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サイモン・シエルの御業



 気まずい空気を払拭するためにいったんお茶と菓子を供することとした。


 ソーダブレッドにジャムをのせ、カタリナは一口入れる。

 混ぜこまれたオートミールのしっとりとした口触りとリンゴジャムの甘酸っぱさの相性が絶妙だった。


「相変わらず美味しいわ、慣れない環境でこれほどのものを作れるなんて」


「ありがとうございます。ヒル卿がりんごをたくさん持ってきてくださったので、ジャムと酵母を作ることができました。明日になればパンを焼くことができるでしょう」


 叔母の賛辞に照れながらヘレナは紙にペンを走らせた。


 書いているのは、クラーク卿から聞き出したこの敷地の大まかな地図と、この家の間取りだ。

 思い出せる限り詳細に記す。


「まだ会っていないけれど、一人でも敵意を持たない人がいて良かったわ。それでも万全と言い難いのが残念ね。まあ、そこは今からシエル卿に補強してもらうとして」


「…よし。できました。だいたいですが、こんな感じでどうですか」


 紅茶を飲み終えたシエルが地図を受け取る。


「半地下の出入り口が北側にあります。

 その近くに家畜小屋を、今日にも作り上げてくださるとヒル卿が仰っていました。

 そして地下はここから順番に旧台所・洗い場、薪置き場、生鮮貯蔵庫、燻製部屋、乾物貯蔵庫、倉庫、旧洗濯室、使用人用休憩室、使用人用バスルーム、そしてここが階段。

 そしてこの一階が玄関ホールを中心に、この応接室、食堂、台所、洗濯室、バスルームそして客間。

 私はこの一階の客間で寝起きしています。

 そして二階にはサンルームとバスルーム付き寝室が二部屋、そして書斎と小さな図書室。

 あ、寝室にはどちらもドレスルームが付いていました。

 あと、屋根裏が使用人用に三部屋ほどって感じですね」



 ヘレナが図を指さし、一つずつ説明していく。


「…そうですか。半地下の出口が北側にあるのですね。一階と二階の窓はそれぞれこれで、屋根裏の窓は北と南に一つずつ」


「はい、その通りです」


「まず、すでに柵を作ってしっかり囲って頂いたのは助かります。はっきり境界線があると守りやすいので。実は、ラッセル様がこの屋敷の内情に詳しい者と連絡を取りある程度あたりを付けてくださいまして、敷地の北東に屋敷が一つあるのでそこにヘレナ様が軟禁されるのではないかと早い段階で予想していました」


「そうだったのですね。さすがです」


 これだけ大きな屋敷では、住み込みの使用人だけでは回らない。

 通いと短期契約の労働者、そして出入りの商人や施工業者など様々な出入りがある。

 しかも突発的な案件だった今回、ラッセル姉弟が情報をつかむのは容易いことだった。


「なので、勝手ながらラッセル様に事前に用意してもらった野薔薇を柵に這わせ、要所要所にレモンの木を十数本、そして門の入り口にイチイの木を一本植え、更にラザノ夫妻の札を使って強化します」


「強化…」


「後日また補強しますが、とりあえず屋敷を今からやりますね」



 シエルは椅子に坐したまま虚空を見つめ、人差し指をすっと上に向けた。



「三十のゴーレム。この屋敷の盾となり、主を守れ」


 そして親指と合わせてはじく仕草をすると、テーブルの上に積まれていたラザノの書いたゴーレムの術符の大半が一斉にざざーっと音を立てて浮き上がり、ぐるぐると天井近くで回った後、一瞬強い光を放って霧散した。


「なんだか、すごいものを見せていただいたような気が…」


「たいしたことはありませんよ。私もヘレナ様と同じように全属性が使えます。ただしスカーレット・ラザノさまのように突出していないので、残念ながら器用貧乏という程度なのですが」


 つい先ほど行った術は、それぞれの魔法の要素を使って屋敷全体に札を溶け込ませたとのことだ。

 これにより、投石などで窓ガラスが破られて外部侵入されることを防ぐことができるそうだ。


「寝室をより強化させていますが、不安なのでケルベロスを一枚、火蛇を一枚配置しましょうか」


 言いながら、またもや札を浮かせて指令し、霧散させる。


「それから、各窓に火蛇、入り口二か所にはイフリート、屋根にフェニックスを配置します」


 さすがのカタリナもあっけにとられ、紅茶のカップを持つ手が止まっている。


「残りの術符は柵を細工するときに使いましょう。しかし、もしも使用人に術者がいる場合これでは少し弱いですね。ラザノ様にもっと書いていただかねば」


 てきぱきと技を繰り出しながらシエルは説明していく。

 どう考えても器用貧乏なんてレベルでないと思うが、魔導士たちと会ったことのないヘレナはただただ頷く。


「ヘレナ。さっきのシエル卿の発言は嫌味なくらいの謙遜だから。お茶飲みながら平然とこれだけの術をかけるなんて、そうそういないわ」


「いえ、とんでもない。私など」


 きょとんと、シエルが目を見開く。

 彼は本気で己の能力を低いほうだと認識しているようだ。


「確かに同行をお願いしたのは私だけど、失礼ながらこれほどとは思っていなかったわ。ありがとう、サイモン・シエル卿」


「ストラザーン伯爵夫人におほめ頂くとは光栄です。私はただヘレナ様にご恩返しがしたかったのです」


「え…? 私は何もしていませんが」



「この、頂いたハンカチです」


 シエルは魔導士庁から配給されたローブを身にまとっていた。


 その胸元から、すっとハンカチを出した。


「これは…」


「あの挙式の日にヘレナ様から頂いた、このハンカチ。私とリドが身に着けたその時から事態はどんどん好転していきました」


「そんな、偶然でしょう」


「いいえ。些細な偶然が重なったおかげで、私は今、とても幸せなのです」



 バウム長官が危惧したとおり、教会の上層部はシエルたちの還俗を渋り出していた。


 二人はこの上なく便利な駒だからだ。


 しかし、シエル曰く『妖精のいたずらのような些細な偶然』の積み重ねで、挙式の翌日の朝にあっさりと放免され魔導士庁へ駆け込むことができた。


 しかも『鍛錬馬鹿で普段は何があってもわざわざ執務室まで出向かない』スカーレット・ラザノが、リド・ハーンの前に現れたというおまけ付きで。



「だからぜひ、我々にヘレナ様のお手伝いをさせてください」


 ふんわりと、心から幸せそうにシエルが笑う。


「…どう考えても、私の加護縫いの力ではないと思います。でも」


 ヘレナはイチイの指輪がはめられた己の手を見つめた。


 なんて小さな手だろう。

 自分は、無様なほどに無力だ。


 しつこく降りかかる悪意の波に、少し疲れていた。


 この、優しいひとの差し出す手にすがっても良いのだろうか。


「どうか。…お願いします。助けてください」


 言葉を紡ぐのに力が入りすぎたのか、少し、声が震えてしまった。


 するとシエルは何事か呟き、宙に差し出した手のひらをゆっくり握りこんだ。



「大丈夫です、ヘレナ様」


 ふいに柔らかい空気がヘレナの全身を包み込む。

 心地よさに、目を閉じた。



「あなた様は、われわれの大事な友。必ずやお守りします」


 ふいに、抗いがたい眠気に誘われる。


「少し休みましょう。あなたは疲れすぎです」


 優しく抱き上げられたのを感じたが、そこで意識を手放す。

 頬に誰かの熱が触れた。


「おやすみなさい、よい夢を」


 胸の奥が、暖かい。


 ここは、あんぜん。

 だいじょうぶ。



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[一言] ここは、あんぜん。 だいじょうぶ。 で少し泣いてしまった…ゆっくり休んで……
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