偽りの薬
結局、なぜか三人で床に胡坐をかいて暖炉の前に座り込んだ。
「ここから言う話は、機密事項だ。もしも重荷ならあとで消去できるから、とりあえず聞いてほしい」
膝の上でくつろぐ鴉の頬を人差し指でかいてやりながら、モルダーは言う。
「あの戦いの最終日、アンデッドとゴーレムの素質を掛け合わせた開発中の薬をヒル、ピーター、パイパーの三人が飲んだ」
「それは……まさか」
リチャードとホランドは青ざめる。
この話の流れで想像するのは、劇的な勝利の理由。
「殿を担ってからの俺たちは地獄の中にいた。ヒルは片っ端から……。それこそ森の中に分け入って目の前で絡まる蔦を鉈で払うみたいに、敵を屠りまくりながら進んだ。俺も数少ない味方を減らさずに傷をなるべく負わせずに戦うために知恵を絞って、イズーたち魔獣もたくさん投入したけど、数と殺意が桁違いの相手に出来ることはたかが知れている。しかももう何日も休まず戦っているんだ。指一本動かすのも億劫なくらい疲れ果てていた」
援軍は、来なかった。
味方に繋がる道を分断されてとても出せる状態でもなかったが。
「俺は、死にたくなかったよ。なんとしても妻と子供たちのところへ戻りたかった。みんなもそうさ。そんな時、あるものを持っていることを思いだした」
ずっと、捨てるに捨てられなくて胸元にしまっていた小さな瓶。
怪しいとは、思った。
危険なのではないかと思った。
『かなり強力な身体強化がかかる薬』だなんて。
『天才』と『狂人』の境界線はどこだろう。
人を救ったら『天才』で、
人を害したら『狂人』?
敵を殺したら『英雄』で、
味方を殺したら『犯罪者』?
その違いは、どこにあるのだろう。
どうしてもわからない。
『これ』と『これ』を掛け合わせたら、どんな効果が出るのだろうか。
人知を超えた、素晴らしいものが生まれるのではないか。
それとも、全てを焼き尽くす、魔物が出てくるのか。
どちらにしても、その先を見てみたい。
そう、思ってしまうのは。
果たして、本当に悪いことなのか?
みなぎりぎりの境界線を、ふらふらと蛇行しながら生きている。
奈落の闇に魅かれながら。
『モルダー卿、ちょうど良いところに』
出征直前に所用で寄った魔導士庁の廊下で、先を急ぐモルダーの目の前に、とある魔導士が現れた。
顔見知りだが、それほど親しくない。
薬の研究開発の部署に在籍する男。
彼は、『ちょうど治験が済んで認定されたばかりの新薬』だと言ってモルダーに手渡した。
柔和な顔をした、穏やかな人物だと認識していたが、彼も魔導士の一人。
やさしげに微笑み気遣いの言葉を連ねるのがどこか妙で、信用ならない。
そう思ったが、突っぱねる暇はなかった。
とりあえず受け取り、そのまま戦場へ出てしまった。
そして絶体絶命の状況に陥った時、たまたま駆け込んだ岩屋で一緒になったヒル、ピーター、そしてパイパーについ、ポケットの中の新薬の話をしてしまった。
「最初は俺が飲むつもりだった。でも、飲むなら指令を飛ばす俺ではなくて、歩兵がいいとパイパーが言い出した」
好奇心の強いピーターとパイパーはすぐにその瓶の封を開け、指先に付けて舐めた。
あっという間のことだった。
それを見るなりヒルはすぐに奪い取って飲み干し、瓶を崖下に投げ捨てた。
やがてまもなく三人の身体に変化が訪れる。
彼らは身体を強制的に作り変えられる痛みにしばらくもがき苦しんだ。
見た目は何ら変わらない。
普通の人間。
しかし。
痛みをそらすために地面を殴ると、パイパーの痩せた拳で大きな穴が生まれた。
「そこからヒルは、人間ではなくなった。俺の使役する魔獣のようなものになった。ろくな装備なしで崖を猛烈な勢いでよじ登って石造りの強固な砦に乗り込み、いきなり投石機を蹴り壊し、奪ったハンマーひと振りで石の回廊を半壊させた」
大岩を投げ込まれたくらいの衝撃が周囲に走り、人も簡単に飛ばされた。
「敵に乗り込んで破壊して回るのはヒル一人で……、ピーターたちは俺と生き残った味方を守るために動きまわった。とにかく三人が尋常じゃない力を発揮して暴れて、たとえ腕を切り落としてもまたたくまに再生するもんだから、早々に相手方の魔導騎士たちに気付かれてな。『卑怯だぞ!!』って城壁から怒鳴ってきたから、『死にたくなかったら引け! こいつらが正気を保っているうちに』って怒鳴り返した」
そんなやり取りの最中に砦と対岸の崖をつなぐ石橋を、ヒルが一人で破壊した。
橋脚に一撃。
ただそれだけで石造りの柱が粉々に砕け、砂埃で一帯の視界が悪くなり、それがようやく落ち着いて見ると、谷間には橋の名残りだったと思われる石や岩が転がっている。
成功したのは、薬の効果はもちろんだが、ヒルが工兵から学んだ叩き上げの騎士だからだ。
とある一点を攻撃しさえすればたちどころに崩壊することを知っていた。
それは、投石機などの大型兵器や砦の壁にしても同じこと。
「俺はもう一度相手方に怒鳴った。『こいつ一人だと思うな。もうすぐ同じ能力のあるやつがもっと来るぞ。そいつらは殺戮が好きだ。さあ、どうする?』ってな」
それこそ一か八かの、はったりだ。
だが、ほんの少し背の高くちょっと見た目の良いどこにでもいる普通の若造が一撃で橋を落としたのは、視覚的効果として十分だった。
ヒルに攻撃魔法をかけたとしても無意識のうちに跳ね返されるか、たとえ負傷しても数秒後には治って、本人は全く痛みを感じない様子で前に進む。
どうしてそうなのか。
誰にも考える暇を与えないよう、とにかくヒルは派手に動き回り、壊し続けた。
迷っているうちにも砦はどんどん崩れていく。
何よりも、大型兵器が全滅してしまい、歩兵戦のみとなった今、彼一人だとしても一度に何人倒すかと予測した場合、犠牲は計り知れない。
そしてとうとう、恐慌状態に陥った敵方の指揮官は白旗を掲げ、勝敗を決した。
終結のほら貝が鳴り響き、モルダー隊を囲んでいた兵たちも撤退し、死の危機から脱した。
だが、モルダーはすぐにはリチャードたちと合流できなかった。
あの薬は、身体強化だなんて生易しいものではない。
ゴーレムとアンデッドの素材が使われている。
切り落とされた腕が生えてきたのを見た時にそう思ったからだ。
このままでは、ベージル・ヒルがアンデッドになってしまう。
まずは兵士たちに怪我の治療や休息などの指示を飛ばした後、微量摂取した二人を特別救護室へ収容した。
「ピーターとパイパーの舐めた量は本当にわずかで、彼らは実のところヒルが橋を落としたあたりから効果が切れていた。それでも、後が大変だった」
「……何があった」
片手で額を抑えながら、リチャードは続きを促す。
「ものすごい、拒絶反応が来た。まず最初に、ピーターたちに救護に取っていた聖水を一本ずつ飲ませた。アンデッドの要素を身体から排出させないとまずいからな。すると飲んだ直後とは比べ物にならない苦しみにのたうち回った。でも、光魔法が使える奴が一人いたからそいつに二人をとりあえず任せた。こうなると早急になんとかしないといけないのはヒルだ」
「一滴でそうなるならば……。とんでもないことになったということだな」
リチャードの言葉にモルダーは頷く。
「捨てられて朽ちかけた修道院を見つけて、その一室にヒルを連れて行き、イズーの結界の中に閉じ込めた。聖水三本飲ませても効果はなくて……。ヒルはもうすでに魔物になりかけていた」
そこで、モルダーは敵方だった魔導師たちに連絡を取り、包み隠さず打ち明け、聖水を分けてもらえるよう頼んだ。
意外なことにあっさりと願いは受け入れられ、すぐに協力体制が整った。
正直なところ、砦の歩兵たちと魔導士たちは戦争をいい加減終結させたいのが本音だったのだ。
痛ましい事件で始まった戦争で、非があるのはもちろんモルダーの国だ。
しかし、小競り合いが続く限り犠牲になるのは人の命。
早々の解決を切望し、面子にこだわる上層部を疎ましく思っていたらしい。
「ヒルがその薬の力を得てからは一人も殺していないのが功を奏した。もしあれで大量虐殺をしていたなら、元凶を殺した方が早いとなっただろう」
光魔法、ポーション、聖水。
あらゆる道具を使い、術を繰り出し―――。
「ようは、ヒルの中に住み着いた魔物を封じ込め、取り出して、破壊した」
小屋の中に魔方陣を記し、のたうち回って苦しむヒルを囲んだ。
二日目にはマカフィーを水晶に閉じ込めて殺した件の高位魔導士もやってきて、新たな術を編み出し、諳んじた。
三日三晩。
真っ黒に塗りこめられた円の中に、やせ細ってみすぼらしい姿になってしまったヒルが転がっていた。
消し炭になる直前で、なんとかながらえた。
彼が生還できたのは、ひとえに、この世界で指折りの魔導士が協力したからだ。
運が良かったにすぎない。
水晶造りの魔導士は各国の魔導士庁へ緊急連絡をその場で放った。
このケルニア戦争でベージル・ヒルに服用させた魔法薬を作る事を、今後全魔導士及び魔道具師に禁ずるよう早急に提案すると。
魔力暴走した場合の被害は大型魔物のそれに匹敵し、兵器商人たちに知られて悪用される前に決定する必要性も説かれ、ものの数時間でそれは禁薬として登録された。
薬を考案し製作した魔導士は、魔導士を裁く機関へ収監され、生まれてから今までの一切の記憶を消去され、ポーションを作る記憶喪失の職人として修道院へ送られた。
禁じられた薬については詳細を魔道裁判所に記されたうえで幾重にも術がかけられ、その製作を試みる者には呪いが発動する仕掛けを魔導士の掟を司る者たちにより為された。
その後。
驚異的な力で砦や橋を破壊したのは一人の人間ではなく複数の魔獣。
戦場にいた人々の、ほとんどの記憶が徐々に塗り替えられ---。
今となっては、赤毛の超人を覚えている者はいない。
ヒルとモルダー、そして魔導士たち以外は。