テリー・ラッセルの困惑
軽いノックのあと、一拍置いて扉を開く。
「お待たせいたし…」
テリー・ラッセルは慌てて口をつぐんだ。
ヘレナの獲物を回収して荷馬車へ積ませ、ついでに裏口、家畜小屋、柵、最後に屋敷内の設備の確認を駆け足で行い、最後に寝室として使う客間の整備を終えた女性従業員たちと合流して応接室へ向かおうとしたところ、ホールの中央でゴドリー伯爵邸での騎士の責任者であるベージル・ヒルと鉢合わせした。
彼に家畜小屋と柵の件とここでの暮らしぶりをざっと聞き出すついでに、腐った食材を運び込んだ使用人を追及するために侍従頭のヴァン・クラークが本邸へ引き返したと知った。
それらをあわせて報告するつもりで入室したところ、中の様子が予想と違い驚く。
室内で陽のささない場所に長椅子が一つ移動され、そのそばにカタリナ・ストラザーン伯爵夫人と魔導士のサイモン・シエルが立っていた。
「シー…」
夫人は人差し指を唇の前に立てて、静かにするよう示した。
そして、ちらりとラッセルとラッセルの背後を指さし、手招きする。
「…失礼しました」
声を低めて謝罪し、背後にいた女性従業員たちにホールで待つように、そしてヒルにはついてくるよう小声で伝えた。
極力音をたてないように彼女たちの近くへ行くと、長椅子にはシエルのロングコートをかけられて眠るヘレナがいた。
「かなりお疲れの様子なので、強制的に眠らせました」
サイモン・シエルが心配げな視線を離さぬままぽつりと言う。
穏やかな寝息だが、ひどい顔色だ。
会ったときは明るい日差しの下で元気そうな様子だったが、それが彼女の虚勢なのはいつものこと。
疲れがたまりにたまって、とうとう意識を手放したのだろう。
「…っ、ちび」
背後から息をのむ気配と気になる発言が耳に届いたが、ラッセルはとりあえずカタリナ夫人の指示を仰ぐ。
「このまましばらく眠らせておきたいの。ラッセル商会とシエル卿の仕事の立会いについては私が行うこととしましょう。女性従業員たちをここに入らせて、見守りついでにここで休憩するよう伝えて」
「術をほどこしているので、ある程度回復するまで、または身の危険を感じるような事態になるまで目が覚めません。そちらでふつうに談笑して食事をされて結構です」
横からシエルが補足説明をしてくれた。
従業員たちはヘレナと長い付き合いで気心も知れている。
任せて大丈夫だろう。
「それと、ヒル卿」
夫人がラッセルを通り越してヒルをじっと見つめた。
「はい」
「今こちらにいるということは、あなたの仕事は終わったということかしら」
「はい、そうです。家畜小屋が完成したのでそれを知らせに来たのですが…」
困惑。
動揺。
それらが彼の声ににじみ出ている。
「なら私たちが戻るまでの間あなたにここにとどまってもらい、ヘレナの警護を頼めるかしら。扉の外に私の手のものを一人付けるけれど、ここは何が起きるかわからないから」
一つうなずくと、夫人は大胆な提案をした。
「カタリナ様」
思わずラッセルは声を上げてしまった。
ヒルはリチャードの直属の部下だ。
一番信用できない相手のはず。
「はい、承知しました」
即答だった。
ヒルはぴしりと、護衛の構えをとる。
「ありがとう。ついていてあげたいのはやまやまだけど、すべきことがたくさん残っているから行くわ」
そう言うと夫人は歩み寄り、ぽんと大柄な男の腕を叩く。
「ヘレナをお願い」
「はっ」
まるでストラザーン伯爵夫人が主君であるかのように、ヒルは応えた。
「行きましょう、テリー、シエル卿」
「…はい」
夫人の物事を見極める力は自分などでは遠く及ばない。
不安だがここは引くしかないと思いなおし、彼女の後に続く。
後ろ髪を引かれるがやるべきことはまだ多くあり、時間が惜しいのも事実だ。
しかし退出する瞬間に奥へ視線をやると、思わぬ光景が見えた。
「…ちび。なんで…」
そのまま静かに扉を閉めたが、目に焼き付いてしまった。
リチャード・ゴドリー伯爵直属の騎士が、半泣きのていでおろおろと長椅子に手を伸ばす姿を。




