単なる手段
「はいよ。ここに置いておくよ」
「ありがとう。助かるわ」
ミカの声に半ば上の空で応えながらヘレナはひたすら針を動かした。
コール、クラーク、ミカの三人の協議の末、下半身を覆う下着に関しては腰ひもの部分の糸を解き、それをヘレナが縫い直すということになった。
そして肌着も裾を解き、ドレスシャツと上着はボタンを取り外すと決め、結局、男性二人も本邸から衣類を運んできたり糸の処理をしたりと手伝っている。
そんなことができるのも、コールの叔父のバーナードの容態が安定し、ますます快方に向かっていることと、書類の整理の目途が付き、なおかつ図書室にハーンが結界を張ってくれたため、侵入者の心配もなく置いたままに出来るからだ。
「…………よし。これはおしまい。次ね」
縫い終えた下着を丁寧にたたみ、次の仕事に取り掛かる。
使用している糸は、生垣のノバラが主な成分の抽出液に浸しアイボリーに染めたもの。
あくまでも魔改造植物のエキスにさらすという工程が重要で、着色は薄く、おそらく見破られることはない。
「相変わらず……。彼女の仕事は神がかっていますね」
肌着の裾の糸を長い指で器用にほどきながら、コールはため息交じりに呟いた。
もともとヘレナの針仕事は年齢から考えられない程手際が良いが、慣れたもので全く迷いがない。
熟練という言葉がぴったりだ。
「まあね。まさかあんなことをやっていたとは思わなかったよ」
解かれた物にミカは片っ端からざっくりとしつけ糸を縫い込む。
正直なところ、三人がかりで下準備をしてもヘレナの運針に追い付かず、急遽、ハーン経由でラッセル商会から助っ人を召喚している。
今、ミカの母のマーサが階下で夜食を作ってくれていることだろう。
暖炉の近くの床に座り込んで、ひたすら縫うヘレナの左右にはぴたりとパールとネロがくっ付いていた。
「頭が下がります。母親の介護と使用人たちへの差配、金銭の管理……。十一歳やそこらの子どものすることではないです。私はその頃、勉強しかしていなかった」
腰より長くなったヘレナの二本の三つ編みが背中でわずかに揺れるのをコールは見つめる。
自分も家族には恵まれなかったが、ヘレナのそれはとても比べようがないものだ。
それなのに、今もこうして彼女の潜在能力に頼らざるを得ない己のふがいなさに歯噛みした。
「単なる手段だったので、深くは考えていませんでした。まあ、まだ子供でしたし」
ジンジャークッキーとおかわりのコーヒーを飲みながらミカに問い詰められてヘレナが白状したのは、下着裁縫の下請けを受けるに至った経緯だった。
母親の余命がせいぜい一年と発覚したころにちょうど通いのランドリーメイドとして雇われた中年の女性は、すぐさまブライトン家の窮状を見抜いた。
『これは、大人に内緒の小さな財布を用意した方が良いね』
それが内職をすることだった。
そのランドリーメイドは平民で、幼いころから家族に苦労させられて様々な仕事を経ていたせいか、他人事と思えなかったらしい。
『きっと、奥様が亡くなったら、旦那様は酒浸りになるよ』
頼れる大人がいないなら、自分で何とかするしかない。
生きるとは、そういうことだ。
ぶっきらぼうな言葉づかいで諭された。
そこでヘレナは、クリスを連れて母の生まれ故郷であるカドゥーレへ逃げるための旅費を稼ぐことにした。
遠縁がいると聞いている。
山の中で暮らす民になれば、もう振り回されることもないだろう。
もちろん、母も自分の死後のことを心配して手を尽くしてくれたが、そんなこと『ご学友』たちはお見通しだ。
次々と道を塞がれた。
その上彼らは母の持ち物を物色し始めている事をヘレナは気づいていた。
父は、母を愛していた。
なので、何かと口実を設けては贈り物をしていた。
それらが、母のいくつかある私室や貴重品室にぎっしり詰まっていた。
当時は、まだ。
生きているうちは手をつけないだろうが、後で巧妙な手口でハンスから巻き上げていくことだろう。
『ご学友』たちは、ブライトン家の家族を壊したいのだ。
徹底的に。
ただ、彼らがあくまでも貴族であることが幸いした。
貴族という生き物は、自分が身にまとう下着がどこからやってくるのかなんて考えない。
空気と同じだ。
勝手に存在するもの。
誰かの手によって作られたということに気付かない。
平民の中でもあまり暮らし向きの良くない女性が受ける単価の安い仕事を、よもやブライトン家の子どもが行っているとは、想像できないだろう。
盲点だと、ヘレナも思った。
しかし単価の安い仕事だからこそ、数をこなさねばならない。
そのうちに、ヘレナは要領よく縫うことを覚えた。
母からはカドゥーレの技術を沢山習った。
でも、その頃はまだ貴族令嬢のたしなみの域だった。
母と笑いあいながらゆっくりと楽しめればそれでよかった。
初めに貰ったのは三日もかかって縫った女性の下着でようやく銅貨一枚。
しかし、そのうち貰える報酬が一枚ずつ増えていった。
たとえ平民の着る下着でも、たくさん縫えば、着実に金はたまる。
更に技術を身に着けて、上等な下着を請け負えば、単価も上がる。
そして、任される仕事も増える。
仕事というものを、ヘレナは学んだ。
「それでクラークさん。テリーは何て?」
糸を付け替えながらミカは尋ねた。
「ああ。緊急の仕事依頼だから相場の二倍出しますとお願いすると、屈強な女性たちを派遣しますと、快く引き受けてくれた」
眉間にしわを寄せ、真剣な面持ちでクラークは糸を目打ちで引っ張り出し、鋏で切る。
彼は、あまり器用ではないらしい。
整った容姿なので、その様子は一枚の絵のようだが、いかんせん手に持っているのは下着だ。
「あー。そういやそうか。ちょうどセドナたちが休暇に入って帝都に戻ったんだった」
「セドナ?」
「うん。うちの一族の中で一番ガタイがいい連中でね。六人姉妹でクラークさんより背が高いし腕も腰も太いと思うよ。もっともセドナの兄貴たちはもっと凄いけどさ」
ラッセル商会で護衛などを請け負うスミス家にはそれぞれに適した仕事を割り振っているが、セドナたちは主に貴金属など盗賊に狙われる可能性の高い物の護衛を担当することが多い。
「ああ……。そういうことか。女性六人でゴドリーの騎士団三十人分の働きができるからそれで十分だと言われたんだ」
「うん、まず、あの女の誘惑にかからないって言ったら、女のセドナたちが適任だからね。たぶん、使用人たちも怖くて近づけないから問題は何も起きないだろうな。それで、日程はどうなった?」
「明朝出発で明後日の夜にアビゲイルに到着、翌日コンスタンス様たちに挨拶後荷造りを指導、さらに次の日の朝に出立、二泊三日でゴドリー着といった感じだな」
「となると、あと五日間は少なくとも好きにできるってことだね」
「そうなるな」
二人は同時にヘレナの様子をうかがう。
「そんなに急がなくても大丈夫……って言っても、無理なのだろうな、彼女は」
暖炉の薪が弾ける音の中に、かすかに旋律が混じり始めたのに気付いた。
ヘレナは集中が増していくと、必ずなんらかの歌を口ずさみ始める。
それがとうとう始まったということは。
「……効果抜群になりそうだね……」
「ああ。ありがたいことに」
確かにありがたいことだけど。
クラークは苦い思いを飲み込んだ。




