ようこそ別邸へ
「これは……。報告書で読んで知っていたつもりだったけれど、想像以上ね……」
マリアロッサは馬車から降りてぽつりとつぶやく。
別邸の入り口に堂々とした姿を見せるイチイの巨木を見上げる侯爵夫人は、どこか楽しそうに目を輝かせた。
常緑樹であるイチイは針のような小さな葉をしっかりまとった枝を風に誘われ誇らしげに揺らす。
そして敷地をぐるりと囲む柵にまとわせた野薔薇も冬支度で葉はすっかり落ちてしまったがさわさわと枝を震わせた。
馬車の音で気づいたのか屋敷の玄関の扉が開き、黒髪を一本のみつあみにして質素なワンピースの背中に垂らした小柄な少女が現れ、がっしりとした体躯の侍女と二人で駆け寄ってくる。
その後ろには真っ白な毛をふさふさとさせた犬と長い尻尾をぴんとたてた黒い猫が続く。
柔和な顔立ちの少女に頼もしい護衛が付き従っている様子に、マリアロッサの頬が知らず知らずのうちにふわりと緩んだ。
「先ぶれもなしにごめんなさいね。リチャードの母、マリアロッサです」
「お忙しいなかようこそおいで下さいました、ゴドリー侯爵夫人。ヘレナと申します。こちらは侍女のミカで、護衛も兼ねてくれています」
門から出て、ヘレナたちは最上級の礼の形をとって挨拶を述べる。
女性としては背が高い方のマリアロッサは、頭を深く下げるヘレナの襟元から覗く細い首に眉をひそめた。
「どうぞ頭を上げてちょうだい。この懐かしい家に貴方たちが住んでくれてよかったわ。さすがにこの大木には驚いたけれど」
「ああ…。魔導師の皆様からのご厚意ではありますが、大掛かりな植林をしてしまい、申し訳ありません。景観が思い出とは全く違うものになってしまいましたでしょう」
イチイを見上げ、心から申し訳なさそうな顔をするヘレナに侯爵夫人はゆっくりと頭を振る。
「いいえ。こちらの方がずっと素敵よ。ここは使っていた時も荒涼として寂しい場所だったから、生き返らせてくれてありがとうと皆さんに伝えてちょうだい」
「お言葉、感謝します。どうぞ中へお入りください。二階のサンルームにてささやかな御茶席を用意致しました」
ヘレナは今一度頭を下げて道を譲ると、ヴァン・クラークが手を差し出しマリアロッサをエスコートする。
そしてライアン・ホランドが前を歩いて玄関の扉を開き迷いなく階段へと導く姿に、ぽつりとマリアロッサは尋ねた。
「ライアン。貴方、この別邸にずいぶん慣れているようね?」
大きな瞳を一瞬きょとんと見開いた後、子どものようにくしゃりと笑う。
「ええ。まあ。ここの食事の方が本館よりずっと美味いので、時々…」
すると、「あうん!」と抗議するかのように軽く最後尾についていた白い犬が吠え、ヘレナが慌てて駆け寄りその口を押さえた。
「あ、いえ…。そうですね。今朝もここで食べました」
「それは知らなかったわ、ライアン? いったいどういう事かしら」
首を傾げ軽く片眉を上げて見せるマリアロッサに、ばつが悪そうに白い指で頬をかいた後、唇を尖らせ上目遣いに見つめ返す。
「俺だけじゃありません、ヴァンも…」
「おい、ライアン…」
言葉を封じようとしたクラークの手を引いて止め、顎をくいっとあげて続きを促した。
「ふうん。それで?」
「ヴァンだけじゃなくて、ウィリアムも、ベージルも、ラッセル商会も、魔導士庁のやつらもみんな、ここの飯目当てにしょっちゅう通っています」
開き直り胸を張って主張するホランドに、クラークとミカは残念な子を見るような目で見つめた。
「玄関ホールで暴露することか、これ…」
ホランドにつられて思わず素になるクラークの背中を、マリアロッサがぱんっと軽く扇子で叩いた。
「痛っ…」
大げさに痛がってみせるクラークに、あきれたようにため息をつく。
「まったく…。お前たちはいくつになっても相変わらずなのだから。ではまず、『私の息子たち』がどれだけこちらでお世話になっているのか教えてくださるかしら」
「は、はい」
白い犬ことパールの首を抱きしめたまま、この別邸の女主人であるヘレナはこくこくと頷いた。




