せいへき。
木苺のトルテと林檎のコンポート、そしてコーヒーを囲んだところでいったん食事に集中するために中断していたテリーの報告が再開された。
「まず、客室の主はサリー・ホワイトという十七歳の少女だったそうだ」
「うわ。あからさまな偽名だね。よく乗せたな」
ミカは眉を顰める。
普通ならば船会社が用心して断る案件だが、そのシエナ島への帰路便は実入りの良い上級客が少なかったため、収益の補填のために目をつぶったらしい。
規定価格の倍近い金額をその場で提示されたため、一も二もなく飛びついた。
「運のよいことに、シエナ島で手続きを担当した者がちょうど帰国していてね。ホワイト商会の秘書だという男が契約と支払の手続きに出向き、護衛兼侍従一人、侍女一人が一応ついていたそうだ」
「二等の客としての最低限の体裁は保ったという事か」
その船旅は気候に恵まれ平穏で、乗客たちも機嫌よく過ごした。
そんななか、船員たちはサリー・ホワイトの容姿をよく覚えていた。
波打つ豊かなローズ色の髪、碧がかった灰色の瞳。
右の目尻にぽつんとある黒子が妙にそそられる、表情豊かで魅力的な美しい少女。
「なぜ、船員たちがしっかり覚えていたかと言うと、その子が綺麗だっただけじゃない。船上で知り合って親しくなったヨアンナとの親密過ぎる場面にたびたび遭遇していたからだ」
「親密過ぎるって…。ますます面白いね」
「ここから先はヘレナとクリスの前で言うのはちょっと気が引けるんだけど…」
姉弟に気まずそうな視線を送るテリーにヘレナはきっぱりと首を振った。
「大丈夫です。今更なにも驚きません」
「それにもう、なんとなく想像がついて来たというか…」
ため息をつくクリスに、苦笑いしながらテリーは続ける。
「周囲を全く気にせずに女学生のように手を絡め合って歩いたり、顔を寄せ合って内緒話をしたり…。姉妹の真似事や女友達というよりもはや…」
「恋愛関係にあるような親密さと言うことでしょうか」
「ああ。船員の何人かは人気のない場所で口づけを交わす二人を見た者がいて、あっという間に噂は広まった。でも、サリー嬢のお付きたちが『お嬢様はちょっと人懐っこいもので』とさらに金を握らせてきたため、まあ、見ないふりと言うか」
「まあ、この手の船あるあるだよね。客たちもどこか開放的になってお互い様の空気があったりして、さすがは動く密室」
船の旅だからこそ、大っぴらに愛人との蜜月を楽しむ人たちも少なからず存在する。
「え? ちょっとまて。ヨアンナは女が好きだと言う事か?」
それまで黙って聞くのみだったヴァン・クラークが混乱の声を上げる。
「いいや、違うね。アタシが思うに、侍女頭がバーナード氏に薬を盛ったのって、相手にされなかった逆恨みがあったと睨んでいるし…」
バーナード・コールは甥のウィリアム同様、繊細で理知的な容姿だ。
彼に恋する使用人は多かったことだろう。
中でもヨアンナ・ボニーは彼の妻の座をずっと狙っていたのではないだろうか。
仕事熱心でもないのに長く務めた理由はそこにあるとミカは推測した。
「それに、あの女の身体からは男と交わった匂いしかしなかった。その中でも一番濃かったのが」
「ニール・ゴア?」
クリスが人差し指を立てて問うと、ミカは深くうなずく。
「そう。すっかり骨抜きにされている感じだね」
「まて、二人の歳の差は一回り以上あるんじゃないか。それに…」
ヴァンが信じられないと頭を振る。
彼の中でのヨアンナの印象は最初からあまり良いものではない。
同性の部下たちにも人望がないことは薄々気づいていた。
「あんたにとってヨアンナにはいろんな意味で全く食指がわかない。そう言いたいのだろうけれど、だからこそ、赤子の手をひねるくらい簡単に落とせただろうね」
「その話の流れで行くと、ニール・ゴアはサリー・ホワイトだったということですか」
タルトをフォークで切り分けながらヘレナがぽつりと言うと、テリーは肩をすくめて答えた。
「その通り。ただ、確証はないよ。船員たちはほぼ気づいていない。ただ、一人だけ。客室乗務員の責任者が密会現場を目撃した時になんとなく違和感を覚えていたんだよ」
それは、些細なものだった。
サリーとヨアンナの体格はあまり変わらない。
どちらかというと、若いサリーの方が手足が長くほっそりとして顔も小さかった。
どこから見ても愛らしい裕福な家の少女。
そして、家庭教師のような固い雰囲気の中年の女。
そもそも奇異な組み合わせであるうえに、サリーにヨアンナが魅了されているのは明らかで。
彼が見たのは、物陰でサリーがヨアンナを壁に追い詰め、キスを交わしている場面だった。
積極的に触れているサリーは明らかに手慣れており、ヨアンナはうぶな少女のようにされるがまま。
客室内ではなく、いつ人が通るかもしれない外であることがますます快楽をあおっていることを十分に熟知しているそぶりを彼女は見せた。
これは十七歳の『人懐っこい』の域をはるかに超えている。
まるで色男が世慣れぬ女を堕とす手練手管のようだと思った。
「こうなると、男娼時代にいろいろ経験を積んで、おそらく当時は未成年だったニールが女装してサリー・ホワイトを名乗っていたと考えるのが妥当だろう」
男娼の仕事やり方は女性よりよっぽど多岐にわたる。
幼いころ中性的な雰囲気の子どもは女装させられる場合もあっただろう。
それに、男性を相手にするか、女性を相手にするか。
どのようなシチュエーションを好む客なのかによって、様々な姿に変える。
ニールの場合、女装もかなり年上の女性の客を取らされることも経験していたのではないかとテリーは考えた。
「女性客の中にね。いるんだよ。女装した男娼と戯れるのが好きなのが意外とたくさん」
これはクリスとヘレナの耳に入れて良いことだったのか。
あとで何人かの保護者達からお叱りの言葉を頂きそうだなとミカは頭の片隅で思いつつ、話を続ける。
「ヨアンナは、そういう性癖だったんだろうね。いや、開花させられたのかな」
「おい、ちょっと…。めちゃくちゃ大人な話だな…」
ヴァンが年少者二人を気遣う視線を送ると、ヘレナはきょとんと首をかしげた。
「今更ですよ。クリスはともかく、私はもう、あの結婚式を通過したらなんでもどんと来いと言うか」
「…くっ。まあ…そういわれると」
ヴァンは胸に手を当てて苦し気に顔を歪める。
「…ねえ、姉さん。『あの結婚式』って何?」
食堂内の温度が一気に真冬の寒さまで下がった。