別れの季節
「出来栄えが一定しないのは何故かしら」
ようやく及第点と思われるシューを焼き上げたが、試しにもう一度作ってみると失敗した。
それに、頂き物のシューはもう少し起伏のある形だったので、出来る事なら近づけたい。
ヘレナは再び手を止めて考えた。
幻燈がかちりと絵を変えた。
清廉な光がさす北側の部屋に、キタールの音と歌声が流れる。
それは祈りのような、静かな旋律。
「ありがとう、キャス。とても素敵な曲ね」
寝台で枕に背を預けて座るマーガレットがゆるやかに微笑んだ。
「おかげで古代語もだんだんと聞き取れるようになって来たわ」
このような状況でも、マーガレットは出来るだけジュリアと一緒に学び続けている。
「…実は、大切な話があります」
キタールをテーブルへ静かに置き、カタリナは緊張した様子で口を開いた。
「この度、ヨーク家の養女にしていただくことになり、明日領地へ旅立たねばなりません」
「ヨーク…。ストラザーン伯爵の家門にある子爵家のことかしら」
マーガレットが眉を顰め尋ねると、カタリナは頷く。
「そうです。先日、ストラザーンのご子息の婚約者候補に私を推薦された方がおられまして。淑女教育で合格すれば、次はトレヴァー辺境伯の元へ行き領地経営を学び、認められればダルメニ侯爵家で高位貴族の社交術など仕上げの教育を受けることになります」
「え…? それはどういうことなの?」
二人は困惑を露わにした。
「私を家から出すための父たちの親心であり苦肉の策です」
転籍を繰り返すことで出自をごまかす。
駒が欲しい貴族の間ではよく使う手だが、危険でもある。
「おそらくこれから三年。なかなかここへ伺うことはできなくなると思います」
カタリナの声がわずかに震えた。
「キャス…」
大きく開かれたままの瞳から涙がこぼれ、薔薇色の頬を伝っては落ちた。
「私は…。私が子どもで女で知識も力もないのが悔しい。もし大人だったら、もし男だったら、もっとうまくやれました」
実家の没落も、これからの事も。
そして、人目を引くだけの外見も。
カタリナの世界は悔しいことばかりだ。
「女だから子どもだから仕方ないなんて言いたくない。大人たちが機会を与えると言うのなら、受けて立ちます。私の事をなめてかかっている奴らの鼻を明かしてやろうと決めました」
涙を流しながら、ほおを紅潮させて怒りながら、カタリナは続ける。
「私は、お二人のそばにずっとずっといたかった。貴族のなかに友達なんて一人もいなかったのです。
ずっとずっと、寂しかった。
祖父母は良くしてくれたけれど、使用人たちも親切だったけれど、私はずっと独りだった。
キャスって呼んでもらった時、すごく嬉しかったのに…」
大人が。
世界が。
それを許してはくれない。
常に淑女然としていたカタリナが、全てをかなぐり捨てて手放しで泣き出した。
ジュリアは驚き、どうすればよいのかわからずおろおろと見つめる。
「キャス…。いらっしゃい。リラもね」
マーガレットが静かに両手を広げた。
「キャス、いこう」
ジュリアに手を引かれ、幼い子のように鼻をぐすぐす鳴らしながらカタリナは寝台に向かって歩く。
「リラ、キャス」
マーガレットはジュリアとカタリナを抱きしめた。
二人は膝を寝台に乗り上げた。
「私たちは、ずっとずっと、友だちよ。なにがあってもずっと…」
マーガレットの、細くて深い声が少女たちの身体に染み込む。
「マーゴ…」
カタリナは声を上げて泣いた。
「キャス、だいすきよ」
「キャス、忘れないわ」
「わたしも…わたしも、マーゴが、リラが、だいすき…。ぜったい、わすれない…」
三人の少女が泣いたり笑ったりは、しばらく止むことはなかった。
こうしてカタリナは去り。
空と草花は秋の色へと変わっていく。
そして。
キタールはジュリアに託された。




