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【閑話】 リド・ハーンの婿入り~助祭からジョブチェンジ~


 ひとが恋に落ちる瞬間を、目の当たりにした。




「初めまして、採用いただきありがとうございます。サイモン・シエルです」


「リド・ハーンです」


「長官のヴォルフガング・バウムだ。事務方の責任者だが、人手が足りないと魔物討伐にも駆り出される何でも屋だと覚えておいてくれ」


 数年前まで魔導騎士団を束ねていたらしいバウムは、縦横共に立派な体格で、大きな執務机が小さく見える。


「…と、他人のふりはここまでで」


 にやりとバウムは顔をゆがめ、笑う。


「まずは、ラグナレサ聖教会からの無事脱出おめでとう。いつ、奴らが君たちの隠された能力に気づいて駄々をこね出すのではないかとひやひやしていたよ」


「ご心配をおかけしました。おかげさまでこれといった障害もなく年季明けを迎えられました」


 サイモンたちが魔導士庁とつながることができたのは、数年前にバウムの挙式に立ち会ったのがきっかけだ。


 信仰心もなく献金をしようとしないバウムを嫌った大司教は嫌がらせを企み、挙式当日に助祭になって間もない少年シエルとハーンに仕事を押し付けたのだ。

 当然、バウムおよび魔導士庁の面々は二人の魔力の高さにすぐさま気づき、転職を持ち掛けた。

 以来、密かに連絡を取り合い早期の年季明けを画策し、今に至る。


「君たちの能力の高さと技術そして見識は、うちの優秀な魔導士たちをもってしてもかなり貴重だ。どの部署も欲しがって上官同士が喧嘩を始めているくらいでね。なので、公平を期すために一月ずつ各部署を巡ってもらうことにする。配属決定はその後だ。」


 魔導士庁はおおまかに、事務方、魔道具師、魔導騎士団、研究塔、医療塔、魔導士育成学校に分かれている。

 となると、シエルたちが正式に配属されるのは半年後ということになるだろう。


「きっと、半年後の会議は面白いことになるぞ」


 バウムは楽し気に肩を揺らす。


「それで、一番最初の研修先なのだが…」


 そばにいた秘書官から書類を受け取りながら話をつづけたところ、ノックと同時に長官室の扉が勢いよく開く。


「失礼。長官、これでいいのか」


 扉のそばには二人の護衛が立っていたが、全く意味をなさない。


「あー。お前はどうしてそうなのかね、ラザノ」


 額に大きな傷が走る野性味を帯びた顔に大獅子のような体格と魔導士庁のトップの一人としてのバウムの威風を、ずかずかと入ってきた背の高い女性がなぎ倒す。


「あんたが書けっつったから、書いた。ほら」


 机の前に立つシエルとハーンの存在に気付かぬ素振りで、書類の束をどさっと乱雑に机に置く。


「…あのさ。これ、すごーく大事な正式書類だって言ったよな? もうちょっと優しく扱ってくれよ」


「所詮、紙は紙だ」


 けろりと返し、腕を組んで上司を見下ろした。


「で。さっさと確認してくれないか。何回も往復するほど俺も暇じゃない」


 身長は、シエルと同じくらいに高く、すらりとした手足と均整の取れた体つき。

 高く括り上げた赤い髪は腰近くまで延ばされ、炎のように揺らめく。

 そして、小麦色の肌に金色の瞳。


 教会ですら噂に聞く第二魔導騎士団団長のスカーレット・ラザノはこの人かとシエルは瞠目した。

 確か、炎の女神と称される火魔法の最上騎士。

 もちろん、バウムの能力も拮抗している。


「いやいやいや。お前さんがきったない字でぐりぐり書くから不備が見つけるのがたいへんなんじゃないか…」


「仕事ができない言い訳にするな。読めてるくせに」


「これは、血と涙と汗と俺たち事務官の訓練のたまものだ!」


「はっ。おおげさな男だな」


 しかし、今。

 魔導士庁最高の女騎士と元騎士団長は、低レベルの言い合いを繰り広げていた。


「あんた、事務は向いていないんだよ。諦めて騎士団に戻れ」


「それは断る。俺は、妻と子供とのラブラブライフを死守するためなら、何があってもこの椅子から離れん」


「はっ。漆黒の大獅子も落ちたもんだな。女子供の・・・」


 そこでラザノはようやく、隣に立つ青年たちに気づいた。


「ああ、接客中だったのか、悪い」


 どうやら猪突猛進な性分であるだけで、悪気はないらしい。


「そうだな。大事な話をしている最中だったんだよ、まったく。ラザノ、この二人が噂のお買い得な転職組だ。隣がリド・ハーン。もう一人がサイモン・シエルで…。おい。ラザノ?」


 ラザノは、傍らに立つリド・ハーンをじっと見つめる。

 そして、シエルは頭をかがめて礼の形をとったが、ハーンは立ちすくんだままだった。


「リド」


 声を低めてシエルが注意したが、石のように固まったまま動かない。


「ラザノ、おい、ハーンがおびえるから…」


 バウムの静止を無視して、ラザノはハーンの両肩をつかんで顔を覗き込む。


「俺の名前はスカーレット・ラザノ。第二魔導騎士団・団長。準男爵、二十八歳、独身。家は国から支給されている。術は火魔法中心で緑と風と闇も使える。里に兄たちが十五人。全員魔導士だ。仲はそう悪くない」


「…はい」


 ハーンはぼんやりしたまなざしでラザノを見つめた。


「単刀直入に言う。俺の伴侶になってくれ」


「え…ちょっと、ラザノさん?」


 慌てて机に両手をついて立ち上がったバウムだが、そのまま固まった。

 リド・ハーンは色素の薄い肌を桃色に染めて、うっとりとラザノに微笑んだ。


「はい。よろこんで」


「大切にする」


 言うなり、ラザノは片手でハーンのひよこの綿毛のような薄い金色のふわふわとした髪ごと頭をわしづかみにし、口づけた。


「はっ、うん…っ」


 口を合わせたかと思うと、そのままあっという間に深い口づけが始まる。


 秘書官、扉の護衛二人、バウム長官、シエルの五人全員、氷漬け状態になった。


 いったい、何が起きている。

 ここはどこ。

 わたしはだれ。


「ええと…。スカーレット・ラザノさま~。おい、ラザノ! ここを、どこだと思っているのかな~?」


 いち早く現実に戻ったバウムがおそるおそる声をかけると、ラザノは唇を合わせたままハーンの腰をつかんで、執務机の上に座らせた。


 そして、熱い口づけは続行である。



「俺の執務机でこんなことするのはお前くらいだよ…」


 バウムはどかっと椅子に戻り、頬杖をつく。


「さすがは、俺様、神様、ラザノ様…」


 それまで無言だった秘書官がぼそりとつぶやき、騎士たちが深々と頷いた。


 そうか。

 そんな立ち位置なのか、この女性は。

 シエルはラザノの上着の裾につかまるハーンの手を見ながら考える。


「は…っ」


 息を乱し、がくんと身体が崩れそうになるハーンを、口づけをほどいたラザノが上半身を抱きとめ片手で支える。


「…紙」


「はい?」


 濡れた唇もそのままに、平然とラザノはバウムを見下ろす。


「もう、これでいいか」


「え、ちょっと、ラザノ…」


 そばにあった書類を一枚ひっくり返し、ペンをとってがりがりと何やら書き込む。

 当然、執務机に座らせたハーンはしっかり抱きしめたままだ。


「届け出だ。承認しろ」


「なんの」


「俺とリドの休暇届。とりあえず三日。ついでにリドはうちの所属にしといてくれ」


「は?待てよ、リドは最初に研…」


「第二騎士団、団長秘書」


「…ああ。もう。わかった。後で研究塔に謝っとけ」


「承知」


 鷹揚に頷くと、ラザノは片手をハーンの膝裏に入れ、抱き上げた。

 身長の違いはたいしてないし、女性らしく肩幅もそこそこのラザノだが、生まれた時から鍛えた筋肉で、ハーンを軽々とお姫様抱っこしている。


「なんだろう…。この視覚的違和感のなさは…」


 バウムの呟く通り、色白で細身、繊細な顔立ちのハーンは、獰猛なラザノに高々と抱きあげられているとまるで姫君のようだ。


「うわ…っ。ら、ラザ…ノ、きしだ…」


 少し正気を取り戻したハーンが回らぬ舌でラザノに、多分下ろしてくれと訴えた。


「スカーレットだ。お前の妻だからな」


 顔を近づけ、ちゅっと軽いキスを唇に落とすと、魔法にかかったかのようにハーンはとろんとした顔でうなずく。


「…はい、スカーレット」


 いいのかそれで。


 シエル以外の執務室メンバーは全員心の中で突っ込んだ。



「婚姻届けは三日後に出す」


 来た時のように、長身の男を抱きかかえたままつかつかと大股でラザノが歩き出す。

 そして、扉に向けて片足を振り上げた瞬間、二人の騎士がさっと観音開きに開けた。


「ご苦労」


 にっと悪魔の笑みを残して、ラザノは去っていった。


 廊下でどよめきがさざ波のように立っているのが聞こえたが、バウムが深々とため息をつきながらひらひらと手を振り、騎士たちに扉を閉めさせた。



「…シエル。ハーンは二十歳になったばかりかな」


「おそらくは。私共はおおよその年齢しかわからないのですよ」


 シエルもハーンも実の親ではなく、親族に売り飛ばされたため、教会の登記簿にも推定年齢と生年月日が記されている。


「そうだったな…。う…ん。いいのかな? あれ。止めに入るなら今のうちだが」


「ああ、大丈夫です。ハーンはああ見えて芯の部分は強いので、嫌だったらとっくの昔に抵抗しています」


「そうか。それを聞いて安心した。犯罪を止めそこなったかと今、猛烈に後悔し始めたところだったからな」


「むしろ、喜ばしいことです。リドは、家族に憧れていましたから」


 教会から解き放たれた瞬間に、彼は愛を手に入れた。


「よもや、ひとめぼれの現場に立ち会うことになるとは思いませんでしたね」


 ふふふとシエルが笑うと、バウムは眉を下げて口を尖らせた。


「でもなあ。一目ぼれってさあ。もっとこう、きゅんと甘いしびれみたいなもんが走ってさ。未知の感覚に戸惑いながらもときめく時間をゆっくり味わって、ゆっくり愛をはぐくむもんだと俺は思うんだけどさあ」


 がくがくと扉の騎士二人は頭を縦に振る。


「あの獣に情緒的なモノは無理な要求なのか。ビビビッっときて、ガブリだぜ。早すぎるだろう」


 紙一杯にインクを飛ばしながら書かれた呪文のようなものを、指でとんとんと叩いてバウムはため息をついた。


「今まで色々やってくれたが、新たなる伝説の誕生だな、ラザノ…」



 シエルは、扉の向こうに心からの笑みと祝福をおくる。


 リド。

 良かったな。

 幸せになれ、と。



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