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幕間、そしてデラとロラ



「なるほど。ゼラチンを少し加えると合わせた生クリームの泡の力を保てるのね」


 ディプロマット・クリームと書かれた指示書をもう一度読み返してヘレナはほうと息をついた。


 一度作ってみたものの舌触りに納得がいかず、自分なりに手間を加えることで滑らかなクリームが出来上がった。

 シューに詰めて、ノラが用意してくれた保管箱にしまう。


「次は、ラング・ド・シャ…猫の舌」


 じっくりとレシピを読む。


 印象としてはほぼ普通のクッキーと変わらず、手順と材料の性質さえ間違えなければ失敗することはないだろうが、焼き時間がとても短い。

 糖分とバターの割合が比較的高めだからだろうか。

 目を離すとたちまち焦げてしまうのかもしれない。

 生地を作った後いったん寝かせるか否か。

 試してみるしかない。

 





 マーガレットの物語を観終えたヘレナは地べたにぺたりと座りこんだまま涙を流す。


「あらあら、泣いているの。かわいそうに。これでもお飲み」


 渡された木のカップの中には林檎の香りのする紅茶が入っていた。


「ありがとうございます…」


 飲んでみると、林檎の酸味と蜂蜜の甘さとスパイスとブランデーの香りが口いっぱいに広がり、それがまた切なくて涙が落ちた。


「美味しい…です…」


 美味しいと感じる事に胸が痛む。


「おやまあ、ノラ。あなたときたら、こんな小さな娘を泣かせているの~お?」


 ひょっこりと真上から黄緑色の瞳の女性が顔をのぞかせた。


「よーしよし。泣かない、泣かない。目が溶けてしまうわよう」


  いつの間にかヘレナの正面に青い瞳の女性が回り込んで屈み、頭を撫でてくる。


「ええと…」


「ほら、デラ、ロラ! 困っているでしょう!」


 どうやら少し前までクッションに埋もれて眠っていた二人の女性が目覚めてやってきたらしい。


「だってえ~。あの黒猫がぺしぺしぺしぺし、私の頬を叩くのよ~。起きて、ノラを止めてって」


 デラと呼ばれた黄緑色の瞳の女性は頬をさすりながら相好を崩す。


「私たちが眠っている隙に、この子をせっせと餌付けしていたんですってねっ」


 膝を抱えて座り込み、ロラと思われる女性はねえ~とヘレナに向かって頭を傾けて同意を求めた


「餌付け…。そうかもしれませんね。あの玉蜀黍の花もこの紅茶もとても美味しいです」


 ヘレナが素直に頷くと、ロラは軽く悲鳴を上げる。


「まあまあ、まあ! ねえデラったら。この子、いったいどこで拾ってきたの?」


「その黒猫が連れてきたのよ」


『びゃうっ』


 注目を集めたネロはぴんと背中を伸ばしておすまし座りをきめた。

 黒い毛皮がきらりと光る。


「ネロ…」


 ヘレナが吹き出すと、得意気に尻尾をたてて、膝の上に飛び乗ってきた。


「あれもこれもそれも、この子ってことか。なんだかおもしろそうじゃない」


「あの女たちの景色はずいぶん退屈だったものねぇ。気が付いたら寝ちゃったわ」


「何よ、美形がけっこう出てきて最高! って最初は喜んでいたくせに!」


 気が付くと三人で揉め始めている。


 姿かたちはよく似ているが、それぞれ目の色が異なるだけではなく性格も違うようだ。


 ノラは即決の人で、デラはのんびり屋、ロラは好奇心旺盛。


 ただ、面白いことが大好きなのと美味しいものに目がないのは共通項と見た。

 きゃっきゃきゃっきゃとじゃれ合う三人をヘレナはネロの背中を撫でながらぼんやりと眺める。



「それで、この子は何を観てそんなに泣いていたの?」


「ああ、あの小さな屋敷の三人の女の子の物語よ」


「ええ~っ。そんな上級者向けを?」


 ロラが目を大きく見開く。


「いやいや。竜の男の結婚はこれから」


「えええ…。あの不器用な馬鹿竜ぅ…。あれをこれから観せるの?」


 気の毒そうな視線をデラが送ってきたので、ヘレナの肩と心臓はどきりと跳ね上がる。


「ああ、怯えない怯えない。大丈夫よう~。ちょっとこれからハードモードというか、大人向けの物語が始まるって感じ?」


 デラのどこかきな臭い慰めの言葉にネロは不満げな鳴き声で応えた。


「ハードモード? とは、いったい」


「そうねえ。大人の愛…というか、異種族の悲恋と言うか…」


「異種族格闘技の間違いじゃなくて?」


「ずばり、コマドリに恋してしまった黒竜の空回り劇ね!」


「あ、そうそう! さすがはノラ! 言い得て妙だわぁ。つまりはね。種族も大きさも違うか弱いコマドリにひたすら体当たりし続ける脳筋竜の話よ」


「脳筋」


 話しの繋がりから推測して、脳筋竜とは、あの翼竜騎士団の総帥であるミゲル・ガルヴォ公爵のことだろうか。


「そう。ミゲル・ガルヴォ。先祖返りした悲劇の男」


 ヘレナの考えることがわかるのか、ノラは大きくうなずく。


「ガルヴォ家は以前…、あなたの時間軸で行くなら大昔ね。竜の王女が人間に一目惚れして妻となり子を成したの。それからたまーにあの家では先祖返りが生まれるようになった」


 先祖返りの子どもは、竜と意思の疎通ができるばかりでなく、使役することも可能だった。

 いわゆる竜使いとなり、彼が認めた配下の者ならば竜の背に乗ることを許される。


「ただし、先祖返りは性質が竜そのものでね。惚れた相手一筋なのは良いけど、尽くすわ嫉妬深いわで、もはや愛の濁流なのよね。これって相思相愛でなければまさに地獄」


 この世界の竜の雄は宝物を巣にかき集めることで有名だ。


 それを狙って盗みに入ろうと企む者はよくいるが、ほとんど成功したためしはない。


 竜の雄はひたすら宝物を集め、それを全て意中の雌に捧げる。


 個体によるが立派な体躯と能力を持った竜ほど、何度振られても諦めずに次々と宝を手に入れては心に決めた雌に運ぶ。


 それが彼らの求愛行動だった。



「そのようなわけでね。観てみましょうか。竜の愛の激情と翻弄されるコマドリの物語」


 ぱん、とノラが両手を合わせる。


 ヘレナの手から空になった木のカップは消え、ネロの不安げな声が微かに聞こえた。


「大丈夫よう。怖くないからね~」


 デラののんびりした励ましもやがて遠ざかる。



 目の前に、新たな景色が広がった。




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