お腹立ちのご様子
「私たちの事を話す前に、まずはあなたのことを聞こうかしらね。どうしてここに来たの?」
『びゃーう、びゃびゃ』
「なるほど。散歩をしていたらあの狐たちの匂いを見つけて、辿ったらここに出たと」
『びゃ』
答えた後、むうと口を尖らせているのを見て、ノラは爆笑する。
「言いたいことが山ほどあるようね。では尋ねるわ。この娘を連れてきたのは何故?」
すると、待ってましたとばかり美女の膝の上できりっと居住まいを正した黒猫は、びゃおびゃおと彼女に向かって鳴く。
「ほーう。ふーん? そうなの」
指先で喉をくすぐりながらノラは相槌を打つ。
すると、ますますネロはヒートアップしてまくしたてた。
楽園の中でひたすら猫の強訴が続く。
「ネロ…」
今もって猫語を通し、ノラとは会話が成立していることにヘレナは落ち込む。
「ようは、ないがしろにされてるって、お腹立ちのようよ」
オレンジ色の瞳をきゅるんと丸く見開いて、ノラはおどけた。
その下でなおもネロはびゃうびゃう吠える。
「土くれどもとばっかり仲良くして、許し難し、ですって」
「つちくれ…?」
「ミニミニミニ族って言うのね。あの土の精霊の亜種」
「ああ、なるほど」
ここのところ、糸を染めたり離れを改築したりで何かと彼らの力に頼ってしまった。
「ネロ…。寂しい思いをさせてしまって、ごめんなさいね? でも、これはお仕事の一環でね?」
すると、ネロはつーんとそっぽを向く。
「まるで、仕事を理由に帰らない夫の言い訳みたいね…」
「私も、言いながらそう思いました」
ヘレナは顎に手を当てて考え込む。
ネロはすっかりへそを曲げてしまった。
嫌われるのは、辛い。
「どうしたら良いのでしょう…」
そんなヘレナをちらちらとネロは金色の瞳で盗み見する。
「では、こうしましょう」
ぽん、とノラは両手を合わせた。
「ねえ、娘。ああ、ヘレナ、だったかしらね。ちょっとこっちにいらっしゃい」
「はい」
手招きされてノラの前に立つ。
傍らで寝息を立てている二人の美女はすっかり夢の中で起きる様子はない。
膝の上のネロはそっぽを向いたままで寂しさがじわりとヘレナの胸に広がった。
「もうちょっと下へ…。屈んでくれる?」
「はい?」
中腰になったヘレナの前にノラは器に盛られていた白い綿の実のようなものを一粒、指でつまんで見せる。
「はい、あーん」
促されるままに口を開けると、ぽん、とそれを放り込まれた。
「はーい、噛んで~、飲み込む~」
『びゃっ!』
気配で、ネロがぎょっと毛を逆立てたのを感じる。
しかし、ヘレナは口の中に入った綿のようなものをゆっくりとそしゃくし、飲み込んだ。
「どう? 感想は」
「ええと…。生まれて初めての感触ですね…。何かしら。綿の実を食べたらこんな感じ? バターの香りと…穀物の香ばしさもありますね」
「正解。これ、玉蜀黍なのよね」
「え? そうなのですか? 言われてみれば玉蜀黍粉の香りにちょっと似ているような」
「爆裂種を火にかけてしばらく炒ったら、中の水分がぱんっと弾けてめくれるのよ。面白いでしょう」
「はい」
「もっと食べてみる?」
『びゃ~~~っ!』
二人の間に、ネロがぴょんと割り込んだ。
【マッテ ダメ ヘレナ ハキダス スグ】
ネロはヘレナに飛びつき小さな舌を出して、れろれろヘレナの口を舐め始める。
「いや、ちょっと、ネロ…、むり…」
慌ててネロの両脇を掴んで引き離した。
「ネロ! どうしたの!」
すると、真ん丸に見開かれた金色の瞳がやがてじわあと潤んでいく。
【ヘレナ タベチャッタ…】
そして、ぽたぽたと涙を流し始めた。
【ヘレナ タベチャッタ ネロ ワルイコ ネロ ノ セイ…】
みゃ~とネロは鳴きながら泣いている。
「猫の号泣って初めて見たわ」
ノラは興味深そうに首をかしげて覗き込む。
「ええと…」
【ヘレナ ゴメンナサイ ネロ ワルイコ】
耳も髭も尻尾もしんなりとしてしまった黒猫は、しばらく泣き止まなかった。




