ヘレナ、恐ろしい子
「フウライは国の神に使役されていた狐だったらしく、罰せられ封じ込められて半減してもなお、それなりの神力がある。それがパールたちには怖いのかもしれないな」
「元神獣だけに異色ですからね。我々にもなじみのない力で、興味深いものではありますが……」
ヒルとシエルが説明している間も二匹はヘレナにくっ付いて震えている。
「緊急時以外、意思の疎通は夢の中でしかできない感じだったのに、先日、たまたま帯剣してここへ来たらあっさりこの状態になってな……」
まさかここまで怯えられるとは思っていなかったヒルは困惑顔だ。
「この状態」
ようするに、実体化と通常会話か。
先ほど白狐が一声鳴いた時に、ヘレナとシエルが夢の中で体験したのと同じような状態になる術がかかったと思って良いのだろう。
【ココハ トクベツ
マリョクニ ミチテイル
マドウシ ヤリタイホウダイ ノ オカゲ?】
こてんと白い頭を倒されて、ちょっと可愛いとヘレナは胸を高鳴らせた。
するとパールがヘレナの袖を咥えて引き、青い目を潤ませいやいやと首を振る。
【ヘレナ ヤダ
パール ココ イル】
か細い声が耳に届く。
「パール。あなたも今喋ることができるのね」
頭を抱え額にキスをすると、ひゅんひゅん鳴きながらパールは白い尻尾をせわしなく振った。
【イヌ ヤキモチヤキ
ネコ オクビョウ
メンドクセエ】
フン!と狐が呆れたような様子を見せると、二匹はますますヘレナにぴたりとくっつき縮こまる。
それをちらりと赤い目で見て、ますます彼はイライラとふんわりした尻尾を振り回した。
「ああ……。ライはパールとネロとお友達になりたいのね?」
二匹を抱きしめたままヘレナが首をかしげると、ライはポン!と一瞬毛を逆立てた。
【ナ……】
白い毛がうっすらと桃色に染まる。
「ライは良い子ね」
【ナ……】
「私、ずっとパールとネロとお話してみたかったの。貴方のおかげで二匹の声が聞けたわ。ありがとう」
【ナ ナ ナ ナ……】
はくはくと狐が口を開けたり閉じたりしているなか、ヘレナは続けた。
「この子たち、まだまだ幼いでしょう。頼りになるお兄さんがいたらよいのにと思っていたら、貴方に出会えたの。この子たちを妹と弟と思って仲良くしてくれたらとても嬉しいわ」
にっこり笑うと、ライはぴたりと口を閉じ、ふいっと横を向く。
【シ シカタ ネエナア】
尖った口元から生えているひげがぴくぴくとうごめいた。
【ヘ ヘレナガ ソウイウ ナラ ベツニ イイヨ】
「まあ、ありがとう、ライ」
ヘレナが笑うと、てとてとてととライは歩み寄り、彼女の鼻に自らのそれをすり寄せる。
どうやら親愛の挨拶らしい。
「ふふ。よろしくね、お兄さん」
【イヌ ネコ オレヲ アニキ ト ヨブガ イイ】
つんとすまし顔の狐に、パールとネロは少し微妙な表情で【アニキ……】と呟いていた。
「ツンデレかよ……」
盛り上がる彼らをよそに、ミカはこっそり呟いた。
そして、心の中で強く強く思う。
ヘレナ、恐ろしい子。
それから間もなく時間切れになったらしく、白狐のライはしぶしぶ別れの挨拶を口にする。
【オレ チカラ タメテ マタ ヤルカラ マッテロ ヨ!】
【…………ハイ】
【ガンバッテ……クダ サイ ネ】
元神獣ライと魔改造犬猫たちの中に温度差があるのは、初対面だから仕方ない。
ヘレナがライの頭を撫でると嬉しそうにくるりと一回転した後、剣の中へ吸い込まれていった。
剣を手にするヒルが言うには、今のライは『久々に術を使ってちょっと眠くなっている状態』のようで、数刻はよほどのことがない限り反応はないそうだ。
「はあ……。どえらいものを見せてもらったわ」
ミカは大きなため息をついた後、立ち上がる。
「ちょっとお茶を煎れ直してくるわ」
ネロが「み゛-」とかすれ声で鳴いた。
まるで、ネロもミカのようにため息をついているみたいだ。
気楽に会話ができないのは少し残念だが、これくらいがちょうどよいのかもしれないとヘレナは思い直し、ゆっくりと背中を撫でた。
「それで、この子たちが怖がるほどにライの神力は常に剣から漏れ出ているということなのでしょうか」
ミカが簡単に模造剣との違いを見抜いて指摘したように。
「ああ。適度に発散させないと鬱屈するというか悪い気が溜まるから、素振り程度の付き合いはしていたんだ」
「常時帯剣しない理由は、下賜されたことが恐れ多いというのが一番の理由ではないのですね」
「そうだ。俺に対して不快な態度をとる者をライが片っ端から罰しようとするから……まあ、制御できていない俺が悪いのだが」
剣の茎に『この剣とこの剣の主を侮る者には罰を』と彫り込まれているのは、王家の意志であり、ライ自身の信念でもある。
二つが合致した上に神聖魔法をかけられたせいで、より強固な呪術となってしまった。
「先日ハーンから聞いたと思うが、ゴドリーの騎士たちが俺を私刑にかけようとした。モルダー男爵の話では、捕らえたゴドリーの騎士たちに異変が生じたらしい。一番酷いのがライを私物化しようとしたノーザン、それ以外の騎士たちも全員身体の表面に醜い痣がついていたと聞く」
「痣?」
「顔、首、手。隠しようのない場所ばかり、血を浴びたような見た目になったとか」
ノーザンに至っては手が腐り落ちた。
「なるほど。この子たちが怖がるはずですね。強大な力を持っているなら魂の輝きも鮮烈で眩しかったでしょうし」
ヘレナは暖炉の前に座りこんだままパールを撫でると、彼女は顎を膝に乗せてぷすんと鼻を鳴らす。
「まあ、格の違いでしょうか。この子たちは色々掛け合わせて数か月前に生まれたばかりの魔改造生物。あのライは大昔に生を受け、神獣として生きた時間もあり、さらに鉱石に封じ込められて眠った期間もあるので我々にとっては大先輩というか」
「それにしては、ずいぶんやんちゃな子じゃないか。あんたたち、大丈夫かい?」
シエルの話の横から、刻んだ林檎を入れた紅茶のティーポットを手に戻ったミカがぶった切る。
フウライを目覚めさせてしまった責任は王家、魔導士庁にあり、さらに気に入られてしまったヒルにもかかるだろう。
「大丈夫でしょう。ライは良い子だし。お兄さんのフウさんもおそらくそうなのでは?」
のんびりしたヘレナの声と、生の林檎の甘酸っぱい香りが部屋にゆっくりと広がった。
心なしか、壁に立てかけた剣からほんわりとした気が発せられているような気がする。
ミカはカップに紅茶を注ぎながら、今一度思う。
ヘレナ……。
ほんっとに恐ろしい子。




