リバーシ
ヘレナがまず案内したのは一階の食堂だった。
「すみません、ちょっと狭くて」
リチャード、エルド、シエル、ハーン、スカーレット・ラザノ、ユースタス、クリス、ウィリアムとライアンそしてテリー、ヒル。
総勢十一人が長テーブルを囲むこととなる。
給仕はヘレナ、ミカ、そしてミカの母であるマーサだ。
そしておよそ二十名の帯同者たちだが、以前ラッセル商会の使用人たちをもてなした応接室はすっかり常駐者専用客間と化しているため施錠し、玄関ホールにて休憩してもらうことにした。
多少椅子を用意しているが足りないが、彼らも慣れたもので二階へ続く階段に腰を下ろす。
ホールの壁際に設置したテーブルにはコーヒー、紅茶、林檎とハーブを軽く煮た紅茶の三種の飲み物をそれぞれ保温ポットに入れ、好みのものを自らカップに注いで飲んでもらうこととする。
軽食としてメインは半分を紙ナフキンに包まれた細長い棒状のパイで、上の分は粗く刻んだローストポークとオーブン焼きのトマトとジャガイモそして玉ねぎを、そして紙に包まれた方はレーズンとりんごの甘煮を詰めていた。
一本で二種を同時に食べられる、働く者にはなじみ深い手軽な食事パイだ。
それからレモンシロップをたっぷり含ませたカップケーキと、ナッツやドライフルーツのドロップクッキー、そしてオレンジピールのチョコレートがけなどが並べられた。
「簡単なものばかりで申し訳ありません。とりあえず一息ついていただきたくて用意しました」
内容は玄関ホールと同じだが、飲み物はそれぞれ要望を聞いて三人で給仕する。
エルドは林檎の紅茶を選び、うっとりと目を閉じ、くんとカップから立ち上る香りを嗅いだ。
「おお…。これよこれ。この清らかな水と林檎の豊かで甘酸っぱい香り、すがすがしいローズマリーが茶葉と混ざり合い、湯気だけでなんともたまらんお茶じゃの」
「エルド様から頂いた蜂蜜も少し使わせていただきました」
「うむ、うむ! よきかな! ほれ、リチャード殿もいかがかな。せっかくここにいるのに飲まぬは損だとわしは思う」
ヘレナの言葉にますます機嫌をよくしたエルドは満足げに何度も頷き、向かいに座るリチャードに促した。
「え…」
すでにリチャードの手元にはコーヒーがあったが、ヘレナはすぐに別のカップへ注いで彼の傍へ立つ。
「老師様が仰るので、もしよければ試されてください。好みが分かれるお茶ですが、生姜も少し入っていて体が温まります。香りだけでも楽しんでいただければ」
静かな声に、リチャードはコーヒーカップを脇によけた。
「頂くとしよう」
「ありがとうございます。では、失礼して」
流れるような所作で置かれたティーカップから、瑞々しい林檎の香りがふんわりと立ち上りリチャードの顔を包む。
「いい香りだな」
軽く深呼吸をし、いつの間にか肩の力が抜けていく。
「恐れ入ります」
ふと視線を上げるとエルドが目をきらきらと輝かせ、リチャードが口に含むのを今か今かと待っている。
「…では、失礼する」
老師だけでなくほぼ全員に見守られていることにも気づき、口ごもりながらようようカップに口を付けた。
「―――っ」
たった一口。
ほんの少し唇を湿らせる程度。
わずかに口の中に流し込み、舌にのせ、それが喉の奥に到達した瞬間。
頭の中で何かが突然動き出した。
「…………っ」
リチャードは今度こそしっかりと口に入れ、こくりと飲み込んだ。
熱すぎず温過ぎず。
程よい温度の紅茶から、生き生きとした林檎の風味やローズマリーの葉の香りが広がり、蜂蜜の甘みが身体に染みわたっていく。
まるでさざ波だ。
密かに。
穏やかに。
そして優しい何かが。
さらさらとひっくり返していく。
黒から白へ。
闇から光へ。
確実に。
己の中が変わっていくのを感じた。




