二人の少女 ⑩ ~招かれざる客~
花の絨毯が夏の花で彩られ始めた頃、楽園の平穏は突然壊された。
この日はベンホルムが王宮へ出仕して屋敷を空け、マリアロッサがリチャードを連れて離れを訪れていた。
寝室で休むマーガレットを慮りカタリナも交えて一階の客間で過ごしていると、キインと甲高い音が響き渡った。
「――! ジュリア、カタリナこちらへ来なさい!」
女主人の緊迫した声に窓際にいた二人は駆け寄り、リチャードは乳母が抱きかかえて護衛も含めて全員、壁際に集まる。
マリアロッサが片手を上げて、なにごとか呪文を唱え始めた。
ガアン――。
バリン――――!!
「っ。破られたか」
壮年の護衛騎士はらしくない舌打ちをし、彼もまた腰につけていた剣を鞘から抜いて、刃先を床におもいっきり突き立てる。
ほぼ同時に聞いたことのない奇怪な咆哮と強風が巻き起こり、窓ガラスは粉々に砕けた。
「マレナ!」
「ああ!」
カタリナと彼女の護衛のマレナが両手を前に突き出す。
騎士とカタリナたちが繰り出したのは防御術で、透明な盾が彼らの前に現れた。
ゴオオオ――。
ガラスの破片がきらきらと光に反射しながら床に落ちるさまをジュリアは侍女に抱きしめられながら呆然と見つめる。
ドオン…ドオン、ドオオオン…。
地響きと共に建物全体が大きく揺れ、テーブルの上に並べてあった茶器がいくつか跳ねて床に落ちた。
「三頭…」
マレナの呟きに剣を突き立てた護衛は深く息をついて頷く。
「…お姉さま?」
震えながらマリアロッサに問うと、姉は前方を鋭いまなざしで見据えたまま答えた。
「翼竜が舞い降りた。…ったく。いつまで経っても着陸は下手くそなままね、ミゲル・ガルヴォ」
ミゲル・ガルヴォ?
とっさに姉の口から出た言葉が理解できなかった。
一拍置いてからじわじわと脳がそれを形成していく。
ミゲル・ガルヴォ。
エスペルダで権勢を誇る公爵で、世界最強と謳われる翼竜騎士団の統率。
そして。
ジュリアの許婚。
「今まで、貴方をここに匿っているのを隠してきたのだけど…。まあ、早々にばれていただろうから、こちらより強力な術者をようやく手に入れて、さっそく突破したってところね」
片頬を上げ、マリアロッサは不敵な笑いを浮かべる。
「あの男は、今日こそ貴方をエスペルダへ連れて行くつもりでしょう。でも、そうはさせないから安心なさい」
突き出していた手を下げると透明な盾が消えた。
そして、床に散らばっていたさまざまな破片が箒で掃いたように隅に向かって飛んでいく。
「出迎えるわ。あと、マーガレットをお願い。残りの使用人たちも皆外に出るよう言ってちょうだい。あの馬鹿どものせいで建物の状態が良くないでしょうから」
変わりない様子で指示を出し、マリアロッサは玄関へ向かう。
あとに続いて外に出ると、屋敷の前に大きな黒い竜が三頭坐していた。
「これがガルヴォ家の翼竜騎士団…」
カタリナの小さなつぶやきがジュリアの耳に届く。
長い首にどっしりとした腰。
肩には蝙蝠のような羽が折りたたまれた状態で。
前足の鋭いかぎづめは地面にしっかり食い込んでいた。
この二階建ての家と変わらぬ大きさの竜たちはこの世界最大の魔物の一つで、生きた兵器だ。
「ごきげんよう。ずいぶんと派手なお出ましですこと、ミゲル・ガルヴォ公爵」
マリアロッサは伯爵夫人で、格下だが。
堂々と胸を張って声をかけた。
「突然の訪ねて悪かったな。マリアロッサ・ゴドリー伯爵夫人。そもそもクラインツもゴドリーもこちらからの要請になかなか応じてもらえないので、実力行使に出たまでのこと」
悪びれない様子で黒衣の男は笑みを浮かべる。
そばにいる竜の鱗同様に真っ黒な髪と瞳。
精悍な顔立ちのその青年は、出会った時からジュリアを怯えさせた。
「ここは貴方様の領地でも戦場でもないと言うのに、この惨状はどういう事でしょう? 衝撃で妹たちの住まいはすっかり綻びてしまってではありませんか。この状態ではとてもお話などできませんわ。どうぞお引き取りになって」
首をかしげて強気の発言を続けるマリアロッサと、彼女を敵とみなし襲いかねない三人の異国人の緊迫したさまを、ジュリアは両手を胸元で握りしめて見つめるしかなかった。
「ああ…。壁がなかなか強固で…。ついうっかり力加減を忘れてしまった。お詫びに回復させよう。…バレリア」
「承知いたしました」
ミゲルの背後に控えている二人の騎士のうち片方が若い女性であることにようやく気付き、驚く。
この大きな竜を操り共に飛び、ゴドリーの防御術を突破したのか。
すらりとした身体つきの女性騎士は窓ガラスが全て破れてしまった屋敷に向かって両手を向け、眼を閉じて呟いた。
「――――」
白銀の光の粒がさあっとジュリアたちを通り過ぎ、霧のようなものが建物を包み込んだ。
「……………」
声が途切れたところで、視界が晴れる。
先ほどまであったはずの外壁に入った亀裂も剥がれ落ちた瓦屋根も全て元通りになっていた。
「回復魔法の使い手…これは手ごわいわね」
マリアロッサはため息をつき、玄関の方へ手を向ける。
「何の準備もしておらず散らかっておりますが…。こちらには病人と子どもがおりますので。どうぞ中へお入りください」
「ご厚意いたみいる」
ぬけぬけと礼を述べ、ミゲルと二人の護衛は歩き出した。
ゆったりと。
当たり前のように。




