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ジュリアの試練



 扉を叩く音が聞こえ、ジュリアはぎゅっと拳を握る。

 冷や汗が背中にじわりと浮かぶが、どうにもならない。


「どうぞ」


 応える間もなく扉が開き、一斉に幾人もの専属侍女たちが入室してきた。


「〇〇様。お着換えのお手伝いに参りました」


「ありがとう。お願いね」


 寝間着を脱がされ、下着を着せられる。

 そして、コルセットを装着された。


「…っ」


「ご辛抱なさりませ。しっかりと締めなければせっかくご当主様が誂えてくださったドレスが入りませんから」


 侍女の一人がジュリアの背中に靴を履いたままの足を当て、ぎゅうぎゅうと締めあげてくる。


 内臓が口から飛び出そうと思うほど辛い。

 しかし、ジュリアは歯をくいしばって耐えた。


 ジュリアの試練はエスペルダ国に到着した時から始まった。


 ミゲルは自国でも婚礼を挙げた。


 こちらも国一番の大聖堂で、白百合で埋め尽くされているなか国王立会いの下、サルマン国よりも豪華で、パレードまであった。


 衣装はミゲルが支度したが、着付けられている最中に気付いたのは、ドレスも靴も小さめで作られていたことだ。


 マリアロッサから最新の情報を得て作らせたとミゲルは胸を張っていたが、靴は特につま先がきつく、早いうちから全体が靴擦れになり、儀式の最中は足の痛みしか考えられなかった。


 しかし、靴が合わないとエスペルダ語で侍女たちに訴えても、満面の笑みを浮かべて首をかしげるだけで、取り合ってくれない。


 さもジュリアの発音が聞き取れないと言わんばかりだが、ミゲルがそばにいる時は忠実な使用人の仮面をかぶり、質問にもはきはきと答え下にも置かぬもてなしへと変わる。


 婚礼衣装はジュリア自身が痩せた為、きつくコルセットを締めるとドレスが泳ぐ状態となったため、彼女たちは慌てて緩めた。


 この時になってジュリアはこの国の人々に歓迎されていないばかりか、憎まれていることを痛感した。


 もともと自国の高位貴族である婚約者がいたにもかかわらず破談にした諸悪の根源であり、十四歳の時に罪を犯したことは知れ渡っているのだろう。


 誰もかれも笑顔を浮かべているが、ふとした瞬間に侮蔑のまなざしを密かに投げかけてくる。


 その後与えられた衣装の全ては念入りに縫い縮められたらしく、どれもきつく、それを理由に締め上げられる日々だ。


 ミゲルの指示でサルマン国からの輿入れ道具は開封されずに全て倉庫へ入れられてしまった。

 マレナをはじめ、十数名の使用人たちが側仕えとして入国したはずだが、ミゲルは断り追い返したと言う。


 ジュリアのために用意された公爵夫人の部屋は豪華な設備で、ドレスも何もかも揃っているのだから、わざわざ出す必要がないというのが彼の考えで、一部で良いから手元に置きたいと請うても聞き入れてもらえない。


 愛する妻を自分のもので染め上げて喜びに浸るミゲルは何も見えていなかった。



「〇〇様。お食事をどうぞ」


 夜にミゲルに貪り尽くされて気を失ってしまうジュリアがようやく寝台から出られるのはいつも昼近く。


 彼は早朝から騎士団の訓練や公爵としての仕事を精力的にこなし、ジュリアの元へ戻ってくるのは夕食の時だ。

 それまでジュリアは男子禁制の館で、針の筵のなか過ごさねばならない。



 隣接するフォサーリ侯爵領までは温暖な地域なのに、国境を越えるとがらりと変わる。


 ガルヴォ家は山岳地帯で寒く、食事は獣もしくは魔獣の肉が中心。

 体温を上げるためと肉の臭みを消すために多くの香辛料とにんにくを使い、味は濃くて重い料理ばかりだ。

 もちろん酒も度数が高く、口当たりがよく軽いものしか飲んだことのないジュリアは晩さん会で一口飲んで咳き込み、失笑を買ってしまった。


 女性たちは大柄で豊満な身体つきな人ばかりなのに、「せっかくのドレスが合わなくなりましたわ。困りましたわね」と笑いながらコルセットを締めてくる。


 そして仲間内では、ジュリアに聞き取れない言葉で会話をする。


 ジュリアが習ったのは正式な発音と単語。

 彼女たちは方言か俗語か、ジュリアが知らないだろうと思われる単語を使っていた。


 だからおそらく『〇〇様』は決して『奥方様』の類ではない。

 多分、蔑称なのだろう。

 ミゲルの前では絶対に口にしないのだから。


 サルマン国で公爵令嬢として敬われ。今までこれほどの悪意を向けられたことは一度もなかった。


 人々の目と思惑が恐ろしくて、生きた心地がしない。

 常にだれかが見張っている。

 そしてミゲルと二人きりになるのは寝台の上だけ。

 とても話せる状態でなかった。


 そうこうしているうちにジュリアは思うようになった。


 これは罰なのだと。


 自分のせいで友人たちは平民へと身を落とし、色々な人々の運命を狂わせてしまった。


 無知で馬鹿な自分は、今報いを受けているのだ。

 ならば、甘んじて受けるしかない。


 ジュリアという花は、だんだん萎れていった。





「何か欲しいものはないか」


 珍しくミゲルが夕食の席で尋ねてきた。


「あ…」


 ゆっくりと皿の上の肉を切っていた手を止め、ジュリアは周囲に視線をやった。


 給仕の侍女たちとミゲルの腹心の一人であるバレリアが壁際に立って自分たちを見つめている。

 豊かな赤い髪を背中に流す女性騎士はミゲルがゴドリー伯爵邸へ乗り込んだ時に同行した二人の部下の片割れで、壊れた建物を回復魔法でいとも簡単に復元した。


 その魔法は治癒魔法へ転用できるらしく、婚礼の時の靴擦れは彼女が治してくれた。


 ミゲルと年の近いバレリアは絶大な信頼を得ているらしく、この館の家令めいたことも行っており、侍女たちも管理下にある。


 表立ってバレリアに何かをされたことは今のところないが、心を許せる相手でもないとジュリアは考えている。


 どこか。

 何かが引っかかるのだ。


 なので、不用意なことは口にしないよう気を付けていた。



「…サルマン国からの荷の中にある…」


「ジュリア。それは聞いてやれない」


 ミゲルは頑なだった。

 欲しいものを問うたのは彼なのに。


 ジュリアはカトラリーから手を離し、膝の上で手を握りしめてうつむいた。


「…あの中に、私のキタールがあるのです。それとこの国の言葉を学ぶために使っていた辞書も…」


 自然と声は小さくなっていく。

 ミゲルの視線を感じるが、見返す勇気はない。

 食堂の空気は、とても冷えて。

 つま先まで寒かった。




 しばらく経って、珍しく昼間にミゲルが仕事を中断してジュリアの元を尋ねた。


「君が欲しがっていた、キタールだ」


 颯爽と現れた彼が携えていたのは黒塗りもつややかなキタール。

 丸い穴の周りや竿の部分にはふんだんに螺鈿の細工が施された、豪華なものだった。



「あの…」

 困惑して顔をあげると、ジュリアの感謝の言葉を期待している夫の後ろに、無表情でこちらを見つめるバレリアたちがいた。


「ありがとう…ございます。これほど見事なキタールは…初めて見ました」


 辞書は頼んだ翌日に新品のものが届けられた。


 とても言えない。

 自分が欲しいのはこれらではないのだとは。


 


 何もない芝生の上にジュリアは独り座り込んで空を見上げた。


 この高原であっても、空がずいぶんと遠くなってきた。

 もうすぐ秋がくる。

 カタリナの婚礼もそろそろだろう。


 公爵夫人としての仕事がほとんどないジュリアは、幼少時代と同じく愛玩動物のような扱いだ。

 決定権は何もなく。

 ただただミゲルに愛でられるだけの存在。


 二か月も経つとミゲルが家を空けている時は場所さえはっきりしていれば独りでいられるようになった。


 この開けた場所なら、見張られているかどうかもはっきりわかる。

 ミゲルに貰ったキタールを抱えて、ジュリアはゆっくりとつま弾いた。


 竜の王に作らされた楽器だ。

 音はおそらくカタリナから貰ったものより数段上だろう。

 しかし、あの飴色のキタールが懐かしくて仕方がない。


 泣きそうになるのをこらえて目を固く閉じ、一音一音、確かめるように奏でる。


 数え歌を弾き終えた時に、異変が起きた。


『はー』


 キタールの音でないものが聞こえ、ジュリアは目を開いた。


「え…」


 膝の上には空豆ほどの小さな土色の何かが一つ、載っていた。


 薄茶色の、大豆のような身体に棒のような手足が生え、本体の上の方に目と口らしきものが見える。


『はうう』


 小鳥のさえずりのような子犬のため息のような。

 小さな囁き。


 その一粒がぱんと手を合わせると、さらに同じような豆たちが五つになった。

 彼らはつぶらな瞳でジュリアを見上げている。



「こんにちは。…あなたたち、なにものなの?」


 すると、ジュリアの薔薇色のスカートの上に土色の文字が走った。


 古代文字だった。


【われら ちょこっと】


 さっと消えて次の言葉が現れる。


【つちの たみ】






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