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民の魔女の秘薬



「これは、いったい…」


 気が付いた時には飲み干して、空のカップと両手がテーブルに何事もなく収まっていた。


 何が起きたのかわからない。


 しかし、酷似した経験の記憶なら、鮮明にある。


 アビゲイルの狩猟別荘でベージル・ヒルの追放を命じ、護送した騎士団たちが私刑を決行した日のことだ。

 深く眠り込んでしまったのを、モルダーとライアンによって覚醒を促された。

 あの時はモルダーが指定した井戸から汲んできた水ととんでもない味のポーションを飲んだが、今回は違う。



「まあ、一つは水じゃな。この屋敷は病人の介護のために特別に引き直したと聞いておる」


「水? …それはいったい」


「水源が違うのよ。お前さんたちの住まいは国の敷いた水道のもので、南方から巡り巡ってたどり着いているが、ここのは塀のすぐ外…というか北の山々からの地下水ゆえ。カドゥーレをはじめとした聖なる峰々の中を通ってきた水じゃ。美味いだろう」


 エルドは老いてしわだらけになった小さな目を細めて微笑む。


「正直なところ、お前さんがどの飲み物を飲んだとしても使う水は同じ。おそらく同じ結果になっただろうが、ただ、このお茶に関してはより分かりやすい効果が出るだろうと思っていたのよ。なんせ魔力なしの魔女が考えた魔除けの、ようは秘薬みたいなもんじゃからな」


「魔力なしの、魔女。まじない師ということですか」


「まあ、そうなるな。わしは民の魔女と呼んでおる」


 貧しい民や辺境の者は病気になった時に医者や薬師、魔導師などに頼れない。

 そんな時にすがるのが集落の片隅や流れの民の中に必ずいる、まじない師だ。

 まじない師の多くは魔力をもたず、助けを求められるとたいてい道端の草や日常の食べ物を煎じた飲み物を処方する。


「彼らの中で生姜も蜂蜜もローズマリーも林檎も悪しきものを退ける食べ物だと思われている。それらの中でちょっと特別な物をな。うまーく組み合わせて善き水とごくごく普通の茶葉で淹れたというわけじゃ」


 『ちょっと特別』とエルドが言ったところで、シエルたち魔導師たちが軽く咳をし、『ごくごく普通の茶葉』のくだりではミカがかっと目を見開き、マーサから肘で小突かれた。


 それを気にすることなくエルドは続ける。


「お前さんは色んなゴタゴタで身体が疲れておった。まるで投網に捕まった鳥のようにな。もがけばもがくほど糸が絡まってどうにもこうにもならん状態になっていたのを、とりあえずちょちょっとハサミを入れて開放してやった、という感じかの」


「そういえば、さきほどライアンが私に飲ませたものも…」


 ほんの少し前までリチャードが昏睡に近い状態にあったことは、もうこの場にいる全員承知だろう。


 そもそも、そうなる予測の上でライアンたちは用意していたし、授けてくれたのはハーンたちだ。


「ああ、あれな。あれに関してはわしら魔導士庁の渾身の一撃じゃ。英知をもって練りに練った策だが、それでも民の魔女の経験と底力にはかなわぬことが多いのよ」


 二杯目の林檎茶をマーサに注いでもらいながら、エルドは答えた。


「民の中で長く生きて考えられたレシピこそ、時々魔力だの聖力だのを越えた力を発揮するものなのだと、わしは思う。げんにお前さんの顔色はいま、格段に良い」


「なるほど…。確かに…」


 リチャードが頷いたところで、ヘレナは軽食の皿を持参する。


「私どもの飲み物をおほめ頂いたところで、軽い食事をお出しいたします」


 温められた皿の上には細長い棒状のパイが載っていた。


「一応しるしはつけていますが、真ん中から左がローストポークと野菜で、右が甘く煮た林檎とドライフルーツが入っています。温かいうちにどうぞ」


 ヘレナの言うとおり、真ん中から左に向けて蔓のように伸びた茎と数枚の葉が細工されている。


「これは懐かしいな…」


 リチャードはカトラリーに手を伸ばしながら思わず口角を上げた。


「ご存じでしたか」


 ヘレナの声に頷きながら左の端をナイフで切るとごろりと肉と野菜が転がり出てくる。


 ハーブとスパイスの香りが鼻腔をくすぐり、口に入れると適度な塩味が口に広がった。

 ざくざくと切っては口に入れ、右側になると大きめに刻んだ林檎とドライフルーツをブラウンシュガーでじっくり煮たものにシナモンを絡めた箇所にたどり着く。


 セイボリーの方がむしろ華やかな色合わせで味付けも見た目も洗練されており、スイートの方は武骨で素朴な味わいだ。

 しかし、不思議なことに一つのパイに包まれていることに違和感は全くなく、むしろ食欲がさらにそそられる。



「ああ。地方で立ち寄った宿屋で気を利かせた主人たちが、出立の朝にこのようなパイを沢山持たせてくれた」


 見た目も具もこれほど豪華なものではなく。

 ごくごく質素なものだったが。

 彼らにとってかなり奮発した材料だっただろう。


「すごく…。ああ、いや。…とても美味しかった」


 あのケルニア戦争へ参加するために兵を率いて移動中の事だった。


 多くの犠牲が出るろくでもない任務だと解っていながら進まねばならない気の重さを、関わりのない平民たちが精一杯のもてなしで労ってくれた。


「そうでしたか…」


 ヘレナは視線を巡らせ末席のウィリアムとライアンそしてヒルを見る。


 三人の脳裏にも同じ思いが浮かんだのだろう。

 とてもよく似た表情をしている。


 懐かしいような、嬉しいような幸いと、そして拭いきれない苦しさも。


 彼らはそのすべてを今も抱えたままなのだ。








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