前門の虎後門の狼
「ところでヒルさんさ。あの剣、外っかわはいつものヤツだけど、中身はいつもと違うね?」
食事もデザートも食べ終えてまったりとコーヒーを楽しんでいるさなか、こういう時こそ直球で尋ねるのがミカだった。
ヒルは剣を腰から外し、壁際に立てかけていた。
ここで食事をするときにいつもそうしていたので、ヘレナも彼の剣は見慣れている。
柄頭の部分に特殊な模様が入っている以外は、一見何の変哲もない剣。
しかし確かに、今日は何かが違う。
うまく表現できないが、とにかく『存在感』があるのだ。
「ああ。よくわかったな。ここの騎士たちは気づかなかったけど」
「あのぼんくら騎士団にわかるもんかい。独りで練習している時に振り回していたヤツだよね?」
ヒルが早朝に起きて別邸から外の空き地で素振りをしているのをミカもヘレナも時々目にしていた。
空気を震わす音が尋常ではなかったことを思いだす。
「そうだ。今そこにあるのは王妃から下賜された剣で、あれを毎日腰に付けるのは恐れ多くてな……。頼み込んで外観は同じ普通の剣を作らせてもらった」
「なんだい、らしくないね」
「なんとでも。留守番させておくくらいがちょうどよかったんだよ、ここでは」
「は?」
「ただし、放っておくと拗ねるから自主練習の時だけ使っていたんだが……」
「……それ、どういうこと?」
「それはだな……」
言いかけてちらりとシエルに視線を向けると、彼は軽く瞬きをする。
「もう、見せてもいいか」
ヒルは立ち上がって剣を手に取り、柄頭を軽く撫でた。
「ライ」
唱えた瞬間、白いもやのようなものが剣から立ち上り、ふっと天井に向かって上昇した後にヒルの足元に舞い降りた。
「これは……。この子は、白い……キツネですか?」
ヘレナは興味津々で椅子から降りて立ち上がり、テーブルに手をつき覗き込む。
ところが、彼女の背後の暖炉で温まっていたパールとネロは飛び起きて一気に毛を逆立てた。
そして、二匹ともカタカタと震えだす。
「あら……。どうしたの、パール、ネロ」
獣たちのそばへ行き、床にペタリと座って手を差し出すと、彼らはヘレナに飛びついた。
「え? え? なに?」
二匹ともヘレナのお腹に競うように頭を押し付け、ふるふると震えるばかり。
仕方ないので、抱え込んでぽんぽんと二匹の背中を軽く叩く。
「ああ……。そういうことでしたか」
シエルがぼそっとつぶやく。
【ウン ソウイウコト】
いきなり、少年のような高い声が耳に届いた。
「え?」
振り向くと、ヒルの足元にいたはずの白いきつねがトテトテトテと歩いてテーブルを回り、ヘレナとミカの近くまで来たところで立ち止まる。
そしてやおら宙に向かって『ケーン』と鳴いた。
すると、部屋の中に薄衣の帳が下りてとどまった。
【アンマリ ナガクハ モタナイ】
ふすん、と小さな鼻を鳴らして赤い瞳でヘレナたちを白狐は見つめた。
【ハジメマシテ ヘレナ ミカ オレ ライ】
長い口元がぱくぱくと動き、それに合わせて言葉が人間たちに届く。
【チナミニ キョウダイハ フウ
ナイジェルノ ツルギ】
「ふう、と、らい?」
【フウ カゼ トクイ オレ イカズチ トクイ】
そこで、シエルが挙手をして仲介を買って出た。
「私が説明しましょう。はるか昔に東の国のやんごとなき人を助けたお礼に、鋼石を頂いたのです。それはとんでもなく力のあるものでして……」
正直なところ、厄介払いの類ではないかと国は勘ぐるほどの品だった。
二匹の狐の兄弟が封じ込められた鋼石。
途方もない魔力と個性を秘めており、剣を仕立てたとして、それを使いこなせる人間がいるとは思えない。
そのため、長きにわたり宝物庫で彼らは眠らされていた。
その存在を忘れかけるほどに。
「色々あって、王妃様が先の戦争で奮闘したナイジェル・モルダー男爵とベージル・ヒル様に兄弟剣を仕立てて、下賜したのです。鋼石の要求にこたえられる主が現れたとして」
「要求?」
【オレタチ キレイナモノ スキ
ブサイク キライ】
ぴんと、尻尾と耳を立てて、白狐は主張した。
「……なるほど?」
ナイジェル・モルダー男爵とは、過去に街で遭遇した遠縁の若者の事だろうか。
全身から金粉が発生しているかと思うほどキラキラと輝いていたのを思い出す。
「ちび。俺は、モルダーのついでだ。決してフウライの眼鏡にかなったわけじゃない」
眉間に深い溝を作ったヒルが良くわからない弁明を始めた。
【エ? オレ オマエノ カオ キニイッテルケド?】
「空気を読めない狐だったことは分かったよ……」
ミカは両手を腰に当てて、しげしげと新入りを見下ろす。
【イヌ ネコ
サッキハ ワルカッタ ヨ
ダッテ オマエタチ アルジノ ジャマ スルカラ】
赤い目を向けられた二匹はますます震えが止まらない。
【ゼ……】
夢の中で聞いた、甘い舌っ足らずな声がヘレナには聞こえた。
これは、ネロの。
「ぜ?」
背中を優しく撫でて促してみる。
【ゼンモンノ キツネ コウモンノ シエル …………】
ようよう絞り出したのは、呪文のような言葉。
「ええと……」
「ようは板挟みって事かい」
ネロの言葉が聞き取れたミカは合点が言ったらしく、くっくっくっとのどを鳴らして笑う。
【コワイ コワカッタ オソロシイ】
額を擦り付け、ネロがさめざめと泣いている事だけはわかった。
※ お知らせ
158話中に出てくる『鋼石』についてですが、
読者様からご質問頂き、他の方も疑問に思われている可能性があるのでお話しします。
この物語のみの造語としての『鋼石』(はがねいし)で、現実世界に『鋼石』という言葉はありません。
鉄鉱石と書く方が本当は正しいかと思います。
あえてそうしなかった理由は、
遠い国からやってきたフウとライは日本の殺生石の伝説のイメージからできたキャラクターで、私は彼らを封じ込めた石が変化して鉄鉱石になったという形にしたくて、
『鋼石』と名付けました。
山地ばかりの日本はほぼ鉄鉱石が採れず、砂鉄に炭素を合わせた鋼、いわゆる玉鋼を鍛錬して日本刀は作られます。
ヘレナたちの世界は西洋風ファンタジーなので、基本は鉄鉱石(現実は大陸で産出されます)で、これを鍛造して剣を作ります。
厄介払いに渡された石が鉄鉱石なのか、玉鋼(これも明治以降の呼び名ですね)なのか。
散々迷っての結論ですが。
私の物語の中での創作物として、今は『鋼石』(はがねいし)と表記させていただきます。
いずれこっそり修正する時が来るかもしれません。
もしお気づきになったら、ああ、考えが変わったのだなと笑って頂ければ…幸いです。




