ベージル・ヒルの告白-4-
翌日の午後。
スワロフに連れられてやってきた男はさらにくたびれきっていた。
ハンス・ブライトン子爵。
昔の美貌は遥か彼方で、酒におぼれた生活をしていたらしく、金髪は艶がなく落ちくぼんだ目元に瞳も澱んでいて、肌もたるんでいる。
「今朝…、知ったのですが…。金を貸していた友人がいなくなり…。私の屋敷を担保にしておりまして……」
今朝、と言った。
ヒルはちらりとスワロフを見たが、彼は目に涙をため肩を丸めてたどたどしく語る友人の背中をさも心配しているかのように寄り添っている。
スワロフはその『友人』が行方をくらませることを知っていたのだ。
ハンス・ブライトンはスワロフともう一人の友に嵌められたのか。
しかし、リチャードもホランドもクラークも、そしてコールでさえその矛盾を指摘することなく、淡々と契約の手続きを進めようとしている。
「それで。貴方の娘の名前はなんというのですか」
リチャードたちを前にはらはらと涙を流し始めたブライトンに、ホランドはこれ以上ないくらい冷たい声で尋ねる。
「へ、ヘレナ、といいます。たしか十七歳になったと思います。あの、教会に問い合わせをすれば正確な歳はわかるかと……」
娘の年齢が分からない。
いったいどんな親子関係なのだと呆れたが、よくよく考えたら、今からこの男は娘を売るのだった。
そして、自分たちは彼女の名義を買う。
真実の愛のために。
「では、ヘレナ・ブライトン子爵令嬢には明後日の午後三時にマイセル教会で行われる挙式で署名していただきます。必ず一時間前には教会へ行くように。契約書はこちらです。そして、二千ギリアはここに」
金を見た瞬間、目の色が変わった。
「ありがとうございます。どこに署名をすれば?」
とたんに明るくなる声。
さきほどまで涙を流していたことがまるで嘘のように。
締結を終えた契約書を適当にたたんでポケットに突っ込み金を大事そうに抱えたハンス・ブライトンと彼の友はいそいそと応接室を後にした。
嫁入りの支度金も含まれていることなど、彼らにとっておそらくどうでも良いことで。
「あんなのが……かよ」
ホランドが忌々し気に舌打ちをした。
「娘もたかが知れているな」
クラークが相槌を打つと、コールが真面目に注意する。
「どんな娘であれ、この屋敷に二年は滞在してもらわねばならない。今すぐ迎える準備を」
リチャードは軽く肩をすくめて席を立つ。
「お前たちに任せた」
一時でも恋人と離れられない主の姿に全く疑問を持たず、ヒルたちは送り出した。
そして挙式当日。
現れたのは、小さな小さな少女だった。
「……こびと?」
思わず漏れた言葉に、クラークからの肘鉄が入ったが、それどころではない。
顔も手足も胴体も小さすぎる。
まるでドワーフのこどもだ。
「初めてお目にかかります。ブライトン子爵の娘、ヘレナです。本日はお日柄も良く…」
口上を述べながらその娘は細い指先を伸ばし、質素を通り過ぎてみすぼらしいワンピースの裾をつまんで礼の形をとった。
それが見た目と全く真逆の、とても優雅で美しい所作であることにヒルとコールは驚く。
王妃づき女官たちに劣らない。
受け答えもあの父親からは想像もつかない落ち着きようで、外見の幼さとのちぐはぐさに戸惑った。
代理新婦の容姿など全く気にも留めていなかったが、成人していなければ話にならない。
替え玉も疑ったが、少女はあっさりと否定し、さらに疑われることも想定済みだったのか、書状を持参していた。
ヘレナ・リー・ブライトン改め、ヘレナ・リー・ストラザーン伯爵令嬢。
前日のうちに父親の妹の嫁ぎ先へ養子縁組されたと言う。
このことが事実なのかどうか調べていては挙式の時間が遅れる。
事実確認のためにクラークが走り出したが、戻りを待たずにそのままその娘で手続きをすることとした。
その時に、挙式の衣装はと問われて、まったく考えていなかったことに気付いた。
事前に本人確認もせず、迎えに行くとも、打ち合わせの一つもせず。
挙式直後にリチャードたちが盛り上がり出した時も、いつものことと気にせず撤収し、幼い少女をそのまま置き去りにしたことを思いだしたのは何時間も経ってからだった。
行き当たりばったりで考えなしの偽装結婚計画。
ヒルだけではない。
みな、どこか湿度の高いシエナ島での暮らしを引きずっていた。
甘い香りとねっとりした舌触りの果実を食べ続けているような。
ぼんやりと怠惰に。
深く考えることを放棄していた。




