二人の少女 ⑫ ~暴露~
「ふか、のう…」
目を見開いて呟くジュリアに、ミゲルはさらに追い打ちをかけた。
「ところで君は。あのくだらない遊戯へ君を誘った友たちの末路を知っているか」
「え…」
友たち。
ジュリアの脳裏に三人の令嬢の顔が浮かんだ。
姉から止められて、女学校を辞めた事すら連絡できなかった友人たち。
まさか。
「君はずいぶんと甘やかされたものだ。まあ、大人たちから言い聞かされたことに全く疑問を持たなかったのは素直だと言うべきか…」
半ば呆れたような様子でミゲルはため息をつき、指を二本立てた。
「二つ目。アリス・クーガン伯爵令嬢、エルシィ・リッター伯爵令嬢。この二人は帰宅してすぐに重い病に罹り令嬢としての務めを果たせないことを理由に婚約解消。領地の奥深くにある家臣の準男爵や郷士へ養子に出され、平民同然の暮らしをしている」
石のように固まってしまったジュリアを見下ろしたまま彼は続ける。
「この二人はましだった。君がパートナーと踊っている間、隅で震えているだけだったからね。しかし、ペネロペ・ヒートリー伯爵令嬢は違う。男に酒を大量に飲まされて自由が利かなくなったところを襲われた」
「そんな…」
「嘘ではない。その証拠に君の姉は今否定しないだろう? ちなみにヒートリー伯爵令嬢は辛うじて未遂だったが、精神を病んで今も修道院の療養所にいる」
もちろん彼女も除籍降格されたがね、と付け加えられ両手を口に当てジュリアは嗚咽した。
「そんな、知らなかった。アリス、エルシィ…。ごめんなさい、ペネロペ…!」
身体に合わない、少し古くてぶかぶかの衣装を笑いながら互いに着付けた時の三人のさまを思い出す。
あの衣装箱を見つけなければ。
いや、ジュリアが三人の未来を潰してしまった。
なんて罪深いのだろう。
「お願いです。お願い。私を修道院へ送ってください。多くの罪を犯しました。許されない…」
彼女たちも、彼女たちの両親も、そして婚約者たちも。
ジュリアを恨んでいるに違いない。
「そうして修道院へ入って。君は何をするのかい? 贖罪か? それとも、『ハンス』の無事か?」
「―――っ!」
両手に当てた手を強く握りしめ、悲鳴を押し殺す。
「私が君の願うとおりに誰かと結婚して。ほとぼりが冷めた頃に修道院を出て、『ハンス』と夫婦になる算段かな? …残念だったな。君の『王子様』はどこにもいない」
「ミゲル・ガルヴォ!」
マリアロッサが吠え、ミゲルの女性騎士が剣を構える。
ミゲルは肩手を挙げて騎士の抜刀を止め、言葉を叩きつけた。
「どこにもいないさ。ミカエル・パットは先日、水死体で見つかったからな!」
「~~~っ」
ジュリアはミゲルを見上げたままぽろぽろと涙をこぼす。
「カタリナ・ブライトン。まさかお前がここにいるとはな」
男の視線が使用人に交じって立つカタリナに向いたことに、みな、息をのむ。
「丁度いい。お前の口からはっきり言え。ろくでなしの従兄を弔った時のことを!」
独壇場だ。
笑みさえ浮かべているミゲルに、ジュリアはただただ震えるしかない。
「…ジュリア様。お知らせできずに申し訳ありません。従兄ミカエルらしき遺体がとある地方の川の茂みから見つかったと連絡が。…一月ほど前に届き、父と本人と確認して葬りました」
一月ほど前。
ジュリアは震えながらもようよう考えを巡らせる。
ライアンを手放す前だ。
姉が突然、見知らぬ女性をここに連れてきたのも。
カタリナがしばらく訪れなかったのも。
すべては……。
「そんな……」
どこまでつながっているのだろう。
ミゲル・ガルヴォが何もかも知っている事が恐ろしかった。
歯が、かちかちと。
自分の意思とは関係なく音を立てる。
「これで、三つ。君の知らなかった真実だ」
そんなジュリアにミゲルはとろけるように優しい笑みを浮かべ、膝をついた。
「さあ、ジュリア。私の元へ『帰ろう』。公爵夫人の部屋はもう出来上がっているから、何一つ持たなくていい」
髪に触れられて、喉の奥がきゅっと締まった。
こわい。
こわい、怖い、怖い!
だれか、誰か助けて……!
「それは無理なのはご存じでしょう、ミゲル・ガルヴォ」
マリアロッサがジュリアの傍らに立ち、今にも妹を攫いかねない男を睥睨した。
「貴方が王命を振りかざすなら、こちらも言わせてもらう。婚約の誓約書の第一項。『ジュリア・クラインツ公爵令嬢が十八歳の誕生日を迎えた一月後に結婚式を執り行い、それまで彼女はサルマン国で暮らし、純潔も守られる』と。貴方は署名した。貴方が特異な嗜好を持った男でないと国内外に示すために」
十八歳の成人男性が同い年の婚約者を捨て、八歳の少女に求婚する。
それはもちろん醜聞としてまたたくまに広まった。
幼児性愛を否定するために、婚約式の時に両国の王が明文化し、世間に知らしめたのだ。
「私は何と言われようと別にかまわなかったけれどね。どうせ君たちの差し金だったのだろう、その一文は」
そう笑って、ジュリアの髪をひと房すくい上げ、口づけする。
「その約定はもはや意味をなさない。純潔は既に別の男に散らされたのだから」
真っ黒な瞳がなぜか、黒竜のそれのように金色に光ったような気がした。
怖くて怖くて。
ジュリアは息の仕方を忘れ、意識が薄れていく。
ふっと全身の力が抜けたその瞬間。
「リラ」
背後から細い腕に抱きしめられた。
薬草の匂い。
マーゴだ。
「初めまして。ミゲル・ガルヴォ公爵。私はゴドリー侯爵家のマーガレットと申します」
いつの間にかマーガレットがジュリアの背後に回り、後ろから抱きかかえてくれていた。
彼女は、もう自力で歩くこともままならない状態だったのに。
「君が、ベンホルムの妹か」
「はい。幼いころより病を患い、このようななりで失礼します」
「いや…。構わない」
凛とした声が部屋の空気を変えた。
ミゲルがなぜか気圧されている。
「一つ、宜しいでしょうか」
「何だ」
「ご覧の通り、私は全身を病にむしばまれております」
このひと月で、マーガレットの病がまた進行してしまっていた。
「そうか」
「私の命は、もってあと数か月だと、先日医師に宣告されました」
「……っ、マーゴ!」
ジュリアは知らなかった。
振り向こうとするのを思いのほか強い力で制される。
「無礼を承知で申し上げます。私に、リラ…。いえ、ジュリアとの時間をくださいませんか」
「何…」
「ジュリアがここへきて、私は初めて友を得ました。この子に手を取られて、私は天に召されたいのです。どうか。どうか、命短い私の願いを聞いて頂けませんか」
骨ばった細い指先がしっかりとジュリアの肩を掴んでいる。
こんな力、もう出せないはずなのに。
ジュリアの瞳から再び涙がこぼれる。
「私からもおねがいします、ガルヴォ公爵様。絶対にこの屋敷から一歩も出ません。ずっとマーガレットのそばにいます。だから……。どうか、おねがいします」
二人の少女が、ミゲル・ガルヴォを見つめ、願う。
まるで一つの石像のように固まったまま。
「……わかった」
黒竜の男は、是と。
頷いた。




