望んではいません!」


 椅子から転げ落ちるように降り、ミゲルの元へ駆け寄った。


「どうか…。もうこれ以上。なにもなさらないでください。十分でございます。私が、至らぬ主であったゆえ。どうか。お怒りをお静めくださいませ、どうか…」


 膝をつき、足にすがって懇願した。


「どうか、お願いいたします、旦那様…」


「ホセ。今すぐあれらを城門の外へ出せ。不愉快だ」


 苛立ち交じりの声。


「…はっ」


 ホセが騎士たちに合図を送ると虫の息の彼女たちを荷物のように持ち上げる。


「お待ちください、旦那様。せめて彼女たちの傷を治して…」


「ならん! こいつらはガルヴォを侮った。許せば示しがつかん!」


「旦那様!」


「くどい!」


 思わずミゲルが縋る妻の手を振り払うと、ジュリアは石畳に倒れ伏した。


「…あ。すまぬ、ジュリア…!」


 慌てて膝をつきジュリアを抱き起こすが、顔と手から血がでている。


「ジュリア」


「…あ」


 朦朧とした様子のジュリアは眉根を寄せて小さく呻いた。

 寝間着がわりに着せられていた白いシュミーズドレスの足元が赤く染まっていく。


 大切な物が、零れ落ちた。



 城内の飼育棟に置かれた竜たちが察知したのか、みな一斉に声を上げる。


 高く、低く、高く。


 ガルシア家を囲む山々を、竜の慟哭のような声が響き渡った。


 空が赤黒く染まる。








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……死にくされ、リュウドモ、ケモノドモ   コノリョウチ   ーーー  まじで腹が立ちました〜 ノウナシ、侮られ、ホウレンソウ無し、の主 遅いわ対応ガ、影とかつけて置かなかったノカ、 コノリョウチ、…
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