試金石
その日は、小春日和と言えるようなのどかな天気に恵まれた。
「初めてお目にかかります。コンスタンス・ディ・マクニール・オブ・リンデマンと申します」
髪をきっちりと編み込んで結い、貴金属は一切つけず、首を覆う高い襟に袖も裾も装飾がほとんどないシンプルな青いビロードのドレスに身を包んだコンスタンスは、スカートの裾をつまみ深々と頭を下げ淑女の礼の形をとる。
「貴方がコンスタンス嬢ね。仕事が立て込んでいるせいでなかなか帰国できず申し訳なかったわ。どうぞ座ってちょうだい」
「ありがとうございます」
予告通り昼過ぎに数人の護衛と侍女を連れて来訪したマリアロッサ・ゴドリー侯爵夫人の出迎えはリチャードと側近たち、そして本邸の使用人全員で行った。
その後応接室でリチャード、コール、クラーク、ホランドの四人で小一時間ほど会話を交わしたのち、コンスタンスが呼ばれる。
マリアロッサに促され、リチャードとコンスタンスは正面の長椅子に並んで座った。
コールがまず茶を煎れ、クラークとホランドは用意していた茶菓子を並べる。
壁際にはマリアロッサ配下の騎士と侍女が立ち、リチャード配下の使用人たちは扉の外で控えた。
小量を試飲用のカップに注いで味を確認した後に、コールはそれぞれへ茶を配った。
「ウィリアムのお茶は叔父のバーナード譲りね。相変わらず良い味」
「恐れ入ります」
マリアロッサの微笑みに、コールは応える。
「まずは、シエナ島で我が息子リチャードを救ってくれたこと。深く感謝します。貴方の看病のおかげで私はこうして元気な息子と会うことができたと思っています」
茶器をテーブルに戻した後、マリアロッサはコンスタンスに頭を下げた。
「……っ、そんな、頭をお上げください、ゴドリー侯爵夫人。当然のことをしただけです」
コンスタンスは身を乗り出し、両手に胸を当て訴える。
伏し目がちなその姿はしおらしく、楚々として見えた。
「コンスタンス嬢も知っての通り、息子はレスキュエル国とのいざこざに巻き込まれ、疲弊したままさらに南国への赴任を命じられたため、熱病にあっさり罹ってしまった。とても独りでは乗り越えられないもので最悪の場合は死に至っただろうと聞いています。だから、私たち夫婦はリチャードが命の恩人である貴女を伴侶にしたいと言うならば、それを認めようと決めました」
顔を上げたマリアロッサはまっすぐにコンスタンスを見据え、きっぱりと告げる。
「え……」
予想外の言葉だったのだろう。
ぽかんと唇を半開きにしたままコンスタンスはリチャードの母親を見つめた。
「息子が変に気を回して子どものような小細工をしたようですが、その件の処理については後に『彼女』の意志を尋ねてから行うとして……」
『彼女』とは、この場にいない別邸の少女のこと。
外交に専念していたにもかかわらず彼女をすでに把握していることに、じわりと手のひらに汗を感じた。
「正式にリチャード・ゴドリー伯爵の正式な妻になる意思がコンスタンス嬢の中にあるならば、これから示すことに同意していただかねばなりません」
マリアロッサが背後の文官に合図を出すと、彼は数枚の書類をホランドに渡し、それを彼がコンスタンスへ手渡す。
「これは……」
びっしりと書き込まれた文章の最初の数行を読むやいなや、コンスタンスは即座に顔を上げた。
母と息子の表情は変わらず、応接室にはマリアロッサの朗々とした声が響く。
「まず初めに。
リチャード・アーサー・ゴドリー伯爵がコンスタンス・ディ・マクニール・オブ・リンデマン男爵令嬢と正式な婚姻関係を結ぶにあたり、以下の条項を示す。
一つ。
リチャード・アーサー・ゴドリーのゴドリー侯爵における一切の継承権と相続の放棄。
一つ。
リチャードとコンスタンス夫妻はゴドリー侯爵家のいち家臣として存在すること。
一つ。
二人の名乗るゴドリー伯爵家は、一代限りの爵位、いわば騎士爵であり、リチャード・アーサー・ゴドリーの死後は爵位と領地をゴドリー侯爵家へ返上。
一つ。
リチャードとコンスタンス夫妻にはゴドリー伯爵家継承のための養子縁組は認めない。
一つ。
もしリチャード早世の場合、コンスタンスには準男爵並みの資産は与えるが、ゴドリー伯爵家の特権の利用は認めない。
一つ。
王宮内でのコンスタンス・ディ・マクニール・オブ・リンデマンでの待遇は、王家の正式な許可がない限り、あくまでも彼女のリンデマン国の養子先同様に男爵位であること。
以上、六つの項目は国から示された判断であり、たとえベンホルムとマリアロッサ・ゴドリー侯爵夫妻、および現国王または王太子が亡くなったとしても覆ることはない、未来永劫定められた事項である。
これらを同意するならば、二人の真実の愛と正式な婚姻を認めることとする」
マリアロッサは書面を手に取ることないまま、一語の誤りもなく、コンスタンスが手にする条項をそらんじた。
「これが、侯爵家からの最大の譲歩であり、先の戦で多大な功績を示したリチャードへの国の恩賞。このことについては前もってリチャードの了解を得ています。あとは、どうするか……」
鷲のように鋭いまなざしで、マリアロッサはコンスタンスに問うた。
「決めるのは貴方よ、コンスタンス嬢」