マリアロッサと言う名の嵐
「貴方たちの出会いは偶然か、そうでないのか。そこだけが我々の懸念材料だった」
なんらかの政治的意図をもって近づいたのではないか。
だれもがまず一番に疑う事だろう。
「調べた結果、貴女はおよそ五年前に高級娼婦としての重要な掟をいくつか破り、重い罰を受け、最下層の待遇に落ち再教育の末、三年ほど前にシエナ島へ移送。そこで這い上がってあの街で一番格の高い娼館の高級娼婦へと返り咲いた。…概ねあっているかしら?」
「…はい」
コンスタンスは膝の上の拳をぎゅっと握り締め、うつむく。
生まれ育った娼館はともかく、火災のあとに身を寄せた先はかなりのやり手で経営側は末端の娼館まできちんと管理していた。
たとえ、それが平民相手のどん底であろうとも。
「疑わしき人との接触の機会はほぼ皆無だったことが証明されたからこそ、帰国も許可され、処罰の医学的証明もとれたから、リチャードの側にいることも黙認したの。ここまで言えば意味は分かるわよね」
「……」
「母上、なにもそのことまでここでいう事は…」
リチャードが割って入るが、マリアロッサは首を振る。
「いいえ。証人がいる前でこそ話すべきことよ。貴方は、五年前、当時籍を置いていた高級娼館で一番高い部屋へ上がるための競い合いで不正を犯し、それで生じた損害の責任を取り、命を取らない代わりに最下層へ落とすにあたり、子どもの産めない身体へと処置された。
貴女からは何も生まれない。
それが今許されている理由よ」
コンスタンスがリチャードの子を産むことも、リチャードの子と偽って誰かの子を産むことは不可能。
「いいえ。全くと言うわけではありません。神聖力で治療をすれば…」
子宮を取り除いたわけではない。
多額の金と伝手さえあれば回復することも可能な術をコンスタンスの身体には施されている。
つまりは、順当にゴドリー侯爵夫人となれたなら何ら問題なく子を設けられるのだ。
「そうね。でもそうなると、たとえリチャードが爵位を返上し二人で平民へ身を落としたとしても貴女を生かしておけないの。国は、貴女が子を傀儡にして何かを企む可能性を捨てきれないでいる」
だからこそ、養子縁組を禁じる条項を付け加えたのだ。
「なぜ、そのような酷いことを。私が娼婦だったからですか」
「いいえ。娼婦を生業にしていた人でも、身請けされて貴族の夫人となった事例はいくらでもあるわ。五年前に月光館最高位の娼婦の部屋が空いた理由もそうだったでしょう」
その女性は容姿だけではなく才ある人で、とある国の大貴族の妻へ迎えられ活躍している。
「ドロテア・アビゲイルと、ずいぶん仲良くなったようね」
この国で指折りの財力を誇るアビゲイル伯爵夫人の名を突き付けられた。
「彼女と親密になることで最短で社交界入りする。そこは手段として悪くなかったわ」
マリアロッサは淡々と続ける。
「ただ。やりすぎたわね。意気投合しすぎて、二人で加減を誤ったと言うべきかしら」
「なにを…仰りたいのか…。私には」
「ドロテアと貴方は、淑女のサロンを公娼の場へ変えてしまった」
男たちが狩猟へ出かけている間の貴婦人たちの暇つぶし。
本来ならば軽い食事をつまみ世間話を楽しむ茶会だが、見目好い男たちにもてなされ、気に入れば別室で親密な時間を持つ退廃的な遊戯が繰り広げられた。
「個人の催した狩猟会に対してとやかく口を挟むつもりはないけれど、あまりにも品位にかけるわ」
貴族のたしなみ。
そう嘯いて安易に色欲へ走るのは、所詮、背負う物を自覚していないということ。
ひと夏の僅かな時間、木にすがって鳴く虫のようにその命は儚い。
「この件でアビゲイルや貴方を咎められることはない。でも、そういうところが侯爵を名乗らせるわけにはいかない理由よ」
伯爵どまりなら許される自由と、侯爵以上に求められる自覚。
少なくとも、今の王家の判断基準はかなり厳しい。
その地位によって与えられる権限がかなり違うだけに。
「それと貴方。あの時、かなり羽目を外してしまったわね」
「……え? なんの、ことでしょうか」
きょとんと、首をかしげるコンスタンスに、マリアロッサは苦笑する。
「残念ながら、貴方が夜会の終わりにベージル・ヒルに悪戯を仕掛けた姿が克明に記録された魔道具を、国が保管しているの。当たり前でしょう? 本来ならば主の女性に不埒な行動を起こした男が、よりによって近衛騎士へ昇格できるわけがない」
「近衛騎士? 聞いていない。リチャード、どういうこと? あの男は――!」
一瞬、我を忘れて隣に座る男の腕をつかみ詰め寄ってしまった。
「……コンスタンス。やめよう。その画像は、俺も見たんだ。君は、『あの時すごく酔っていて、自分が何をしたのか覚えていない』だろうけれど――」
リチャードの懇願するような声に、コンスタンスは目を見開く。
「…え、ええ…。ごめんなさい。よくは、覚えていないの…。ただ、ノーザンが…」
全ての罪は、副団長のノーザンのものだから。
震える手で結い上げた髪の乱れを撫でつけ、視線をゆっくりとさまよわせた。
こくりと息をのむ息子の恋人を凪いだ瞳でマリアロッサは眺める。
「…これからは気を付けてちょうだい。貴方は危うく王家の宝刀を谷底へ放り投げるところだったのだから」
知らなかったでは済まない。
それが、伝わっているかは定かでないが。
「貴方たち二人には話し合いが必要ね。とりあえず今日はこれで失礼するわ」
慌ててコンスタンスは立ち上がり、深く頭を下げる。
下手な言葉は命取りだ。
ただ黙って床を見つめた。
「結論が出たら知らせてちょうだい」
「はい」
リチャードの返事で空気が動く。
マリアロッサのドレスの裾がすっと離れていくのを感じた。
「…別邸に行くわ。ホランド、クラーク。案内して」
「はい。こちらです」
ホランド達の従う靴音が聞こえる。
「―――――」
嵐が、去った。




