扉の向こう、窓の外
リチャードとホランド、そして近衛騎士のナイジェル・モルダー男爵が主寝室に籠って話し合いを始めてずいぶん経った。
「いったい、何をそんなに……」
閉ざされた扉を見つめながら、ぎり……とコンスタンスは爪を噛む。
今朝方。
人の好いリチャードは寝室へ戻るなり己の言動を後悔し始めたようだったので、いつもより多めに薬を飲ませ深く沈めた。
そうすると、物事は思い通りに進んだ。
ベージル・ヒルは夕方近くまで地下に閉じ込められ、主が眠られているとも知らずにノーザンたちに罪人として引っ立てられて出発。
ホランドがいつになく出しゃばったのは予想外だったが、所詮は多勢に無勢。
結局は元部下たちに屠られる家畜のように引っ立てられて行くのを、コンスタンスはこっそり衣装部屋のカーテンの影から笑いをかみ殺しながら見ていた。
ざまあみろ。
あの澄ました男の背中が見えなくなるまで見送り、腹を抱えて笑った。
せいせいした。
前時代的な規律を強要し何かと小うるさいヒルを、騎士たちは心底嫌っていた。
おそらく、人目に付かないところでちょっといたぶって放り出すに違いない。
運が良ければ助かるかもしれないし、そうでないかもしれない。
知ったことか。
貴族の血統をもつ側近たちの中で唯一の平民出身者。
親しくなれるだろうと思っていたのに、当てが外れた。
なんてつまらない男。
どんな報いを受けたかは、ノーザンが帰ってきてから教えてくれるだろう。
とても、楽しみだった。
待ち遠しい気持ちを落ち着かせるために、ゆっくりと風呂を楽しんだ。
ところが。
ノーザンたちはいつまで経っても帰ってこない。
いくらなんでも、じっくり楽しみ過ぎだろう。
嫌な予感がしてリチャードの眠る主寝室へ戻ろうとすると、なぜか使用人たちが行く手を阻む。
払いのけて飛び込むと、ナイジェル・モルダーという騎士がいた。
ドロテア・アビゲイルが執着しているのは、確かこの男だった。
彼を初めて間近で見て、驚いた。
長い金髪がさらさらと波打ち、切れ長の深くて澄んだ青い瞳。
すっと通った上品な鼻筋。
男らしい口元はやや肉厚で、そこだけがあまりにも官能的過ぎた。
あの人にとても近く、とても遠い。
あの人は、いないのだ。
それでももっと見ていたかった。
なのに、厳しい物言いで追い出された。
三人で何を話しているのか気になってこっそり扉に耳を当ててみたけれど、物音ひとつ聞こえない。
考えられるのは、あの騎士が魔道具を持ち込み、音が外に漏れないようにしたということだ。
機密事項だと。
王命だともあの男は言った。
果たしてそれは、コンスタンスに何ら関係のないことなのだろうか。
それとも―――。
「奥様―――!」
急に外が騒がしくなり、侍女頭のボニーが取り乱した様子で扉を開け部屋へ飛び込んできた。
「どうしたの」
仕方なく扉から離れ彼女の元へ行くと、そのまま手を引かれて窓辺へ連れていかれた。
カンテラと松明がいくつも掲げられ、馬だの馬車だので騒がしい。
「なんなの、これ」
粗末な荷車には何やら塊がたくさん積み込まれている。
「ノーザン団長と騎士たちです。夕方にベージル・ヒルを護送して行った……」
「はあ? どういうこと?」
下では騎士や侍従たちが怒鳴り合い、右往左往している。
そうとう動揺しているようだ。
窓から身を乗り出して覗き込んでいると、主寝室の扉が開いた。
「帰ってきたか。まあ、予想通りかな」
ノーザンたちに何があったのか、まるで知っているかのような口調のモルダーを先頭に、リチャードとホランドが続く。
「リチャード……」
駆け寄って彼の腕に手をかけると、アクアマリンの瞳が静かにコンスタンスを見下ろした。
「コンスタンス。君はこのままここにいた方が良いだろう。下はこれからもっと騒がしくなる。もし何かに巻き込まれたら危ない」
どこか他人行儀な声色に戸惑う。
まさか、やはり……。
「リッ……」
なにか言わねばと身を乗り出したその時、カチャリと硬質な音がその先を阻んだ。
「コンスタンス・マクニール男爵令嬢。ここからはリチャード・ゴドリー提督の仕事です。どうか従ってください」
あの金髪の騎士は、別にコンスタンスに剣を向けたわけではない。
ただ、腰に付けた剣の柄頭を片手で動かしただけ。
でも、それがコンスタンスに向けた警告音だと感じた。
「ここから静かに下で起きていることを見学するのは構いません。ただ、男たちに姿を見られない方が賢明です」
「な……、なにを……」
ノーザンたちがどうするというのだ。
「説明は後でするから。どうかここにいてくれ」
コンスタンスの手を解くと、リチャードは廊下へ向かって歩き出す。
「ボニー。念のために鍵をかけておいてくれ。コンスタンスのためだ」
「は、ははは、はい」
ボニーはあたふたと従う。
「リチャード!」
三人の男たちは出ていき、リチャードが振り返ることはなかった。