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変化と検証


 療養中の元執事バーナード・コールは心身ともに少しずつ回復していると、甥であり昨日も様子を見に行ったウィリアム・コールが今朝の朝食の席で嬉しそうに告げ、さらに一つの『記憶』についても話した。


 それは、『いつからか、ヨアンナはバーナードがコーヒーを飲み干すまで執務室で雑談をし居座った』ということ。


 とりとめのない噂話。

 何度も聞いたはずのシエナ島での経験談。

 使用人同士の諍いについて堂々巡りの考察。


 話を切り上げるためにバーナードがコーヒーを飲み干すと、ようやくヨアンナはカップを回収して退室する。

 そして、バーナードの仕事の能力は顕著に落ちていった。

 同じく当時の侍女頭だったイーラも体調不良が続き、ある日階段を踏み外して足を骨折、後任をヨアンナに託して里へ帰った。

 彼女は六十に手が届く年齢だったとはいえ、衰えは急激でそんなさなかにヨアンナへの侍女頭交代が行われたらしい。


 もはやこれが偶然で片付く話でないことは、誰の目にも明らかだ。


「今、イーラを引き取った親族を探しているけどさ。なぜか転居して見つからないんだよね」


 手詰まりだとため息をつくホランドに、 テリーが珍しく話に割って入った。


「ちょっと待ってください。今更ですが、キャシーという方がおられましたよね。侍女頭補佐で」


「うん? 年功序列で言うなら補佐はヨアンナだろう?」


「いいえ。うちの商会が前に取引をした最後の時、検品や受領証のやり取りはキャシー嬢だったそうです。イーラ夫人からの信頼が厚いことは他の商会の人たちも知っていたはずです。彼女はいついなくなったのでしょうか」


 ラッセル商会は一年あまりほとんどの取引から撤退していたが、それまで出入りしていた配達係の話では、朗らかで同僚たちに慕われている若い侍女がおり、侍女頭が特に目をかけていたと聞いている。 


「キャシー…。もしかして俺とけっこう年の近い、キャシー・サムのことか?」


「はい。まだ二十代ながら手際のよい仕事ぶりと人望があることから、彼女が次の侍女頭になるのではないかと商会の者たちは思っていたそうです」


「え? そうなのか? だって、あの子はゴドリーにやってきてまだ数年だって聞いたけど」


 きょとんと目を見開くホランドに、ミカは呆れたように首を振った。


「すごく有能だったってことじゃないの? そもそもさあ。そのイーラさんって、もうそろそろ引退しようかなって考えていたんだとしたらさ。引継ぎをもう始めていたってことだよね。それなら、そんな時期にリチャード様の赴任に同行させるのってどうなんだろう。アタシらなら左遷かな? って思うよ。もめごと起こす面倒なやつこそ、いったん外へ出すんじゃないの」


「……俺には。よくわからない……。この屋敷との関わりなんて、本当にほとんどなかったから」


 確かに、生きるか死ぬかの戦いに巻き込まれ、ようやく戻ってきたにもかかわらずすぐに飛び地へ赴任させられた。

 使用人の顔と名前を頭に叩き込むのがせいぜいで深い所まで知る暇などなかっただろう。


「そこをうまいようにつけこまれたってところかね。まあまだ推測だけどさ」


 膝の上にネロを乗せたヘレナは、彼のつやつやとした背中をゆっくり撫でながら三人のやり取りに耳を傾ける。


 正直なところ、あまりにも多くの糸が絡み合い過ぎて何をどうしたらよいのかさっぱりわからない。

 自分はただ、父の借金のカタにリチャード・ゴドリー伯爵の名義上の妻となっただけ。

 それなのに、いったいどうしてこのようなことに。


 困惑しながらも懸命に考え、ヘレナは疑問の一つを口にした。


「バーナード様の症状はその粉末が絡むとして、他の皆さんはどのような方法を用いているのでしょう。物理的に本邸から離れただけでホランド卿の体調が変化したということは…」


 ホランド達は執務中の飲み物を自分たちで煎れていたため、ヨアンナの介入は不可能。

 国に関する機密情報を持ち帰ることもあったため清掃はコール自ら行っており、ニール・ゴアも入ることはできない。


「それなのですが、ハーンから気になる話を聞きました。先日ヒル卿が保護した侍女のドナが言うには『料理を提供する時にコンスタンス様には特別な調味料を使用していた』とのことで」


 シエルの説明にテリーは軽くうなずく。


「ああ…。提供する相手によって調味料を変えるのが普通だからな。主人と使用人では食事内容が全く違うし」


 おおむね貴族の屋敷では主人たちには最高級の食材と調味料を使い、使用人たちは内臓やあまりものの野菜などを等級の低い塩で味つけるのが通常だ。


「それでも更に『奥様』用があるとしたら、その辺にも仕掛けがあるってことだね」


 実は女主人と取り巻きが不在の手薄なうちにと、真夜中に使用人たちを睡眠薬で眠らせ、コールとクラーク、そしてハーンとシエルが探索してみたものの、これといった証拠は一切見つからなかった。

 ヘレナがひたすらリチャードの衣類の縫い直しをしている間、別邸の食堂は作戦会議室と化してミカとテリーも加わり、二日前からはなぜかホランドが当然のようにそこに鎮座して何かと口をはさんでいる。


「ドナの言動がいたって普通だったのは、雇われてから日が浅いせいだと思われます」


 魔導士庁が念のためドナの身体を検査したが、悪しきなにかは全く見つからなかった。


「良かったね。その子はたいして汚染されないうちにあの屋敷を出ることができて」


 コンスタンスに捨て駒として利用されていた侍女見習いのドナは行方不明扱いのままだ。

 彼女のアビゲイルでの荷物は使用人たちに廃棄されたが、まだ滞在していたナイジェル・モルダー男爵の義妹の使用人たちがしっかりと全て回収し、本邸の方もコールたちが実家へ返却する名目で押収しており、それらをハーンに預けたため、感激したドナから更に情報を得ることができた。


「まずは今夜、なんとかして厨房に入り込んで調味料だのなんだの拝借しないとね」


 旅の疲れが出ている今夜ならまだ隙があるだろうとミカが言うと、シエルは頷いた。


「じゃあ、仕入れ先については俺がもう一度調べとくよ」


 ホランドが手を挙げると、クリスとパールは胡乱な目つきでじっと彼を見つめた。


「…なんだよ、弟」


「いやもう、色々付いていけないんだけど…」


 パールの首をぎゅっと抱きしめたままクリスは深々とため息をつく。


「とりあえず、俺は貴方の弟じゃないので、どうか名前で呼んでください」


「え。そこなんだ」


 ホランドが目を丸くすると、パールが喉をそらし軽く「アウ」と吠えた。


「ええ。重要なので」


 じっとりと湿った眼差しを向け続ける弟に、ヘレナはくすりと笑う。



 これはこれで良い変化かもしれない。



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