剣に刻まれた言葉
別館前の開けた場所は、物々しい空気に支配されていた。
空には少し太り始めた月の光が高い位置から煌々と降り注ぐおかげで暗すぎるということはないが、カンテラと松明を沢山設置し、広場をできるだけ明るく照らす。
しかし誰もが動揺し、きょろきょろと互いに探り合っていた。
ほんの数時間前に威勢よく出発した騎士たちは全員負傷し、数台の荷馬車に詰め込まれて戻ってくるとの知らせが来たのだ。
何が何だかさっぱりわからなかった。
やがて荷馬車が現れ横付けされると、侍従や侍女たちは慌てて駆け寄る。
荷台にうずくまる騎士たちは傷の痛みにうめき声をあげていて、降りるのを介添えするのも一苦労だった。
広場に面した一階の応接室の扉は開けられているが、二十数名を一度に寝かせるほどの広い空間はないため、とりあえず敷物を敷いた地面にそのまま転がされた。
そしてそこへアビゲイル伯爵が狩猟会のために雇っていた数名の治癒師たちが、重症と思われる人から順に手当てを始める。
「彼らはいつの間に……」
リチャードの独り言が騒ぎの中ぽつりと落ちた。
まさかこんな事態になるとは思わず、ゴドリーから連れて来た使用人で治癒できる者は二人しかおらず、専門職でもないため大して役に立たない。
全員を治療するのは無理だった。
「ああ、君の意識が正常に戻るのを待つ間に、ホランドがアビゲイルに交渉して借りて、早くから一階の応接室で待機してもらっていた。逃げだした馬もおそらく明日には捕獲できるだろう」
モルダーはこともなげに返す。
使い物にならない当主に代わって、臣下のホランドばかりか、疎遠になりつつあったモルダーが事細かに指図していた。
「すまない……感謝する」
「なんの。まあ、アレのせいだと解っているから。気にするな」
広場が見渡せるテラスの上に立ち、三人は全体を眺める。
槍で刺された一人と運悪くクロスボウが当たった者たちそして馬に踏みつぶされた者たちを除けば概ね打撲傷。
しかし、ほとんど骨折しているらしく、治療師たちは魔力を多く放出しているのが時折瞬く光でわかる。
しばらくして目途が立ったのか、治療師の一人がリチャードたちの元へやってきた。
「ゴドリー伯爵。一応全員、命に別状はない状態にまで治療いたしましたが……。奇妙なことがありまして」
「ご尽力感謝する。それで、何があった」
テラスの階段を降りて治療師の正面に立つ。
「はい。一部、治癒魔法が全く効きません」
「効かぬとはどのような状態だというのだ?」
二人が会話している間に、ホランドとモルダーは連れ立って患者の様子を見に行った。
「説明する前にまずお断りしておきます。私は長年帝都で貴族相手の仕事をしておりました。それ故、あくまでも外傷や病気に対する治療が主で、魔獣などに襲われた場合の経験がほとんどありません」
帝都は国土の中心に位置しているため、ずいぶんと長い間魔獣が現れることがない。
それはこの狩猟会にしても同じことだった。
「なるほど。貴方の見解では、魔力による損傷ではないかということか?」
「はい。魔力……というより、術ががかっていると思われます」
会話を続けながら彼らもホランド達が膝をついて覗き込んでいるところに行く。
「これは…………」
横たわっている男は、ノーザンだった。
彼はヒルから攻撃を受けなかったはずだ。
それにもかかわらず、気絶している。
彼の顔の、額から口にかけて大掛かりな赤いあざに覆われていて、両手から肩にかけても同様に、まるで劇薬か熱湯でもかけられたかのように変色していた。
「これはいったい……」
「リチャード、よく見ろ。指先は壊死している感じだ」
モルダーが魔力でノーザンの手元を明るく照らす。
「……そうだな。しかし、どうしてこんなことに」
「思い当たるのは、ベージル・ヒルの剣だな」
決して大きな声で話したわけでもないのに、あたりは突然静まり返った。
「あ。なんだか、心当たりあるって感じだね」
周囲をぐるりと見渡すと、治療を受けた中で意識のある騎士たちは誰もがおびえた顔をしている。
「この次にこの手の症状が重いのは、ヒルの尻を撫でたやつかな? で、その次は副団長」
当たりだったらしく、一斉にざわめき始めた。
「どういうことだ、ナイジェル・モルダー男爵」
「単純な話さ。言っただろう。俺とヒルの剣は兄弟剣。王妃から下賜されたって」
治療の手助けをしていた使用人たちは驚愕に目を見開く。
ホランドは『家紋入りの剣だからベージル・ヒルの剣だ』としか言わなかった。
まさか、王妃直々の品だとは知らなかったのだ。
「当初は宝剣をと言われたのを固辞したら、とあるところで特別に作らせたうえ、神聖魔法がかけられていた。
柄を外してみたらわかるけれど、茎のところに刻印されているんだよ。
『この剣とこの剣の主を侮る者には罰を』って」
その場にいた者すべてがどよめいた。
「ずいぶんあいまいな定義だし、どんな罰なのか気になるから当然尋ねてみたけれど、『その時が来れば解る』の一点張りで」
「神聖魔法による呪術となると……」
「解呪はなかなか難しいだろうね。なんせ、王命による術だから」
献金するという裏道はあるにはあるが、そうなるとノーザンの実家が十年分の収入をつぎ込んだとしても無理だろう。
ざっと見渡すと、負傷騎士たちには程度の違いはあるものの、顔や手に赤いあざが浮かび上がっている。
「そのうち消えるか……。一生消えないかはわからない。なんせ、こんな事象は俺も初めて見るから」
小さく首をかしげて見せるモルダーに、護送に同行していなかった者たちの中にも不安が広がっていく。
「うわああっ!」
治療の手助けをしていた騎士の一人が自分の手を見て叫んだ。
私刑には加わっていなかったが、地下に監禁している間、何か良からぬことをしたのだろう。
「―――つまりは。そういうことだ」
リチャードはテラスの上に上がり、全体を見回して使用人及び騎士たちに向かって告げた。
「昨夜のベージル・ヒルの一件は冤罪だった。それは、神聖魔法が発動したことが証明している。よって、彼はゴドリーを離れ、王家直属の近衛騎士団へ移籍することとなる」
二階の窓のあたりから何事か聞こえたが、見上げることなく当主としての仕事を続ける。
「追放のみという命令から逸脱して私刑を行ったことは、モルダーから聞いたし、証拠も残っている。これに関わった騎士は全員明朝をもって解雇。ただし、無一文で放り出しては周辺の住民に迷惑がかかるだろうから、多少の装備と金は支給する。以上だ」
リチャードの言葉に、泣きながら土下座する者や慈悲を乞う為這いずって前に進もうとする者など、あたりは騒然としている。
それを、灯りを消した二階の窓からひそかに覗きこんでいたコンスタンスは、石のように固まった。
「なんですって……」
カタカタと身体がかってに震えだす。
確かに。
あの剣には触れた。
ベージル・ヒルを地下に監禁している時にノーザンたちと…………。
でも、触れただけ。
少しだけ…………。
しかし、最後に笑いながら柄を握りしめて持ち上げたのを思いだす。
「まさか、そんな…………」
なんとか気力を振り絞り、恐る恐る自分の手を持ち上げ、カーテンの隙間から差し込む月明かりにかざした。
「ひっ…………っ」
うっすらと。
手のひらが染まっていた。
まるで、血を浴びたかのように。