変幻自在な、彼
「話をサリー・ホワイトの件に戻させてもらう。実は、客船の乗組員で画家を目指していた者がいて、空き時間に色々スケッチをしていたということが分かった」
「それって……」
「ああ。なんの導きなんだろうな。彼は陸に上がり船会社の事務員になったばかりでね。会社の屋根裏で寝泊まりしていたから話がトントン拍子に進んでさ。すぐにこれを提供してくれたよ」
テリーは戸棚に置いていた荷物のなかから、一冊のスケッチブックを取り出しテーブルの上に広げる。
「これが、サリー・ホワイト」
そのスケッチブックには様々なものが鉛筆で描き込まれていた。
人物画が得意のようで、乗客や乗務員の姿が色々な角度をスケッチされている。
中でもひときわ多かったのが、細身の裕福そうな一人の少女だった。
「なるほど。魅力的な方ですね」
ヘレナはぽつりとつぶやく。
長い髪はかつらなどではないようで様々な髪形に結われ、衣装も様々だ。
だれも彼女の性別を疑うことはないだろう。
完璧である。
「ん……ちょっとまった。やっぱり見覚えある気がする」
上から覗き込んでいたライアンが手を伸ばし、スケッチブックの紙面を次々とめくった。
「ああ……。思い出した。コンスタンス様の侍女だ。間違いない」
「侍女?」
ライアンはあどけない表情で空を見上げる少女の右の目尻に描き込まれたほくろを指先で隠す。
「俺の知っている『女』はここじゃなくて、唇の下にあった。髪と目はキャメルブラウン」
「線画だからこそ、逆に特徴が際立って見えやすいのでしょうか」
「そんなところかな。名前は……。そうそう、ベッシーだ。娼館から随行していた使用人たちの一人だった」
コンスタンスが娼館から連れてきた侍女たちは全員容姿も雰囲気も似ていて、声すらこれといった特徴がなかった。
茶色の髪をシニヨンに結ってくるぶしまでの黒いワンピースに白いエプロン。
表情がほとんどなく、まるで壁と同化しているかのように静かだった。
見分けがつかないのでライアンたちは顔の特徴をどれか一つ覚えることにした。
その一つがほくろの位置だ。
「常套手段かな。そういう状況なら誰でも黒子へ目が行くだろうからね」
ミカとテリーは頷き合う。
「そもそも娼館の侍女は女主人を引き立てるために格段に劣る姿にするか、色仕掛けをさせるために着飾らせるかの二択なんだけど、今も『奥様』は引き立て役にぴったりな侍女ばかり連れまわしているよね」
まあそれは娼婦に限ったことじゃないけどねとミカは肩をすくめた。
「それにしても、ニール・ゴアはずいぶん度胸のある人なのですね。提督の屋敷で侍女を務めて、客船ではご令嬢を完璧に装うって、なかなかできないと思うのですが」
ヘレナは心から感心していると、ミカが唇を片側だけ上げ、ちらりと側近たちに皮肉めいた眼差しを投げかける。
「そう言う意味ではガバガバだったんだねえ、シエナ島警備隊とゴドリーの騎士団は」
指摘されたヴァンとライアンは胸を押さえ、苦しげに呻く。
「まあそれは置いといて、提督の屋敷の侍女として潜入していたんだったら、もうかなり早い時点で侍女頭は篭絡されていたってこと?」
つい脱線してしまう大人たちの会話をクリスが軌道修正した。
「そういうことだろうね。そうしたらおおよその辻褄が合うんじゃないかい?」
言われてヘレナは指を折りながら順を追って考える。
たしかに。
ニール・ゴアは重要な役割を担っていたのだろう。
「こうなると、魔導師の誰かをさっきの偵察の時に一緒に連れて行かなかったのが悔やむところだね。今更だけどさ」
ヴァンたちが警戒しているなかどさくさに紛れて逃げ出せたのはおそらく、ニールは女装していたからなのだろうと想像がつく。
最後に見かけたのはコンスタンスの衣装をドレスルーム運ぶ姿だった。
本邸の女主人のドレスルームは何部屋にも及ぶ。
もしそこで侍女を装ったのなら、容易なことだ。
「ごめんな。俺がうかうかと部屋に入ったせいで。あんな、とっ散らかった部屋なら探ったところでばれないと思ったんだよ…」
ライアンが覗き込んだニールの部屋は侍従にあるまじき散らかりようだった。
片づけられない性格なのかと油断した。
「散らかした本人なりの法則があったのか、偽装なのか……。俺らごときにはわからんな」
ニールが消えた時に部屋を真っ先に見に行ったヴァンは首を振る。
使用人たちを統括する立場にあったが、私室に入って生活に気を配るようなことを行ってこなかった。
いろいろ手が回らなかったせいもあるが、まったく仕事に身が入っていなかったと、今なら解る。
「それにしても、コンスタンス様の狙いは何なのでしょうね…。リチャード様との結婚が果たしてゴールなのか、それとも他にあるのか…」
ヘレナは首をひねった。
コンスタンスのことは、考えれば考えるほど分からなくなる。
全てがばらばらのように見えるが、何かが繋がっている筈なのだ。
しかし、突破口がない。
「そこなんだよねえ」
ミカも腕を組んで宙を見つめる。
しかし、何も思いつかない。
まだまだ、手札が圧倒的に足りないのだ。
「まあ、こういう時はとりあえず休むに限るね。側近組はいい加減コールさんと休憩の交代をしておやりよ。それと、クリスとヘレナはもう寝る支度をしな。あとでフェンネルのワインもっていってやるからさっさとベッドに入るんだよ」
ミカの号令で、この夜はお開きとなった。




