ベージル・ヒルの告白-3-
とはいえ最初にゴドリー家の門をくぐったのは、ジェームズ・スワロフ男爵という男だった。
身元は確かで身なりも悪くない。
しかし若いころはそれなりに小綺麗だったのだろうが、全体的にくたびれた雰囲気がにじみ出ており、荒れた生活を送ってきたのは明らかだ。
そもそも、今この場にいること自体がそれを証明している。
「条件にぴったりな令嬢を知っています。友人の娘なのですが」
揉み手を絞らんばかりの様子にうさん臭さを感じたが、対応しているホランドはいつになく平然としていた。
「ご要望通りの黒髪に青い目。母親に似てしまい多少小柄ですが、父親と祖母はこの国の花と称されたこともある容姿をしていたので、育ったらそれなりになるでしょう。まだ十七歳になったばかりですし」
まるでこの男は女衒だ。
「貴族であることは本当に間違いないのか」
黒髪、青い目、そして未婚の貴族の令嬢。
それが最低限の条件。
ホランドが居丈高に問うと、一瞬、唇の端をびくりと震わせたがすぐに笑顔をはりつけ、こくこくと頷く。
「はい。ブライトン子爵……。一時はこの国で指折りの資産家だった家ですから」
くくくっと喉を鳴らし、男は嗤っている。
友人の凋落ぶりが楽しくて仕方ないのを隠さない。
「…わかった。では、明日にでも父親であるブライトン子爵を連れてきてくれ。それまで金は用意する」
あくまでも冷たい表情で応対するホランドの顔をしげしげと見つめたあと、スワロフ男爵はにたにた笑い、テーブル越しに身を乗り出し囁いた。
「ところでホランド様。貴方様は、そのブライトン子爵の縁がおありでは? 彼の若いころによおぉーく似ておられる」
まるで新しい玩具を見つけ、舌なめずりせんばかりの様子で下から顔を覗き込む。
「貴様……」
あまりにも無礼な態度にヒルが身を乗り出すと、ホランドは手をあげて止めた。
「面白いことを言うな、ジェームズ・スワロフ男爵。私がそのブライトン子爵に似ていたからと言ってそれがどうした」
ふわりと、花がほころぶような笑みを浮かべて見せると、スワロフは見とれたまま固まる。
「スワロフ男爵。あんたのところもブライトンとどっこいの経済状況なのは社交界でも有名だよな。そんなお前ごときがホランド伯爵家に悪戯を仕掛ける勇気があるとは知らなかったな。まあ、好きにするがいい。俺の家族は黙っちゃいないし、俺のこの顔をこよなく愛するゴドリー侯爵夫人もお怒りになるだろうよ」
最後の言葉ははったりだが、スワロフには効いたらしくとたんにたじろぐ。
「こっちは別にブライトンの娘でなければならないというわけじゃない。ひやかしなら帰るんだな」
ただし、門を出た後どうなるかは保証しないがな。
上品で輝くような笑顔を浮かべたまま、ホランドは物騒な言葉を繰り出す。
「さあ、どうするスワロフ。今ここで念書にサインをして大人しくブライトンを連れて来るか、空手で賭博場に戻るか」
「な……」
どうやら、スワロフがここへ尋ねてくることは最初から想定済みだったらしい。
そして、彼の生活状況も意図も何もかもお見通しなのがホランドの態度にはっきり出ている。
「念書とは……」
すっかりおとなしくなったスワロフの前に、一枚の紙を置いた。
「難しいことは何もない。スワロフ、あんたはブライトンをここに連れてくるだけ。そうすれば手間賃を多少は弾んでやる。ただし、この件を紳士クラブで吹聴したり、侯爵夫妻やホランド伯に接触したりするなら、ただじゃおかない」
その書類にスワロフが震える手で署名をすると、ぱあっと紙から魔方陣が浮き上がり、彼の手の甲に焼き付いて消えた。
「これは、ブライトンが娘の婚約の手続きを完了するまで有効だ」
誓約魔法の拘束時間の短さにスワロフは安堵のため息をつく。
「その後あんたがブライトンに何をしようが俺たちは感知しない。だが、娘はちゃんとこちらに送れ。この件で俺たちにたかろうなんて考えるなよ? あんたのお友達でいたよな。いつの間にか死んだやつ」
「…ぐっっ……」
石でも飲み込まされたような顔になったスワロフはぺこぺこと頭を下げて去った。
「まったく……。あのおっさん、落ちるところまで落ちてるな」
窓からスワロフが逃げるように門から出ていくのを眺め、ホランドは悪態をつく。
ライアン・ホランドは二十五歳になってもどこか中性的な美しさが残っていて、従軍した時にもそれが大きな障害となった。
しかし、一度たりとも男たちの悪ふざけに屈したことはない。
どれほど戦況激しいなかでもくじけることなく、リチャードとともに生還した。
その強さを、スワロフなどにわかるはずもない。
「ライアン」
ヒルが声をかけると、ホランドは満面の笑みで振り返る。
「さあて。次は結婚式の準備だな。あの教会、なんて言ったっけ?」
「そうだな……」
二人は次の仕事の打ち合わせを始める。
最短で婚姻手続きをするために重要なことの確認と、事が進んだことをクラークたちに報告した。
それに関わる少女のことなど、まったく慮ることなく。