二人の少女 ⑦ ~キャス~
赤ん坊に名前を付けてからしばらくは平和な日々が続いた。
マーガレットが体調を崩し起き上がれない時間が増えたが、春の陽気に誘われ次々と咲いた庭の花と赤ん坊の存在が彼女を笑顔にさせてくれる。
それと、マリアロッサの手引きで密かに訪れる少女の存在も。
「正直、戸惑っています」
二階のサンルームで、困惑した様子で椅子に座っている少女はカタリナ・ブライトン子爵令嬢。
彼女の後ろには浅黒い肌の女性が控えている。
護衛兼侍女、なのだそうだ。
「そもそも、ブライトンの者が公爵家のお子様の名前をつけるなんて、本当に恐れ多くて。おそらく皆さん、名前を付けるのを楽しみにしておられたでしょうから」
あの日。
カタリナはたった一人で普段なら絶対に会うことのない高位貴族たちに囲まれて、ええいままよと腹をくくって名前を付けたらしい。
「あら、わかっちゃった? そうよねえ。普通、そう考えるわよねえ」
背もたれに柔らかなクッションをいくつも置いたソファに埋もれるように座っているマーガレットがふふふと悪戯が見つかった子どものように笑う。
この時になってようやく知ったが、なんと長兄夫妻も姉夫妻もいくつも名前の候補を用意していたらしい。
「私も、いっぱい、いっぱい考えていたわよ? ご指名かかるのを期待して」
「…誠に申し訳ございません。皆様の楽しみを私が横取りしてしまいまして…」
「ああ、それは良いの。貴方のせいじゃないから。むしろ家族の中で禍根を残さずに済んでよかったわ」
とりどりの花を飾ったテーブルの上には、ティーセットと菓子。
食の細いマーガレットのために料理人が作ったデザートは、アーモンドミルクで作った真っ白なブラマンジェに苺のソースをかけたもの。
「ねえ、カタリナ嬢。貴方の愛称はなんて言うの?」
マーガレットの質問に、ますますカタリナは困った顔になる。
「…ない、ですね。幼いころから祖父母の元で育ちましたが、皆そのまま呼びましたので」
あとで知ったが、カタリナも似たり寄ったりの家庭環境だった。
母親は第一子のハンスを異常に愛し、三歳のカタリナを義父母に押し付けて長い間領地に引きこもった末、数年前に流行り病で他界したそうで、母親と縁が薄いところがこのお茶会に集う三人の共通項だ。
「では、キャスはどうかしら。私はマーゴ、ジュリアはリラ。短い方がお互い呼びやすいでしょう」
この日のマーガレットはいつになく多弁で、押しが強かった。
下位貴族だからと恐縮するカタリナに人懐っこい様子で接し、愛称で呼び合う事と、時々こうして離れを訪ねることを強引に約束させた。
それからは、一週間に一度くらいの頻度でカタリナが顔を出すようになった。
祖父と父が経営する商会で手に入れた異国の品物を抱えてきては、色々説明してくれた。
時には異国の子育てに使う道具や玩具をライアンに贈り、日に日にふくらんでくる柔らかな頬を突っつく。
カタリナは、マーガレットとジュリアよりもはるかに様々なことを知っていた。
兄がどうにも頼りないので、代わりに自分が父たちを支えるつもりで勉強中なのだと苦笑交じりに語られ、二人は目の覚めるような思いだった。
高位貴族の令嬢として絹の衣に包まれ、使用人たちに傅かれてきた。
支えられている自覚もなかったが、誰かを支えるという発想もなかった。
「それは、私が下位貴族だから。…ですよ。立場が違います」
考え込む二人を、カタリナは屈託なく笑い飛ばす。
そうしてジュリアとマーゴは一つ歳を重ね、知識も増えた。
離れと花畑に、新しい風が吹く。
姿の違う花が次々と咲いて香りと美を競い、芽吹いた端から木々は色を増し、鳥たちは求愛の歌を歌う。
春の日差しに育てられた果物も野菜も、口にすれば力を与えてくれる。
三人と赤ん坊は歌って、語り合って、声を上げて笑って。
気が付くとライアンが生まれて三月近く経ち、女神の季節になった。




