ただのお茶会…ではなく
「王都にとどめおくと、第二第三の事件が起きかねない。それを危惧した国はいったんリチャードを療養させるつもりでシエナ島の提督に任命し、私たちも同意した。弱り切った身体に湿度も気温も高い南の島は酷だとは全く思いもせずにね」
リチャードは着任するなりあっけなく風土病に罹り、一時は命も危ぶまれた。
「あの島の娼館にコンスタンスがいたのは全くの偶然だった。彼女が前提督の『お気に入り』だったことはこの際どうでもいい」
娼婦であるコンスタンスが自由に騎士団の居留区に出入りできたのは、前任の提督が色街へ繰り出すよりも娼婦たちを呼びつけて提督の館にて宴会を行うのを好んだからだ。
この植民地において入植者と支配者層が住む区域はさほど大きくない。
あっという間に娼婦たちは通いの使用人と同等の扱いとなった。
「少なくとも、熱病の看病に慣れていた娼婦たちのおかげで病を乗り越え、息子は生きている。結局、私たち親にとってはそれに尽きるのよ」
二人はすぐに深い仲になり、リチャードはコンスタンスに溺れていく。
多額の報奨金を身請けにあてて夫婦同然の暮らしを始めたと言う情報は、彼の快癒の知らせと同時に国へ届いた。
「二人をすぐに引き離さなかったのは、ひとえに彼女の強さが息子には必要だと思ったから」
コンスタンスは底の底まで落ちた女だった。
娼館で重罪を犯した彼女が受けた制裁は、はした金で寝る間もなく最下層の客を取る生活で、それは並大抵のことではない。
気が狂ってもおかしくない日々を乗り越え、シエナ島とはいえ娼館の最上級まで這い上がった精神力の持ち主ならば、リチャードの錯乱にも驚かないだろうと考え、それは当たった。
獣のような衝動にも。
悪夢に怯える姿も。
指一本動かせない程沈み込んでいたかと思うと、突然激高しだしたりしても。
うまくかわし、宥め、慰めてくれるだろうと。
たとえそこにどのような打算があったとしても、責めたりはしない。
彼女は娼婦を生業にしてきたのだから。
「ただ…。王都へやってきてからの彼女が何をしようとしているのか、何を望んでいるのか。それを知るために、今日は一石を投じてみたの。おそらくこれから何か起こるでしょう」
コンスタンスと添い遂げるならば、リチャードには侯爵の座を譲れない。
しかし、貴族として生きることはできる。
これに満足するか否か。
平民の扱いすらされてこなかった女性が貴族として何不自由のない生活を保障されると言われれば、普通は満足すると考えるが、彼女の反応はそうではなかった。
動揺。
不服。
それらは、リチャードへの愛ゆえと思うほどおめでたくはない。
「何よりも、親として貴方に会ってまずは謝罪すべきなのに、後になってごめんなさい。まだ年若い貴方を私たちの事情に巻き込んで申し訳ないと心から悔いているの」
しっかりと頭を下げたマリアロッサにヘレナは慌てて立ち上がろうとすると、ネロが小さく抗議の声を上げ膝から飛び降り、すたすたと窓辺へ戻った。
「どうか。どうか頭をお上げください。謝罪の必要はありません。この状況は偶然の産物ではないですか。父が学友に騙されて全財産を失い、それでもなお貴族であることに固執したからこうなりました。もしこの話がなければ、それこそ娼館か特異な趣味の男性に売られていたことでしょう。私はとても運が良かったと思っています。それに…」
ヘレナは背を伸ばして立ち、両手を胸に当てて頭を下げる。
「ここへお通しするなり、気がせいた私がどんどん料理をお出ししてしまい、お話が出来ない状況になってしまいました。私のせいです。申し訳ございません」
今日の訪問の主旨はこの事態についての話し合いだということは重々理解していた。
しかし。
「本当にすみません。どの料理もおいしくできたので、つい。これではただのお茶会ですよね…」
すっかりしょげ返り肩を落とすヘレナに、マリアロッサはしばし目を瞬いた後、ぷっと吹き出す。
「まあ…。なんて…言ったものかしら…。あはははは…」
ゴドリー侯爵夫人は腹を抱え、大口を開けて笑った。
これにはクラークや側近たちも驚きを露わにして女主人を見守る。
「ふふふっ…。ちょっと安心したわ」
ひとしきり笑い続けたのち、目尻ににじんだ涙をハンカチに吸わせ、マリアロッサはふうと息をついた。
「見た目と違ってずいぶん落ち着いているし達観しているしで、どうしたものか悩んだけれど、ちゃんと十七歳の女の子なのね。良かったわ」
「それは…。ありがとうございます?」
何と答えれば良いかわからず、ヘレナは思わず素になってしまう。
そんなさまをマリアロッサは愛し気に目を細めた。
「今日のところはこれでお暇するわ。とても楽しいひと時をありがとう。夫と話し合ってまた近いうちに伺いたいと思うのでよろしくね」
マリアロッサが立ち上がると、全員がそれにならう。
「はい。ぜひ。…あ、ちょっとお待ちください」
軽い足音を立てて部屋の隅へ行くと、リボンをかけた箱を抱えて戻った。
「どうぞこれをお使いください。零下となるとさすがに役に立ちませんが、適当に空気を含ませて首に巻くと、意外と暖かく感じると思います」
ヘレナはいったん侍女に箱を渡すと、マリアロッサの指示でリボンをとき箱が開かれる。
「これは……。ずいぶん…美しいショールだこと」
細い糸を縒り合わせ細かく編んだ白いレースのショールが入っていた。
「ありがとうございます。昨夜私が編みました。ゴドリー侯爵夫人のお召し物の格を考えると、とてもお渡しできない出来ですが、これからの季節はとても寒くなるので喉を保護するのにお使いいただけたらと」
「そう。とても素敵よ。さっそく身につけさせてもらうわね」
長方形に編まれた大判のショールを侍女たちが箱から取り出して手繰り、マリアロッサの首にふわりと巻く。
「本当。暖かいのね。柔らかくて肌に当たる感触も気持ちいいわ」
すらりとしたマリアロッサに白いショールはよく似合っていた。
「そう言って頂けると嬉しいです」
「ついでにちょっとわがままを言っていいかしら」
「はい、なんなりと」
少しおどけたような表情でマリアロッサは打ち明ける。
「ベンホルム…。夫に会いに今から王宮へ行くのだけど、その時にちょっと休憩させたいの。だから少し今日のお料理を分けて頂ける? 今日の話をすると絶対あの人はうらやましがるから、食べさせてあげたいの」
その言葉に、ヘレナは今日一番の弾けるような笑みを浮かべた。
「はい。喜んで」
ヘレナたちに見送られ別邸を後にしたマリアロッサは馬車の中でショールの端を手に取り呟く。
「アリ・アドネ…」