道連れ
「……いったい……。どうなさったの?」
カーテンを下ろした薄暗い部屋に案内され、コンスタンスは唖然とする。
この城で一番良い場所で、最も効果的に陽の光を浴びていたはずの設えは闇に沈んでいる。
そして、侍女の一人もそばで控えることなく、重い匂いの香が焚き染められ静まり返った空間。
「どうもこうも……。貴方、呼ばれた理由は分かっているのではなくて?」
黒のシュミーズドレス姿で長椅子に身体を横たえているアビゲイル夫人は細工の細かい黒の短いヴェールを頭から被っていた。
「私はこうなったわ」
彼女が両手でヴェールを上げ、顔を晒す。
「……っ! これは……」
ドロテア・アビゲイル伯爵夫人の顔は両目の周りを中心に赤く痣のようなものに囲まれており、彼女の美貌を激しく損ねていた。
「一応断っておくけれど、夫に殴られたのではないわ」
忌々し気にヴェールを被りなおし、目元を隠す。
「昨日、ゴドリーの騎士たちが禁忌を犯して身体に罪のしるしが付いたと治療師たちから聞いたわ。どうやら貴方も無傷ではいられなかったようね」
ドロテアの視線は、同じく黒いレースの手袋に包まれたコンスタンスの両手に注がれた。
「どうしてそれを……」
あの『騒ぎ』から一日。
コンスタンスの手のひらの赤いあざはじわじわと広がっているような気がする。
何て気味の悪いことだろう。
「この館の女主人は私よ? ここで起きたことの一切を知らないことなんてないわ」
「でも、ドロテア様がなぜ」
しかも、コンスタンスより目立つ場所だ。
これでは使用人たちの前にすら出られやしない。
「モルダーの剣の仕業よ。王妃からモルダーとヒルが褒美として剣を賜ったのは聞いていたけれど。そんな仕掛けをほどこしているなんて誰も知らなかったわ。この私ですら」
ドロテアは十代前半でモルダーを見初めて以来、溺愛してくる祖父にねだって彼に関わる情報を探り続けていた。
なんとか裏から手を回して彼と結婚できるよう画策しようとしたが、それについてはアビゲイルとの縁を重視した父に阻まれ、仕方なく嫁いだ。
その後、せめて一晩でも共にできないかと狙い続けて、ようやく好機が巡った今回の狩猟会。
今更、何が問題だったのだろうか。
結局ものに出来なかったというのに。
「『持ち主の気分を害せば呪われる』だなんて……。やっかいなこと」
投げ出していた足を床に降ろしてドロテアは立ち上がった。
「伝言通り、今回ここに持ち込んだ中で一番価値のある装飾を持って来たわよね?」
「ええ……。これですが」
手にした小箱を開いて見せる。
「……まあまあね。それだったらまあ、あちらも納得してくれるでしょう」
コンスタンスが持参したのは、先日の夜会で身に着けた大粒のサファイアとダイヤモンドで作られたネックレスだった。
帝都の貴族用屋敷が一軒買えるほどの価値がある。
「なじみの呪術師を呼んで相談したところ、この不吉な痣は日を追うごとに広がっていく可能性があるそうなの。
実際、私の顔はますます酷くなっていっているわ。
それで、これを消す方法は聖女教会の修道院に数年籠って奉仕活動をしながら聖水を浴び続けるか、金を積んで魔女に頼むかの二択だと言われたのよ。
修道院での生活は何年に及ぶかは不明だけど、少なくとも十年ではないかと」
「それは……」
「やってられないわよね。十年だなんて」
そうなると、魔女に頼むしか道はない。
「ここに術符があるわ」
ドロテアは胸元から一枚の紙を取り出した。
「魔女たちの住む森へ転移できるらしいの。ただし、侍女や護衛を連れて行けばそこへたどり着くことは出来ないそうよ。『本当に用がある人間』しか使えない招待状というわけね」
ドロテアは爵位こそ低いが裕福な武器商人の家で何不自由なく育った。
溺愛されて育ち、その暮らしぶりは高位貴族の令嬢にも劣らない。
誰も伴わずに見知らぬ場所へ出かけたことなどない彼女にとって、独りで魔女を訪ねるなどもってのほかだ。
そんな時、ベージル・ヒルの剣の怒りを買ったゴドリーの騎士たちがことごとく不可思議な痣を負ったとの報告が入った。
それを知った瞬間に、コンスタンス・マクニールも同様に違いないと推測した。
いや。
彼女が重症であればそれに越したことがないと思ったのだ。
もしそうならば。
彼女を道連れにすることは容易い。
そして。
「ならば、早く行きましょう、ドロテア様」
コンスタンスは、欲に忠実な女だ。
潔い程に。
「話が早くて助かるわ」
ドロテアはコンスタンスに手を差し出した。
二人は片手をつなぎ、もう一方の手で術符を握り合う。
「では行くわよ」
互いに紙を引っ張るとぴりりと真ん中から裂けた。
赤い光が一瞬弾ける。
そして、ドロテア・アビゲイル伯爵夫人の私室は空になった。
ねっとりと。
夜の花の匂いを残して。




