金髪碧眼伯爵夫人vs.金髪碧眼秘書、仁義なき戦い
「…ストラザーン伯爵夫人が、よもやブライトン子爵家のご息女だったとは思いませんでした」
「ホランド!」
ホランドの皮肉に全員の視線が集まり、コールが顔色を変えて止めに入った。
「そうね。あなたに言わせれば、ゴドリーに土下座して二千ギリアを恵んでもらったハンス・ブライトンの実妹が何をほざいてやがる、…ってとこかしら?」
「ご無礼を申し訳ありません、ストラザーン伯爵夫人…」
コールの謝罪を、カタリナは片手を上げてさえぎる。
「構わないわ、その辺を白黒はっきりさせないとあなた方も困るでしょうし」
扇子を口元に当てて、ゆるりと微笑んだ。
「ホランド卿、あなたが挙式の二日後に王立図書館へ行き、二十三年前から数年間の貴族年鑑の閲覧したのは知っているわ。私の経歴を調べるためにずいぶんと面白いコネを使ったのね」
この国の貴族年鑑は爵位を拝命している各家に配布され、毎年刷新される。
新版受取時に前年分を返却するのがきまりで、回収したものは王立図書館がすべて廃棄、原本は侯爵以上の当主もしくは委任状を持った代理以外入室できない閉架書庫に納められている。
規定通りにいけば、ホランドが閲覧することは不可能。
「ご存じでしたか」
平然と応じるホランドをカタリナはじっと見つめ続ける。
「まあ、ヘレナの口から『叔母の嫁ぎ先の養女になった』と告げさせた時点で、ハンスの妹と打ち明けたも同然だし。そもそも秘密というほどのことではないから別にいいのよ、それはね」
「ただ、あなたが私の経歴を確認して判断した結果がこの程度なら、残念だわ。能力を疑うわね」
「…は?」
「あなた、主になんて報告したの? ヘレナの叔母は、ブライトン子爵の籍を抹消するために金の力で三回も転籍した女で、王族を母に持つリチャード様よりずっと格下だから相手にせずともよい。…そんなところかしら」
「まるでご覧になっていたかのような口ぶりですね。まさか、使用人を買収されたのですか」
挑戦的を通り越して、はっきりとカタリナを見下す口ぶりに、クラークがホランドの腕を引く。
「やめるんだ、ライアン!」
「ああ、いいのよ、クラーク卿。あまりにも予想通りで笑いが止まらないわ」
カタリナは余裕の笑みを浮かべたままだ。
「最初にヨーク子爵、次にトレヴァー辺境伯爵、最後はダルメニ侯爵。それぞれの家の養女になったのは、何故なのか。それがだれの指示だったのかまでは追跡せず、そして全く何も考えなかったようね。ライアン・ホランド」
艶やかに光る黄金の髪、理知的な青い瞳、白磁のようなきめ細かな白い肌、すっと通った鼻筋、バラ色の唇。
長い首と腕、細く締まったウエスト。
とても三十代後半には見えない若々しくも美しい容姿。
宮廷の薔薇として今も咲き誇り、芸術の女神とも讃えられるカタリナ・ストラザーン。
「夫が私を見初めて慣例を無視して妻にすると決めた時、義父は私にブライトンと縁を切ること、婚約期間の三年間とある家々の養女になることを課した。単純に私の経歴を洗い流すために見えたでしょうけれど、実際は当時バラバラだった国内の貴族の結束に私を利用したのよ。もちろん役に立たなかったら捨て駒にするつもりだったけれど、期待以上の仕事をして義父の鼻を明かしてやったわ」
「…自慢ですか、それは」
不快気に眉を顰めるホランドに、カタリナは手の甲を口に当て声を上げて笑った。
「本当にあなたって。顔だけの能無しと嘲って欲しいの? それとも遅い反抗期ねと頭を撫でて欲しいの?」
「な…っ」
「今の話が全く理解できなかったようだから、子どもにもわかるように優しく教えてあげるわね。私は確かに没落下位貴族の娘だけど、転籍を繰り返すうちに多くを味方につけ、それは今も続いているからこそ、あなたの行動は全て筒抜けだったということなのよ」
ホランドの顔色がみるみる変わっていく。
「その多くって、何が含まれているかわかるかしら、コール卿」
「王宮…。ですね」
コールは息をついた。
ホランドは監視され、泳がされていた。
国家の危機などではなく、たかだか父に売られた子爵令嬢のために貴重な人材を使い、それが許されるほどの力。
「正解」
「この度の無礼の数々、大変申し訳ありませんでした。これは私の失態です。いかようにも罰を受ける覚悟です」
「誠に申し訳ありません。私も責任を取ります」
呆然と立ち尽くすホランドをそのままに、コールとクラークが頭を下げる。
「その必要はないわ。貴方たちはヘレナの雇用主なのだから。ただし。そのようなわけだからこの書類には今すぐ同意してもらうわよ」
「はい」
二人は先ほどの書類にすぐさま署名した。
ヘレナとストラザーンとの交流の容認、商会の出入り。
予定にはなかったことだが、こうなると従うほかない。
「確かに」
秘書官とともにサインの確認をし、カタリナは頷く。
若い彼らは知らない。
二十数年前の帝国は平穏に見えて水面下では貴族たちの権力闘争で混乱し、一歩間違えはドミノ倒しになるところだったことを。
それを未然に防ぎ国内をまとめていったのは前ストラザーン伯爵の功績だ。
見事成功させた彼はストラザーンにおいて絶対君主で、次期当主である息子は替えの効く駒の一つだった。
それが、ヘレナたちをぎりぎりまで助けることができなかった原因だ。
義父はたしかに功臣だ。
しかし、家族にとっては…。
カタリナは頭を振って、亡き義父への思いに蓋をする。
「ライアン・ホランド」
「…はい」
もう彼から傲慢な態度はすっかり消え、うつろに開かれた瞳にカタリナの姿が映る。
「貴方の愚かな行為はあくまでも余興だったことにします。貴方の生家であるホランド家に敬意を表し、今回は罪に問わない」
ホランドがカタリナの実家の爵位を持ち出し見下せたのは、彼が伯爵家に籍があるからだ。
「それと疑心暗鬼になったあなた方が余計な行動をするだけでしょうから教えておくわ。私が伝手を使ったのは外でのホランドの動きだけ。この屋敷内のことは今も知らないわ。ただね。挙式当日に関しては詳細な情報が即、耳に入ったから、こうして動くことになったわけよ」
「え…?」
三人はいちようにぽかんと口を開いた。
「これからテリーと頻繁に顔を出してくれるそうだから紹介するわね。魔導士庁職員のサイモン・シエル。彼があなた方のヘレナに対する非道な扱いを見るに見かねてストラザーンへ通報してくれたのよね」
「は…?」
カタリナの背後に控える背の高い魔導士とヘレナの関わりがわからない。
濃い灰色の髪にラピスラズリの瞳。
そしてライアンの華やかさと対極にある静かな美貌。
一度でも見かけたなら、これほどの男を自分たちが忘れるはずはない。
困惑する彼らの前で、ローブ姿の男が薄い唇を上げてにこりと笑った後すっと頭から首に手を滑らせる。
「あ…っ。おまえ…っ」
思わず、クラークが粗野な言葉を吐きだした。
雑に伸びた鼠色の頭髪、あばたの跡がくっきり残る肌。額と頬骨とアゴが高く突き出て岩のような輪郭、そして極めつけは歪んだ分厚い唇。
この男なら、忘れるはずがない。
リチャードとコンスタンスの挙式を執り行った司祭だ。
「改めまして、魔導士のサイモン・シエルです。前職は司祭でしたが一週間ほど前に助祭ともども年季が明けまして。二人そろって魔導士庁へ転職しました。いやあ、先日はけっこうなお式でしたね」
にかっと不揃いで大きな歯を見せて笑う。
「あの日頂いた奉納金は無事神の元へ納められたのでご安心を。ちなみに私どもを含めあの場にいた信徒たちは一銭もおこぼれを預かってはおりませんので、そちらも安心なさってくださいね」
口元にかざした指先にふっと息を吹きかけた瞬間、稀代の醜男は消え、エルフと見まごう美青年へと戻った。
「あ、こっちが本物です。あそこで素のままでいると尻の穴が破壊されるので仕方なく」
清らかな色で理想的な形の唇から、聞いてはならない言葉が出たような気がする。
「…」
応接間に再び沈黙が落ちた。




