三年分の
「それでは、早速始めようか」
中央の魔女が二人から受け取ったハンカチを手に何事か呟き始めた。
すると、左右の魔女は何やら歌い始める。
焚火の魔女は太く低い旋律を、かき混ぜる魔女はか細く高い旋律を。
地を這う冷気のように、鍋から立ち上る湯気のように。
問答にも似た二人の歌声が周囲をくるくると回りうねっていくような感覚をコンスタンスたちは受けた。
もう、森の中の得体のしれない生き物たちの気配はどこにもない。
あるのは、煮えたぎる何かを抱え込んだ鍋と三人の魔女、そして火の粉を恐れ焚火から数歩離れて見守る自分たちだけ。
【――――――――――】
中央の魔女が聞きなれない言葉を呟きながら二つのハンカチをそっと水面に浮かべると、それまでヘドロのようなどす黒い何かだったものがさあっと薄い乳白色の液体へと変わる。
それはやがて渦巻きながらきらきらと水色や桃色、金色と様々な色を放ち、まるでオパールが液体になって満たされたかのようだ。
あまりのかわりように、もはや前の邪悪なさまは幻だったのかと二人は何度も瞬きをした。
やがてハンカチが沈んで見えなくなったかと思うと、今度は金色の糸と黒い糸が浮かび上がり、くるくると回って水面に模様をつけながら水面を覆ったかと思うと、やがて消えてオパールの水へと戻っていく。
沈められたドロテアの金髪とコンスタンスの黒髪が浮かび上がってきたのだと、しばらくして気付いたが、ほんのひと房きりとっただけだ。
なのに、大鍋を覆い尽くすほどになっていたことに気味悪さを感じ、二人はカタカタと震えた。
魔女だと名乗る女にはこれまでさんざん出会ってきたつもりだった。
しかしそれらは全てまがい物であったのだと、認めざるを得ない。
彼女たちは人なのだろうか。
それとも。
老婆たちの歌は途切れることなく続き、今度は赤い液体が渦巻きながら現れて全体を染める。それは彼女たちがハンカチに落とした血を連想させ、その匂いを感じた二人はすっかり冷え切った手を握り合い、身を寄せた。
最後に、ぷかりと最初に入れた宝飾の数々が浮かぶ。
不思議なことに箱に入れたまま投げ込んだはずのコンスタンスの首飾りもむき出しの姿で現れ、それらは水面を回りながらまるで飴のように溶けていく。
「え……?」
二人が驚きの声を上げると、ちらりと魔女が視線を上げた。
「高価な宝飾品には多くの力がこもっているから、有益なのさ。大地の力を吸い取って生まれ、ヒトの欲をさんざん食らい、聖なるモノと邪なモノのどちらも内包している。それを使ってあらゆるものとの繋ぎを作るのが、わしの仕事」
その姿が美しければ美しいほど。
石の中に力は宿る。
コンスタンスたちを輝かせたものはやがてゆっくりとオパールのスープの中に消えた。
【――――――――――、――――――――】
魔女がまた、何事か鍋の中に向かって呟く。
すると、鍋の中央に湯気が渦巻きながら集まっていき、次第に何かの形を作っていった。
「なに……?」
おぼろげながらそれは四つ足の獣のようにも見えたが、鳥のように翼のあるものにも見え、目を凝らしているうちに白銀の煙の球体がくるくると回りながら浮かんでいるだけになる。
【――、―――――】
魔女が語り掛けると、その球体から不思議な音が返る。
【・ ・ ・ ・ ・】
それはぽろんぽろんと細い弦をつま弾くようであり、ぱらぱらと薄い硝子に落ちる雨音のようであり、それが不思議な旋律で魔女の呼びかけに応じていた。
次第に霧が立ち込めていく中、歌と問答が続く。
【――、―――――?】
【・ ・ ・ ・ ・、 ・ ・ ・】
ぱらりぱらりと草や葉をちぎっては投げ入れる中央の魔女の枯れ木のような指先を目でおいながら、コンスタンスは時が止まっているかのように感じた。
三人の魔女は無表情で、いつまで経っても何を言っているのかさっぱり理解できない。
この状況に慣れてきたドロテアがしびれを切らしたらしく、口を開こうとした瞬間、交渉していたと思われる魔女が二人に目を向けた。
「三年分の命でどうかと言っている」
「え……? なに? どういう……」
混乱するドロテアを制し、コンスタンスは尋ねる。
「それは、今から三年という意味ですか?それとも、寿命が三年縮むということですか」
「なかなか勘が鋭いね。わしは優しい女だからね。若い季節をもぎ取るのは思いとどまらせたよ。最期から三年だ」
「もしや、私たちの寿命はあと三年しかなく、了承した瞬間に死ぬということなのでは?」
そうでなければ、あまりにも。
「いや。違う。それだとわしらにうまみはないからな」
確かに、魔女たちは言った。
コンスタンスたちの目を通して世界を見たいと。
彼女たちを満足させるだけの月日を自分たちは生きるというのか。
「なら、構いませんわ」
即座にドロテアは頷いた。
「老いさらばえて長く生きたいなど思っていないもの」
コンスタンスよりいくらか年上のドロテアは、今が一番の女盛りだ。
だからこそ、老いて醜くなり人々から疎まれることを恐れている。
美しいまま、もてはやされている間に死んでしまいたいという願望を心の奥底に潜ませていた。
「そうかい。わかったよ。で、お前さんは? 黒髪のご夫人」
問われてコンスタンスは迷った。
どこか。
何か見落としていないか。
懸命に考えようとするが、頭の中で疑問が空回りするだけで焦りが募る。
しかし、今を逃すとこの血を浴びたような痣は治らないばかりか全身に広がっていくのだ。
「……この、恐ろしい痣を消し去ってくださるなら……。お願いします」
答えを口にした瞬間、頭のてっぺんから足の裏へと。
何か、強い力が走ったような気がした。