胃袋を掴め
サンルームにはあらかじめ席を多く用意していた。
「随行の皆さんはどうぞこちらへお座りください」
窓際の楕円形の卓の一番見晴らしの良い席にマリアロッサを案内したのち、ヘレナは侍女や護衛騎士に入り口近くに設けていた円卓を手のひらで示した。
「いや、我々は…」
彼らは立ち控えて見守るのが常だ。
有事に備えるのが仕事であることをヘレナも重々承知で首を振る。
「ここは先ほどの門を通って柵の中に入った時点でほぼ安全です。知人たちがいろいろと仕掛けを作っているので、簡単には悪いことができないかと」
おっとりとした説明に、精鋭の騎士たちもさすがに眼を瞬かせた。
「ああ、ヘレナ様のいう事に間違いはないから安心してくれ。実際、ちょっと前までは俺もあの生垣に阻まれて一歩も入れなかったから。あれは凄いぞ。まるでイキモノみたいに動いて攻撃してくるからな」
『それは自慢することなのか』という言葉をクラークとミカは飲み込み、胸を張って自慢するホランドを生温かく見守る。
「あの。とりあえず生垣の野薔薇とイチイの巨木がちょっと変わり種で害意を持つ人間の侵入を防ぎますし、建物にも魔導士の方々が術を施してくださっているので、おそらくここでくつろがれても大丈夫かと思います」
そして太ももにぴたりとくっついている白い犬をヘレナは撫でて見せ、にこりと笑った。
「この子…パールと言うのですが、優しい見た目だけど我が家の番犬です。ちょっと変わり種の血統で意外と強いので安心してください」
自分が褒められていると解っているのか、パールはきゅうんと甘え声を出したのち、飼い主を離れて窓際にペタリと座った。
その向かいに黒猫もすたすたと歩いて行き、同じようにちょこんと座る。
そして耳をぴんと立て金色の眼をまんまるに見開き、「何やってんだこいつら」と心底不思議そうな顔をした。
「ああ、あの子はネロと言う名の綺麗な猫ですが、ちょっと変わり種ですので…」
侯爵婦人配下の者たちはだんだんとこの『ちょっと変わり種』が『ちょっと』でないことを感じ取り始め、困惑する。
「まあ、せっかくだからお呼ばれなさい、貴方たち。せっかくの心づくしを無下にしては失礼よ」
マリアロッサの一声で場は決まった。
随行秘書官、クラーク、ホランド、ヘレナの五人がマリアロッサと同席し、残りの者たちは別席に座る。
「テーブルフラワーがとても綺麗ね」
腰を落ち着けるなり、マリアロッサから褒められた。
「ありがとうございます。お茶会のデコレーションはまだ勉強中で…。花はおおむね叔母から貰いました」
窓辺にはローズマリーなどハーブの鉢を置き、テーブルの上にはストラザーン伯爵家の温室から切り出した薔薇とダリアとクリスマスローズをメインに生け、アイビーと生垣から採ってきた野薔薇の実を添えている。
ゴドリー侯爵夫妻が帰国した知らせを聞いた叔母のカタリナはすぐにヘレナをストラザーン邸へ呼び寄せ、一泊二日の突貫でテーブルマナーとセッティングの復習を手伝ってくれた。
貴族学校で一通りは学んでいるものの、実践経験は皆無のヘレナにとってありがたいことこの上ない。
しかも食器や花器も貸してくれたおかげで、なんとか体裁は保てた。
「お口に合うものが一品でもあれば良いのですが…。肌寒いので温まる物を用意いたしております」
ヘレナとミカだけではとてももてなせないため、さらにスミス家からマーサとセドナに来てもらい、調理と給仕を手伝って貰うことにした。
ナプキンを手に取ったところでセドナが現れ、いったん入り口で一礼したのち、大きな蓋付きスープボウルを運びこむ。
「あ…。彼女は…」
騎士たちは見覚えがあるらしく、目を丸くした。
「はい。今回、ラッセル商会から特別に来てもらった騎士のセドナです。給仕は彼女とミカが行います」
一階の厨房ではマーサがてきぱきと腕を振るっているだろう。
「まずは、栗とフェンネルをメインにしたポタージュをどうぞ。温まります」
小さめのスープカップに装い、ミカとセドナは次々と手際よく配していく。
「まあ…。優しい味だこと」
栗色のスープをひと匙口にしたマリアロッサが呟くと、ヘレナたちは頭を下げた。
「恐れ入ります」
その後は、次々と美しく皿に盛った料理を運んではテーブルに広げる。
「騎士の方もおられるので、少しお腹にたまる物を多く用意しました」
雉のパイとポテトパイ、ほうれん草と鴨のハムが入ったキッシュを全て小型のセルクルに詰めて焼いた。
そして、人参のピクルスとチーズを挟んだサンドイッチとコンソメゼリーを混ぜたチーズをのせたクルート、そしてチーズを練り込んで焼いたスティック菓子も並べる。
それぞれが気軽につまめる大きさで、あくまでも形式はアフタヌーンティーのテーブルを意識した。
マーサのおかげで、とても華やかな出来栄えだ。
「それから、こちらは玉ねぎのオーブン焼きです。温かいうちにどうぞ」
ヘレナの両手で包めるほどの小ぶりな玉ねぎをまるごと焼いたものが小皿に載ってそれぞれの前に置かれる。
中をくりぬき少量の人参と共にみじん切りにして炒めて茹でた小麦とともに詰め、まるごと焼いたのち、更にチーズを載せて焼き色を付けたものだ。
「まあまあ…香りもそそるわね」
マリアロッサだけでなく、秘書官もすぐにカトラリーを手に取った。
「マリアロッサ様。これで俺の言う事、よおく解ったでしょう?」
悪戯が成功した子供のように目を輝かせてホランドが隣からマリアロッサの顔を覗き込む。
「…まったく。恐ろしいくらいの変わりようね、お前ときたら…」
呆れたようにため息をつきながらも、その手元は優雅に料理を口に運び続ける。
「いいえ、違うわ。恐ろしいのはこの料理のほうね…」
女主人の呟きに従者たちはみな心の中で大きくうなずいた。
「そうなのです。マーサをはじめスミス家の料理は格別で。それから、スパイスなどはラッセル商会に用意してもらっていますが、ヒル卿が北側に立派な家畜小屋を建ててくださったので、一部の材料はそちらから提供しています」
にこにこと満面の笑みを浮かべてヘレナは客人たちに料理を進める。
「この鴨や雉もラッセル商会からなのかしら? ずいぶん味わい深いけれど」
「ありがとうございます。それに関しては私が仕留めたもので…」
「え?」
「私、野鳥を狩るのは得意なのです。ブライトンで自給自足に近い生活をしていたので…」
少し恥ずかしそうにうっすら頬を染めて打ち明ける少女を見て、マリアロッサは内心大きなため息をついた。
「我々は早まったのね…。いえ。彼女が存在したからこその縁だけど」
侯爵夫人の小さなつぶやきは、同席した者の誰にも聞きとられることはなかったが、ミカとセドナは軽く視線を交わし、何事もなかったかのように次の皿の用意にとりかかった。